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シリコンバレーは加速している
30年以上を現地で過ごしてきて、校條(めんじょう)氏はシリコンバレーに変化を感じているという。
「とにかく新しいことをしてみようという人が世界中から集まる場であることに変わりはありません。仮説を立てて検証して、失敗したらまた一からやり直すという流れも同じです。ただ、若年化は感じます。かつて起業には、たとえソフトウェアの世界でもサーバの設置など、設備投資のため多額の資金を調達する必要がありました。しかし今は、SaaSもオープンソースで使えるソフトウェアもあります。初期投資がほとんど不要な環境で、若者によって多くの仮説検証が高速で繰り返されています。また、若くして成功した人も新しい事業を立ち上げるので、スタートアップの数は幾何級数的に増えています」
チャレンジの数が増え成功者が増えれば、チャレンジを支える人も増える。「自分で起業するだけでなく、投資する側も若返っています。ベンチャーキャピタル(VC)の数は過去10年で1000以上、増えているはずです。若くて技術に詳しい投資家も大勢います」

支援する側のテクノロジーへの理解は、シリコンバレーと日本とで大きく違う点の一つだ。こうした違いは、校條氏と湧川隆次氏の共著『ITの正体:なぜスマホが売れると、クルマが売れなくなるのか?』(インプレスR&D)で整理されている。
「技術がわからないと、その技術が将来、社会にどのような影響を与えることになりそうか、思いを巡らせることができません。その技術がどの程度普及しそうで、会社はどの程度成長しそうなのか、想像ができないのです」

湧川隆次・校條浩著『ITの正体:なぜスマホが売れると、クルマが売れなくなるのか?』(インプレスR&D)
レジス・マッケンナの教え
一方で、技術がわかってさえいればいいというものでもない。「エンジニアは視野が広くなければなりません。よく言われるように、イノベーションとは全く新しい技術ばかりではなく、既知の要素を組み合わせて新しい価値を提供することです。ですから、専門外にも視野を広げる必要があるのです」
その重要性を校條氏は、まだ社会人になって間もない頃に学んだという。勤務先の小西六写真工業(現在のコニカミノルタ)に、副社長として山下博典氏が招聘されていた。三菱電機で半導体事業を率いた実績を買われてのことだった。根っからの技術者の山下氏は、校條氏のいる研究所にも度々顔を出していた。
「今思うと、演繹思考を持っていらした方です。私のような若造の相手もしてくださって、『与えられたテーマを研究した結果、これがわかりました』だけではダメだ、もっと視野を広げ顧客も意識しなさいと、今で言うマーケティングの重要性も教えてくれました」
山下氏の著書『技術バカではあかん!』(エムジー出版)と『同志技術者諸君』(紀尾井書房)にも、そうしたメッセージが散りばめられていたという。
その後シリコンバレーにおいて、ハイテク分野のコンサルタントの先駆けであるレジス・マッケンナ氏と一緒に仕事をするようになって、その教えを改めて実感した。「マッケンナは、今のソリューションしか知らない顧客は、そのソリューションの外や先にあることは想像できないと言いました。だから顧客に成り代わって未来を想像しなければならない、顧客の代理でなくてはならないというのです」

そうした広い視野と先を読む資質は今、コンサルタントだけでなく経営者にもVCにも、もちろんエンジニアにも求められるようになっている。
なお、マッケンナ氏の洞察については、校條氏が翻訳した『リアルタイム 未来への予言:社会・経済・企業は変わる』(ダイヤモンド社)に詳しい。1990年代半ばにインターネットが商用化された際に、マッケンナ氏が「これから大変なことが起きる。すべてがone to oneでリアルタイムにつながる世界がくる」と興奮しながら話した日のことが忘れられないと、校條氏は言う。「今読むと、当たり前に感じる内容かもしれません。しかしインターネットの勃興期にそれが大きな変革をもたらすと見抜いた人物の思考をたどるのに適しています」
ちなみに、日本でもヒットした『キャズム(Ver.2)』(ジェフリー・ムーア著、川又政治訳、翔泳社)の著者のムーア氏はもともとマッケンナ氏の会社にいたそうだ。校條氏によれば、先進ユーザーと市場の中心的ユーザー層の間に「キャズム」(死の谷)が存在することを示したのはマッケンナ氏であり、それがムーア氏の書籍を通じて一般に広まったというわけだ。
予測のつかない大変化の時代を演繹人材が切り開く
新卒で入社直後は写真用フィルムの開発をしていた校條氏は、新規事業関連部門に移動後、マサチューセッツ工科大学(MIT)に留学をしている。そのMITの書店で見つけたのが『Intrapreneuring』(Gifford Pinchot III著、和訳は『企業内起業家』講談社文庫)だった。「タイトル通り社内起業、イントラプレナーについての本です。その後、類書がたくさん出ていますが、本質も処方箋もすべてこの1冊に書いてありました」

Gifford Pinchot著『Intrapreneuring』(HarperCollins)
社内起業については校條氏の著書『演繹革命』でも、その難しさについて触れられている。「帰納思考の経営陣が経営する企業の中で、演繹思考の人が新しいビジネスを立ち上げて成果を認めてもらうのは、相当難しい。特に、新規事業開発部のように部署が用意されている場合はなおさらです」
なぜなら、新規事業開発部のリーダーは、帰納思考の経営陣から信頼される帰納思考の人物であることが多いからだ。過去を熟知しそこから抜け出せない人は、新しい価値観については「知らずを知る」ことに徹し、演繹思考の人たちを応援する側に回るべきだと校條氏は繰り返す。
古い組織で苦しさを感じる演繹人材は、思い切ってシリコンバレーをめざしたほうがいいのかもしれない。
「ムーアの法則を超えるような変化が、いまAIによって起こりつつあり、これから先どうなるかは、まだ予測がつきません。ただ、予測のつかない大変化が起きても、仮説検証を繰り返し、失敗したらやりなおすというシリコンバレーの本質は変わりません。最近のシリコンバレーでは、黒い髪の挑戦者が増えています。数ではインド人や中国人が圧倒的に多いですし、韓国人も、人数は少ないものの、影響力が大きくなっているのを感じます。では日本人はと言うと、VCの中枢を担うようなポジションにはほんの一握りです。日本人の起業家ももっと出てきてほしい」
校條氏がシリコンバレーで過ごした30年間は、日本では「失われた」と形容されることが多い。今後も失われ続けるのかどうかは、これからを生きる演繹人材にかかっている。
(取材・文=片瀬京子)
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校條浩(めんじょう・ひろし)
ベンチャーキャピタリスト(VC)、先進VC支援、新事業創造アドバイザー。シリコンバレーに本拠を置く NSVウルフ・キャピタル共同代表パートナー。小西六写真工業(現コニカミノルタ)にて写真フィルムの開発に従事し、ボストン・コンサルティング・グループを経て、1991年に米国シリコンバレーに渡る。94年よりハイテクコンサルティングの草分け、マッケンナ・グループのパートナーに就任。2002年にリチャード・メルモンと新事業創造推進のネットサービス・ベンチャーズを共同創業。2011年には、先進VCに出資し、その投資先企業にも協調投資するVC、NSVウルフ・キャピタルをメルモンと立ち上げ、イノベーションを先導している。著書に『演繹革命』(左右社)、『ITの正体』(湧川隆次氏との共著、インプレスR&D)、訳書に『リアルタイム 未来への予言』(レジス・マッケンナ著、ダイヤモンド社)など。
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