※ 本記事は、2025年5月16日時点で書かれた内容となっています。
今月は、経営に関する本の中で長く読み継がれる価値があると考える名著を4冊選びましたので、毎週1冊ずつ紹介していこうと思います。最初に紹介したい本は、マイケル・E・ポーターの『競争の戦略』です。これは1980年に出た本で、その時僕は16歳ですからまだこの本の存在は知りません。僕が最初に読んだのは、大学3年生の時だったと思います。当時は洋書の購入も容易ではなく、英語版を図書館でコピーして読みました。

『競争の戦略』マイケル・E・ポーター著 ダイヤモンド社
『Competitive Strategy』というタイトルそのままの本で、最初に読んだ時は面白くないという印象でした。今読んでも、やはり無味乾燥で決して「面白い」本ではない。しかしこの仕事をするようになって、そこにこの本の凄みがあることに気づかされました。
ポーター先生は、「競争戦略」という分野そのものをお創りになった方です。それ以前にも、競争や戦略について書かれた本はありました。例えば僕が大学2年生の時に日本語訳で読んだホファーとシェンデルの共著『戦略策定』です。ポーター以前の戦略論は、ある意味では実務家にとっての「手続論」でした。戦略というのはこういうものであり、戦略を策定するためには、自分たちの目標と今の現実とのギャップを識別して、ギャップを埋める手段をこういう順番で考えて、といった一連の手続きを論じていて、これはこれでよくできた本なのですが大学2年生が読んでも面白くも何ともない。

それ以前にも、市場と製品で2つの軸があって、それぞれが既存のものなのか新規のものなのかで成長戦略を決める「アンゾフの成長マトリックス」というフレームワークがありました。こういうものは『競争の戦略』の前からあったわけですが、まじめに読んだ人は少ないと思います。なぜかといえば、つまらないから。ポーター先生もいくつかのフレームワークを開発した人だと思われています。特に有名なファイブフォース・フレームワーク(※)や基本戦略の3類型などは、45年の時間を経てもその有用性には変わりがありません。

※ ファイブフォース・フレームワーク:「売り手の交渉力」「買い手の交渉力」「競争企業間の敵対関係」という3つの内的要因と、「新規参入の脅威」「代替製品・サービスの脅威」の2つの外的要因、計5つの要因から業界全体の収益性を分析するフレームワーク。
もちろんこれが優れたフレームワークであることは間違いありません。しかしポーター先生の本当の凄みは、こうしたフレームワークの背後にある論理にあります。例えば「新規参入の脅威」は新規参入の障壁によって決まる。参入障壁にはこういうものがあって、そのうちのひとつである規模の経済とこういう論理で参入を抑止する障壁となって、といったように体系的に論理が組みあがっている。なおかつ、その論理ひとつひとつがきわめて頑健なのです。
フレームワークの本として誤解あるいは誤用されている面が多々ありますが、『競争の戦略』は「戦略を考える時の論理集」です。この本に詰まっている膨大な論理ひとつひとつを、しっかりと味わっていく。それがこの本のもっとも意味のある読み方だと思います。いまだにポーター先生の競争戦略の論理は最強だと思います。それは歴史の中でテスト済です。インターネットのような大きな変化が起きた時、ポーター先生は”Strategy and the Internet”という論文を書いています。その論理は『競争の戦略』にあるものと何も変わりませんでした。AIの時代になってもポーター先生の論理の有効性は変わりません。優れた論理というのはそういうものです。
ポーター先生はもともと経済学者です。産業組織論という分野の早熟の天才でした。若い時期から優れた業績を上げ、若くしてハーバード大学の教授になります。経済学というのはそもそもエコノマイズの思考体系です。経済学は効率を追求します。産業組織論的な考え方では、特定の企業や業界が利益を上げているということは、市場に何らかの非効率があると考える。だから独占禁止法が必要になるわけです。
経済学というのは個別企業の収益がなるべく出にくくなるような効率的市場に接近していく。だとしたら、従来の産業組織論の議論を裏返せば、企業が競争の中で利益を創出する論理が見えるはずだ――これがポーター先生の革命的な発想で、先生の競争戦略の原点になっています。
僕はその後に競争戦略論という分野で仕事をするようになりまして。30歳を過ぎた頃にはじめてポーター先生とディスカッションする機会をいただきました。先生と話していて、『競争の戦略』はまぎれもなくこの人が書いたものだと思わされました。頭の回転が速い。何を聞かれてもスパッと答える。打ち合わせで使った資料は、終わった瞬間に破り捨てる。無駄とか余韻がない。シャキシャキしたあの文体は、まさにポーター先生その人を表しています。

一橋大学がポーター賞というものをはじめてもう25年になります。これはポーター先生の名前をお借りした賞で、優れた競争戦略で高い成果を出している企業を表彰しましょうというもので、ポーター先生は何度も講演されています。そこでお話しになった内容は、やはり『競争の戦略』に書かれていることと何ひとつ変わりませんでした。古いとか新しいとか、そんなレベルを超越してしまっている。僕はこれこそが本当のプロの学者の仕事だと思います。
第2回は、8月11日公開予定です。
(撮影協力:軽井沢コモングラウンズ 軽井沢書店 中軽井沢店)
『楠木建のEFOビジネスレビュー』特設コーナーのお知らせ
取材にご協力いただいた軽井沢コモングラウンズ 軽井沢書店 中軽井沢店に、今回の記事でお薦めしている書籍や楠木教授の書籍を取り揃えた特設コーナーを設置していただきました。軽井沢にお出かけの際には、ぜひお立ち寄りください。
(コーナー設置期間:~2025年9月1日まで)

Karuizawa Commongrounds
〒389-0111
長野県北佐久郡軽井沢町長倉 鳥井原1690-1
お問い合わせ:0267-46-8590

楠木建(くすのきけん)
経営学者。一橋大学特任教授(PDS寄付講座およびシグマクシス寄付講座)。専攻は競争戦略。企業が持続的な競争優位を構築する論理について研究している。著書として『楠木建の頭の中 戦略と経営についての論考』(2024年、日本経済新聞出版)、『絶対悲観主義』(2022、講談社)、『逆・タイムマシン経営論』(2020、日経BP、杉浦泰との共著)、『ストーリーとしての競争戦略:優れた戦略の条件』(2010、東洋経済新報社)などがある。
シリーズ紹介
楠木建の「EFOビジネスレビュー」
一橋ビジネススクール一橋ビジネススクールPDS寄付講座特任教授の楠木建氏の思考の一端を、切れ味鋭い論理を、毎週月曜日に配信。
山口周の「経営の足元を築くリベラルアーツ」
山口周氏をナビゲーターに迎え、経営者・リーダーが、自身の価値基準を持つための「リベラルアーツ」について考える。
協創の森から
社会課題の解決に向けたビジョンの共有を図る研究開発拠点『協創の森』。ここから発信される対話に耳を傾けてください。
新たな企業経営のかたち
パーパス、CSV、ESG、カスタマーサクセス、M&A、ブロックチェーン、アジャイルなど、経営戦略のキーワードをテーマに取り上げ、第一人者に話を聞く。
Key Leader's Voice
各界のビジネスリーダーに未来を創造する戦略を聞く。
経営戦略としての「働き方改革」
今後企業が持続的に成長していくために経営戦略として取り組むべき「働き方改革」。その本質に迫る。
ニューリーダーが開拓する新しい未来
新たな価値創造に挑む気鋭のニューリーダーに、その原動力と開拓する新しい未来を聞く。
日本発の経営戦略「J-CSV」の可能性
日本的経営の良さを活かしながら利益を生み出す「J-CSV」。その先進的な取り組みに迫る。
ベンチマーク・ニッポン
日本を元気にするイノベーターの、ビジョンと取り組みに迫る。
デジタル時代のマーケティング戦略
マーケティングにおける「デジタルシフト」を、いかに進めるべきか、第一人者の声や企業事例を紹介する。
私の仕事術
私たちの仕事や働き方の発想を変える、膨らませるヒントに満ちた偉才たちの仕事術を学ぶ。
EFO Salon
さまざまな分野で活躍する方からビジネスや生活における新しい気づきや価値を見出すための話を聞く。
禅のこころ
全生庵七世 平井正修住職に、こころを調え、自己と向き合う『禅のこころ』について話を聞く。
寄稿
八尋俊英の「創造者たち」~次世代ビジネスへの視点~
新世代のイノベーターをゲストに社会課題の解決策や新たな社会価値のつくり方を探る。