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一橋大学特任教授(PDS寄付講座・シグマクシス寄付講座)楠木建氏
楠木建教授が何より大切だと考えている、平和。それを守り続けるためになくてはならないのが、「不戦教養」だ。人はみな戦争には反対なのに、なぜ戦争が絶えないのか。戦争を繰り返さないために、私たちが日頃から意識しておくべきことは何か。不穏な社会だからこそ、戦争に対する深い教養が価値を持つ。その4では、個人の損得勘定こそが重要な「不戦教養」になるという楠木流の新提案。

「第1回:緊急性と重要性」はこちら>
「第2回:人間軽視」はこちら>
「第3回:戦中日記」はこちら>
「第4回:損得という抑止力」

※ 本記事は、2025年10月7日時点で書かれた内容となっています。

戦争が絶対悪だということは誰もが分かっています。戦争は絶対に嫌だと、みんな心の底から思っているはずです。ところが、もはや戦争しかないという選択肢が正当化されて、戦争状態に突入していく。近現代の戦争の歴史は、このパターンずっと繰り返していますし、おそらくこれからも同じだと思います。

戦争は外交の延長にあります。ということは、潜在的に常に戦争のリスクがあるということです。僕は、戦争リスクについてはいくら悲観的になっても、なり過ぎることはないと思っています。政治家や軍隊はもちろん、普通の生活しているわれわれ一人ひとりの頭と心の中に、戦争を抑止する何かが必要です。戦争の悲惨さを訴えるだけではなく、さらに強力で現実的なアプローチが必要だと考えます。

僕がもっとも有効だと思うのは、戦争がいかに損かという現実的な損得認識を浸透させることです。戦争は悪である上にどれだけ損なことかを広めることで、戦争のダメージの大きさを事前に、具体的にイメージできるようにする。国益や経済の問題ではなく、一人ひとりの生活者の実利を考えるということが、戦争抑止の思考や行動をもたらすと思っています。前にお話しした生活第一――一人一人が自分の生活を大切にする――にしても、そういうことです。そのためにも、過去の戦争の歴史をたどり、それが「悪」であると同時に、いかに「損」だったかを知る必要があります。

振り返ってみた時、損得という意味であの戦争はやってよかったという例はひとつもありません。第二次世界大戦後も、大国は地域紛争に首を突っ込んでは大損しています。僕が生きてきた時代にあった大きな戦争は、ベトナム戦争です。20世紀後半の最悪の戦争で、ベトナムはもちろんアメリカの人々もとんでもない損失を被っています。アメリカのGolden 50s & 60sは、豊かで中間層がしっかりと安定した、人間の有史以来もっとも幸せを謳歌していたかのような時代でした。それがベトナム戦争を境にがらがらと崩れていきます。ベトナム戦争が反道徳的で非倫理的でベトナムの人々を苦しめたのは間違いありませんが、アメリカ国民にとっても何の得もなかった。北野武監督の『アウトレイジ』という映画で「全員悪人」というコピーがありましたが、ベトナム戦争は本当に「全員大損」です。

例えば、現下のロシアによるウクライナ侵攻。ウクライナにとって大迷惑で大損失だったことはもちろん、攻め込んだロシアにとっても、損得勘定で考えれば実利的には大損です。戦争指導をしているプーチン以外で、この戦争で得をしたという実感を持つロシアの人はほとんどいないのではないでしょうか。攻撃を受けたウクライナの人々だけでなく、ロシアで暮らす人々も実に気の毒です。ロシアがこの損失から立ち直るには、この先長い時間がかかる。

プーチンのやったことは悪行ですが、それと同時に実にもったいないことです。ソ連体制の崩壊後の大混乱の中で、プーチンは政治指導者としてそれなりに国家を建て直してきました。にもかかわらず、すべてをぶち壊しにするような損失に頭から突っ込んでいくのはなぜか。これについては次回お話ししたいと思います。

第5回は、12月29日公開予定です。

画像: 不戦教養―その4
損得という抑止力

楠木建(くすのきけん)
経営学者。一橋大学特任教授(PDS寄付講座およびシグマクシス寄付講座)。専攻は競争戦略。企業が持続的な競争優位を構築する論理について研究している。著書として『楠木建の頭の中 戦略と経営についての論考』(2024年、日本経済新聞出版)、『絶対悲観主義』(2022、講談社)、『逆・タイムマシン経営論』(2020、日経BP、杉浦泰との共著)、『ストーリーとしての競争戦略:優れた戦略の条件』(2010、東洋経済新報社)などがある。

楠木特任教授からのお知らせ

思うところありまして、僕の考えや意見を読者の方々に直接お伝えするクローズドな場、「楠木建の頭の中」を開設いたしました。仕事や生活の中で経験したこと・見聞きしたことから考えたことごとを配信し、読者の方々ともやり取りするコミュニティです。
この10年ほどX(旧・Twitter)を使ってきて、以下の3点について不便を感じていました。

・140字しか書けない
・オープンな場なので、仕事や生活経験の具体的な中身については書きにくい
・考えごとや主張をツイートすると、不特定多数の人から筋違いの攻撃を受ける

「楠木建の頭の中」は僕のXの拡張版というか裏バージョンです。もう少し長く書ける「拡張版」があれば1の問題は解決しますし、クローズドな場に限定すれば2と3の不都合を気にせずに話ができます。加えて、この場であればお読みいただく方々に質問やコメントをいただき、やりとりするのも容易になります。
不定期ですが、メンバーの方々と直接話をする機会も持ちたいと思います。
ビジネスや経営に限らず、人間の世の中について考えることに興味関心をお持ちの方々のご参加をお待ちしております。DMM社のプラットフォーム(月額500円)を使っています。

お申し込みはこちらまで
https://lounge.dmm.com/detail/2069/

ご参加をお待ちしております。

楠木健の頭の中

シリーズ紹介

楠木建の「EFOビジネスレビュー」

一橋ビジネススクール一橋ビジネススクールPDS寄付講座特任教授の楠木建氏の思考の一端を、切れ味鋭い論理を、毎週月曜日に配信。

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山口周氏をナビゲーターに迎え、経営者・リーダーが、自身の価値基準を持つための「リベラルアーツ」について考える。

協創の森から

社会課題の解決に向けたビジョンの共有を図る研究開発拠点『協創の森』。ここから発信される対話に耳を傾けてください。

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