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「第5回:制御できない体が、人の可能性を広げる」
無意識の動きがあるから信頼が生まれる
山口
伊藤先生は『どもる体』(医学書院)をはじめとして、体のコントロールということについても研究されていますよね。自分の体って自由に使えると思いきや、例えば利き手じゃないほうはうまく使えません。私はピアノを子どもの頃からやってきましたが、練習を重ねる中で昨日まで弾けなかった曲が、あるとき突然弾けるようになるというのも不思議です。でも、弾けるようになると、逆にそれ以前の弾き方はできなくなるので、何かができるようになることは、自由を失うことでもあるという見方もできる。体というものはなかなかおもしろいものだと思います。
伊藤
そうですね。確かに体って基本的に意識で制御することがほぼ不可能で、思いどおりにならないものですけど、私はそれが逆に「希望」だと思っています。
まず何かが「できない」状態というのは、意識は体にうまい命令を出せないし、体はうまくいくイメージを持てていない。どっちも相手のせいでうまくいかないと思っているみたいな状況なんです。そこから「できる」になるのは、意識が体に命令しようとする関係から解放されて、体がいわば暴走していろいろ探索をする中で偶発的に成功する。それによって「できるとはこういうことなんだ」というイメージがつかめたら、あとはそれを反復することで定着させるわけです。
逆に言うと、意識が体を完璧にコントロールしていたら、新しいことをできるようにはならないということです。
山口
なるほど。
伊藤
人とのコミュニケーションでも、話しながら無意識に手が動いたりしますけれど、そういう無意識の動きがなくて完全にコントロールされていたら、アンドロイドみたいに感じられて信頼できませんよね。また、会話中に言いにくいことを言うときや、本心を隠しているときなど、人は自分の体や服を無意識に触ったりします。その動きは会話の相手も無意識的にキャッチして、会話の内容を調整するといったことを行っています。
ですからコミュニケーションや信頼関係というものは、言語のように意識で制御された領域と、身体的な制御されていない領域が混ざり合うから成り立つと言えます。同じように、体が制御できないからこそ可能になっていることが、実はたくさんあるのではないかと思います。
山口
一方で、無意識の体の動きから言葉以外のことを読み取ろうとして、うまくいかないこともあると思うんです。上司の一挙手一投足を見て、勝手に意味づけして不安になったりとか。
伊藤
そうですね。おっしゃるとおり、私の研究分野だと「解釈労働」と言うのですが、上下関係があると、下の人が上の人の顔色を読んで行動するというような心理的負担のある行動をしがちです。コミュニケーションは、その時々で上下が入れ替わる場合はあるものの、基本的には何らかの上下関係があるという前提で行われますから、解釈労働はつきものだと思います。その上下関係を埋めて解釈を助けるのが「言葉」なのかもしれないですよね。

他者理解のカギは謙虚さにある
山口
これは「はじめに言葉(logos)があった」という聖書の教えがベースにあると思うのですが、欧米社会では言葉を尽くすというのが基本的なスタンスです。逆に日本では、本居宣長の言う「大和心」が論理的な言葉で説明できるものではないように、ハイコンテクスト文化ですよね。でもグローバル化が進む中では、やはり言葉を尽くして説明しないと伝わらないことがあって、ハイコンテクストの弊害も出てきているように思われます。
「言葉で世界を記述し尽くせる」というのも、幻想だとは思いますけれど。
伊藤
そうですね。ただ、「言葉で表現できない」と言ってしまうことの怖さもあると思います。蓋をしてしまう感じというか。
山口
それで終わってしまう感覚もありますね。いろいろな言葉を組み合わせることで誤差を少なくしていくという努力を放棄するという宣言になってしまう。
外資系企業にいた経験から言うと、欧米企業のマネジメントというのは、文字に書いてあることで判断しろ、という傾向が強い。日本企業だと、ここにはこう書いてあるけど、それはタテマエで、どうするかは状況を見て判断しろ、みたいな面がある。これは認知的な負荷が大きいと思います。最近広がっている世代間ギャップといったものも、コミュニケーションにおける認知コストを増大させています。もう少し率直なコミュニケーションができるといいのですけれど、若い世代のほうがホンネを隠していたりもするので、なかなか難しいところではあるかもしれません。
伊藤
そこで人間理解の力や固定観念の相対化が必要になるのだと思います。
山口
そうですね。他者理解のカギはある種の「謙虚さ」ではないかと思います。変わる可能性に自分も他者も開かれているということがリベラルの本質ですよね。だから、自分から見ておかしいと思うことがあったとき、もしかしたら自分が間違っているのかもしれない、あるいはコンテキストが違うからその正しさが理解できないだけかもしれないと思えるかどうかがリーダーの資質なのでしょう。それができないと老害と呼ばれそうなので、自分も気をつけたいと思っていますけれど。
伊藤
芸術・美術がリベラルアーツで重要視されるのは、おっしゃるように変化する可能性に開かれていることが大切だからです。例えば、何かに触れて涙を流したり感動したりするのは、理屈を超えたところで自己変容が起こる、自分が変わってしまう体験です。
特にリーダーは常に責任を問われますから、一貫性、変わらないことが要求されがちです。けれども、自分とは違う考えがある、違う世界があることを知れば変わらざるを得ないのですし、変われるという謙虚さを養うのがリベラルアーツですよね。そう考えると、むしろリーダーこそ、柔軟に変化していく姿を見せてほしいと思います。
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伊藤 亜紗
美学者。東京科学大学 未来社会創成研究院/リベラルアーツ研究教育院 教授。MIT客員研究員(2019)。博士(文学)。主な著作に『目の見えない人は世界をどう見ているのか』(光文社)、『どもる体』(医学書院)、『記憶する体』(春秋社)、『手の倫理』(講談社)。第42回サントリー学芸賞、第19回日本学術振興会賞、日本学士院学術奨励賞受賞。

山口 周
1970年東京都生まれ。電通、ボストンコンサルティンググループなどで戦略策定、文化政策立案、組織開発等に従事した後、独立。著書に『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』(光文社)、『武器になる哲学』(KADOKAWA)、『ニュータイプの時代』(ダイヤモンド社)、『ビジネスの未来』(プレジデント社)、『クリティカル・ビジネス・パラダイム』(プレジデント社)他多数。最新著は『人生の経営戦略 自分の人生を自分で考えて生きるための戦略コンセプト20』(ダイヤモンド社)。慶應義塾大学文学部哲学科、同大学院美学美術史学専攻修了。
シリーズ紹介
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