※ 本記事は、2025年8月5日時点で書かれた内容となっています。
今月は、僕がこれまで仕事を通して出会った人の中で、「この人はただものじゃないな」と直感させられたり、「こういう人が世の中にいるのか!」と感心させられた人を毎週紹介していきます。
一人目は、愼泰俊(※1)さんです。もうすでにご存知の方が多いかもしれませんが、彼は五常・アンド・カンパニー(以下、五常)(※2)というマイクロファイナンスの会社を、2014年に起業した人です。
はじめてお会いしたのは、五常ができてすぐの頃ですから、もう10年ほど前になります。きっかけは、僕が尊敬する先輩二人から、「非常に優れた若い起業家がいるので、ぜひ会って欲しい」と同じようなタイミングで声を掛けられまして、それが愼さんでした。その二人の先輩とは、インテグラル株式会社の佐山展生さんと、元ソニーの社長で当時クオンタムリープ株式会社の代表を務めておられた出井伸之さんです。
僕は最初に会った時から、この人は特別だという印象を受けました。問答無用の人格者。今もまだ十分にお若いですが、その頃の愼さんは起業したばかりの若者でした。若い起業家というのは、エネルギッシュで野心があって、それはそれでいいことなのですが、反面ではったりの多い人や、自分をとにかく大きく見せようというタイプが少なくない。愼さんは逆で、はったりがなくて、本当に静かな自然体の誠実な人格者です。しかし頭の中にある構想は壮大でした。
五常・アンド・カンパニーは、すでに世界の途上国の数百万世帯に金融サービスを提供している会社です。最初に会った時から彼はFinancial Inclusion(金融包摂)を実現することが自分のミッションだと話していました。金融包摂というのは、経済活動に必要な金融サービスを、すべての人々が利用できるようにする取り組みです。貧困というのは、資源や能力が不足しているために十分な社会参加ができない状態を意味しています。
金融包摂がまだ実現していない国や地域で、低所得層の人々を対象にした少額の金融サービスを提供する、これがマイクロファイナンスです。特定の国や地域の文化に立脚しないと成立しないビジネスですから、有名なムハマド・ユヌス博士のグラミン銀行(※3)は、バングラデシュで主に活動しています。その地域を出るとだいぶ社会資本の在り方が異なるので、普通はうまくいかないケースが増えてくる。
しかし五常は、それを世界中で展開しています。なぜかと言えば、彼の起業からの一貫したビジョンが、「民間版の世界銀行を作る」だからです。愼さんは、最初から世界銀行をめざしています。世界中で同時多発的にマイクロファイナンスの事業を展開する必要がある。ですから、すでにそれぞれの国で事業展開をしているマイクロファイナンス事業社を買収し、そこに五常の価値観や精神を吹き込んで統合することによって、世界で同時に事業展開する民間版の世界銀行を作ろうとしています。
この話を最初に聞いた時、もちろん社会的なビジネスとして素晴らしいのですが、これだけ大きな構想を持ちながら、ストイックに誠実に淡々と目の前のことを実行していく。本当の利他の世界で、自分のミッションを実現するために生活の全てを捧げている。そうしたことが、彼の顔を見ているだけで伝わってくるのです。ある種の現代の聖人です。こういう人が同時代の人として存在していることが、本当に衝撃でした。
それだけ全てを捧げて大きな構想のために邁進しているにもかかわらず、「一隅を照らす」と、彼は言っています。金融包摂が実現しても、完全な機会の平等が実現するわけではない。貧困という社会課題の解決のために、いろいろな人がそれぞれ取り組んでいく中で、自分はある一隅を照らす存在にすぎないと話すその謙虚さには、本当に頭が下がります。大きな構想を掲げて成果を出している人というのは、「俺が世の中を動かしてる」みたいな気分になりがちです。その典型がイーロン・マスクですが、愼さんはその対極にいる人だと思います。
※1 愼泰俊(シン・テジュン):1981年東京都生まれ。モルガン・スタンレー・キャピタル、ユニゾン・キャピタルで8年間にわたりプライベート・エクイティ投資実務に携わった後、2014年に五常・アンド・カンパニーを共同創業。グループ経営、資金調達、投資など全般に従事している。金融機関で働くかたわら、2007年にLiving in Peaceを設立し(2017年に理事長退任)、日本初のマイクロファイナンス投資ファンドを企画した。過去15年以上にわたり社会的養育を受ける子どもの支援に携わっており、2021年に日本児童相談業務評価機関を共同設立した。単著は10冊。日本縦断1648kmウルトラマラソン完走。空手黒帯、ブラジリアン柔術青帯(2022年時点)。世界経済フォーラムのYoung Global Leader 2018選出。朝鮮大学校法律学科、早稲田大学大学院ファイナンス研究科卒。趣味はストリート写真を撮ること。時々バンドでドラムを叩く。
※2 五常・アンド・カンパニー株式会社:2014年7月に設立された、マイクロファイナンスを途上国に展開するホールディングカンパニー。金融包摂を世界中に届けることをミッションに、南アジア、東南アジア、中央アジア・コーカサス、サブサハラ・アフリカの14カ国で事業を展開している。
※3 グラミン銀行:ムハマド・ユヌス氏が1983年に創設。マイクロクレジットと呼ばれる貧困層を対象にした比較的低金利の無担保融資を行っている。2006年、同銀行とユヌス氏は、共にノーベル平和賞を受賞した。
第2回は、10月13日公開予定です。

楠木建(くすのきけん)
経営学者。一橋大学特任教授(PDS寄付講座およびシグマクシス寄付講座)。専攻は競争戦略。企業が持続的な競争優位を構築する論理について研究している。著書として『楠木建の頭の中 戦略と経営についての論考』(2024年、日本経済新聞出版)、『絶対悲観主義』(2022、講談社)、『逆・タイムマシン経営論』(2020、日経BP、杉浦泰との共著)、『ストーリーとしての競争戦略:優れた戦略の条件』(2010、東洋経済新報社)などがある。
楠木特任教授からのお知らせ
思うところありまして、僕の考えや意見を読者の方々に直接お伝えするクローズドな場、「楠木建の頭の中」を開設いたしました。仕事や生活の中で経験したこと・見聞きしたことから考えたことごとを配信し、読者の方々ともやり取りするコミュニティです。
この10年ほどX(旧・Twitter)を使ってきて、以下の3点について不便を感じていました。
・140字しか書けない
・オープンな場なので、仕事や生活経験の具体的な中身については書きにくい
・考えごとや主張をツイートすると、不特定多数の人から筋違いの攻撃を受ける
「楠木建の頭の中」は僕のXの拡張版というか裏バージョンです。もう少し長く書ける「拡張版」があれば1の問題は解決しますし、クローズドな場に限定すれば2と3の不都合を気にせずに話ができます。加えて、この場であればお読みいただく方々に質問やコメントをいただき、やりとりするのも容易になります。
不定期ですが、メンバーの方々と直接話をする機会も持ちたいと思います。
ビジネスや経営に限らず、人間の世の中について考えることに興味関心をお持ちの方々のご参加をお待ちしております。DMM社のプラットフォーム(月額500円)を使っています。
お申し込みはこちらまで
https://lounge.dmm.com/detail/2069/
ご参加をお待ちしております。
シリーズ紹介
楠木建の「EFOビジネスレビュー」
一橋ビジネススクール一橋ビジネススクールPDS寄付講座特任教授の楠木建氏の思考の一端を、切れ味鋭い論理を、毎週月曜日に配信。
山口周の「経営の足元を築くリベラルアーツ」
山口周氏をナビゲーターに迎え、経営者・リーダーが、自身の価値基準を持つための「リベラルアーツ」について考える。
協創の森から
社会課題の解決に向けたビジョンの共有を図る研究開発拠点『協創の森』。ここから発信される対話に耳を傾けてください。
新たな企業経営のかたち
パーパス、CSV、ESG、カスタマーサクセス、M&A、ブロックチェーン、アジャイルなど、経営戦略のキーワードをテーマに取り上げ、第一人者に話を聞く。
Key Leader's Voice
各界のビジネスリーダーに未来を創造する戦略を聞く。
経営戦略としての「働き方改革」
今後企業が持続的に成長していくために経営戦略として取り組むべき「働き方改革」。その本質に迫る。
ニューリーダーが開拓する新しい未来
新たな価値創造に挑む気鋭のニューリーダーに、その原動力と開拓する新しい未来を聞く。
日本発の経営戦略「J-CSV」の可能性
日本的経営の良さを活かしながら利益を生み出す「J-CSV」。その先進的な取り組みに迫る。
ベンチマーク・ニッポン
日本を元気にするイノベーターの、ビジョンと取り組みに迫る。
デジタル時代のマーケティング戦略
マーケティングにおける「デジタルシフト」を、いかに進めるべきか、第一人者の声や企業事例を紹介する。
私の仕事術
私たちの仕事や働き方の発想を変える、膨らませるヒントに満ちた偉才たちの仕事術を学ぶ。
EFO Salon
さまざまな分野で活躍する方からビジネスや生活における新しい気づきや価値を見出すための話を聞く。
禅のこころ
全生庵七世 平井正修住職に、こころを調え、自己と向き合う『禅のこころ』について話を聞く。
寄稿
八尋俊英の「創造者たち」~次世代ビジネスへの視点~
新世代のイノベーターをゲストに社会課題の解決策や新たな社会価値のつくり方を探る。