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一橋大学特任教授(PDS寄付講座およびシグマクシス寄付講座)楠木建氏
リクルートワークス研究所の労働需給予測では、2040年の日本は1,100万人の人手不足に陥るという数字が発表されている。私たちが直面せざるをえないこの課題は、経営者にとって厳しい現実をつきつけることになるが、日本にとっては失われた30年から浮上するビッグチャンスになるかもしれない。そんな楠木教授の人手不足の論考を、9月は5回に渡ってお届けする。最終回となるその5は、人手不足でも働きたい人が集まって来るクックマートを題材に、これからの経営を考える。

「第1回:千載一遇のチャンス」はこちら>
「第2回:「失われた30年」ゆえの伸びしろ」はこちら>
「第3回:職業選択の自由」はこちら>
「第4回:解決にならない解決策」はこちら>
「第5回:クックマートという手本」

※ 本記事は、2025年7月1日時点で書かれた内容となっています。

これまで4回に渡って、労働市場の規律が機能する時代になり、これからの経営者は働く人たちに選ばれなければやっていけなくなるという話をしてきました。最後に、その手本となる企業を取り上げたいと思います。

愛知県の東三河地方から静岡県浜松までのローカルな商圏で、12店舗を展開するクックマートという食品スーパーがあります。都心にはお店がないのでご存知ない方も多いかもしれませんが、経営戦略という視点から見ても非常に興味深い会社です。ここ10年ずっと増収増益で、過去最高益を更新しています。決して大きな店舗ではないのですが、1店舗当たりの平均年商が一般的な食品スーパーのほぼ倍で、ナショナルチェーンの大規模なスーパーやショッピングモールが進出しても、びくともせずに地元のお客さまに選ばれている。

なぜクックマートが商売として成功しているのか。それは、売り場に活気があるということが最大のポイントです。クックマートの場合、実際に同業他社と比較してもお店で働くスタッフの数が多くて、そのエネルギーが売り場の活気になっている。人口が減り、ネットで何でも買える時代に、あえて人手をかけて圧倒的な魅力を持ったリアル店舗をめざしているのです。

お店のスタッフは、現場で生まれる偶発性を取り込んで、臨機応変に軌道修正していきます。一人のスタッフが見つけたニーズをヒントに、ローカルな素材を使った独自商品を開発する。スタッフとお客さまとの間で、ごく自然な人間関係を作る。そんな小売業にとって一番大切なことをみんなが実行することで、地元の方からの絶大な支持を集めています。

なぜこんな経営が実現できるのかといえば、それは人手不足の地方においてもクックマートで働きたいという人がたくさん存在するからです。クックマートは現場に大きな裁量を与えています。上からの指示ではない自由と責任がこの職場にはあって、それを地元の人たちがよく理解しているので、働きたい人が集まってくるのです。

僕は、企業が働く人に提供できる価値というのは、良い給料と良い仕事の2つしかないと思っています。良い給料というのは大前提です。それに加えて、良い仕事を提供できる職場の価値というのは、人手不足になればなるほど高くなっていく。経営者に問われるのは、やりがいのある仕事をどう作っていくのかということです。

それではクックマートは、どういう基準でスタッフを採用しているのか。これがまたユニークなのですが、白井健太郎社長は「マイルドヤンキー」だとおっしゃるのです。地元志向が強くて、地域の同世代の友達や仲間を大切にしている。無理はしない自然体で、生まれた場所でずっと家族と一緒に育っていて、外へは出ていかない。地元で満たされているので、ルサンチマンがなく、元気に挨拶をする人間が多い。そういうマイルドヤンキーは、当然ローカルな生活者の好みを自然と理解しています。こういう人たちが、楽しく納得感を持って仕事ができる組織を作ること。クックマートを、仕事で人生を楽しくするプラットフォームにすること。それが社長のめざしている経営です。

クックマートの商圏である東海地域から浜松にかけてのエリアは、自動車関連の企業や工場などが多い。仕事はいろいろあるのです。しかも人手不足ですから、働く職場を選ぶことができる売り手市場になっている。そんな状況でも、仕事先としてクックマートが選ばれている。良い給料と良い仕事の2つの基本条件をしっかりと満たしていることの証明です。

人手不足は、経営者が良い仕事とは何なのかを本気で考えなければ、働き手がいなくなるという規律をもたらしました。僕は仕事の最強のモチベーションは、自分以外の人の役に立つということだと考えています。これまでは働く側も自分の方を向きすぎていたのかもしれません。人手不足というのは、仕事本来の意味や意義を、経営側にも働く側にもあらためて考えさせる大きなきっかけになっていると思います。このチャンスをこれからの経営に生かせるかどうかは、企業にとって大きな岐路になるはずです。

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画像: 人手不足―その5
クックマートという手本

楠木建(くすのきけん)
経営学者。一橋大学特任教授(PDS寄付講座およびシグマクシス寄付講座)。専攻は競争戦略。企業が持続的な競争優位を構築する論理について研究している。著書として『楠木建の頭の中 戦略と経営についての論考』(2024年、日本経済新聞出版)、『絶対悲観主義』(2022、講談社)、『逆・タイムマシン経営論』(2020、日経BP、杉浦泰との共著)、『ストーリーとしての競争戦略:優れた戦略の条件』(2010、東洋経済新報社)などがある。

楠木特任教授からのお知らせ

思うところありまして、僕の考えや意見を読者の方々に直接お伝えするクローズドな場、「楠木建の頭の中」を開設いたしました。仕事や生活の中で経験したこと・見聞きしたことから考えたことごとを配信し、読者の方々ともやり取りするコミュニティです。
この10年ほどX(旧・Twitter)を使ってきて、以下の3点について不便を感じていました。

・140字しか書けない
・オープンな場なので、仕事や生活経験の具体的な中身については書きにくい
・考えごとや主張をツイートすると、不特定多数の人から筋違いの攻撃を受ける

「楠木建の頭の中」は僕のXの拡張版というか裏バージョンです。もう少し長く書ける「拡張版」があれば1の問題は解決しますし、クローズドな場に限定すれば2と3の不都合を気にせずに話ができます。加えて、この場であればお読みいただく方々に質問やコメントをいただき、やりとりするのも容易になります。
不定期ですが、メンバーの方々と直接話をする機会も持ちたいと思います。
ビジネスや経営に限らず、人間の世の中について考えることに興味関心をお持ちの方々のご参加をお待ちしております。DMM社のプラットフォーム(月額500円)を使っています。

お申し込みはこちらまで
https://lounge.dmm.com/detail/2069/

ご参加をお待ちしております。

楠木健の頭の中

シリーズ紹介

楠木建の「EFOビジネスレビュー」

一橋ビジネススクール一橋ビジネススクールPDS寄付講座特任教授の楠木建氏の思考の一端を、切れ味鋭い論理を、毎週月曜日に配信。

山口周の「経営の足元を築くリベラルアーツ」

山口周氏をナビゲーターに迎え、経営者・リーダーが、自身の価値基準を持つための「リベラルアーツ」について考える。

協創の森から

社会課題の解決に向けたビジョンの共有を図る研究開発拠点『協創の森』。ここから発信される対話に耳を傾けてください。

新たな企業経営のかたち

パーパス、CSV、ESG、カスタマーサクセス、M&A、ブロックチェーン、アジャイルなど、経営戦略のキーワードをテーマに取り上げ、第一人者に話を聞く。

Key Leader's Voice

各界のビジネスリーダーに未来を創造する戦略を聞く。

経営戦略としての「働き方改革」

今後企業が持続的に成長していくために経営戦略として取り組むべき「働き方改革」。その本質に迫る。

ニューリーダーが開拓する新しい未来

新たな価値創造に挑む気鋭のニューリーダーに、その原動力と開拓する新しい未来を聞く。

日本発の経営戦略「J-CSV」の可能性

日本的経営の良さを活かしながら利益を生み出す「J-CSV」。その先進的な取り組みに迫る。

ベンチマーク・ニッポン

日本を元気にするイノベーターの、ビジョンと取り組みに迫る。

デジタル時代のマーケティング戦略

マーケティングにおける「デジタルシフト」を、いかに進めるべきか、第一人者の声や企業事例を紹介する。

私の仕事術

私たちの仕事や働き方の発想を変える、膨らませるヒントに満ちた偉才たちの仕事術を学ぶ。

EFO Salon

さまざまな分野で活躍する方からビジネスや生活における新しい気づきや価値を見出すための話を聞く。

禅のこころ

全生庵七世 平井正修住職に、こころを調え、自己と向き合う『禅のこころ』について話を聞く。

寄稿

八尋俊英の「創造者たち」~次世代ビジネスへの視点~

新世代のイノベーターをゲストに社会課題の解決策や新たな社会価値のつくり方を探る。

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