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30年間のシリコンバレー生活の総決算
なぜ日本企業はiPhoneを作れなかったのか。なぜ日本からはグーグルやテスラが生まれないのか。巷にあふれるそうした疑問への一つの答えを示す、昨年(2024年)秋に発売された一冊の本が、じわじわと共感の輪を広げている。
『演繹革命:日本企業を根底から変えるシリコンバレー式思考法』(左右社)は、シリコンバレーのスタートアップと日本企業の最大の違いを、思考法に見出している。既知の事実や過去の成功体験に基づいた帰納的な思考を原則とする日本企業に対し、シリコンバレーで急成長するスタートアップは「これからはデジタルの時代」「ローカルからクラウドへ」といった一般論や原理原則を出発点に仮説検証を繰り返し、事業を作り上げていくのだという。これを演繹思考と名付けている。
「30年間、苦労しながらやってきたことの総決算として書いたものです。いろいろな方に読んでいただきたいと思っています」

そう話すのは著者の校條浩(めんじょう・ひろし)氏だ。90年代初頭にシリコンバレーへ渡り、アップルやマイクロソフトなど数々の新興企業を支援してきたレジス・マッケンナ氏らと共にコンサルタントとして働いてきた、“シリコンバレーで最も有名な日本人”の一人だ。シリコンバレーと日本企業の橋渡し役を務め続け、最近はベンチャーキャピタルの共同代表パートナーを務めている。
出版にあたって当初は、5年近く連載していた経済系週刊誌のコラムをまとめて1冊にすることを考えていたという。しかし、それだけでは体裁が整わないと判断し、早稲田大学ビジネススクールの入山章栄教授らとの対談を再収録したほかは、ほぼゼロから書き下ろした。「ただ、根底にある思いは連載の頃から変わっていません」

校條浩著『演繹革命:日本企業を根底から変えるシリコンバレー式思考法』(左右社)
デジタル時代の到来をフィルム業界から予見
日本企業が帰納思考に陥るのはなぜか。校條氏はその要因は学校教育にあると感じている。「『4つの中から正しいものを選びなさい』といった選択肢から正解を選ぶ試験が典型的ですが、正答主義のなかで良い成績を取り、偏差値の高い人から有名な大企業に就職し、社内でも失敗なく仕事をこなし、過去から引き継いだ事業を着実に成長させた人が経営幹部になります。子どもの頃からずっと同じ価値観の中で生きているのです」
そう語る校條氏自身も、かつては帰納思考の影響を免れていなかったという。書籍で紹介されている、ヤフー創業者の一人、ジェリー・ヤンとのエピソードは象徴的だ。
インターネットの勃興期、スタンフォード大学の学生だったジェリー・ヤンは、インターネット上の有益な情報をリスト化した。現在のような高精度の検索システムがなかった当時、このリストはユーザーの間で重宝されるようになった。校條氏は、その便利さは理解していたものの、「それだけではビジネスにならない。収入モデルが必要だ」とジェリーに、今思えばお門違いのアドバイスをしたという。
直近の売上げよりも、とてつもない数のユーザーが集まることが大事という点が理解できていなかった、と校條氏は当時を振り返る。「自分は古い価値観に囚われていました。インターネットという新技術によるインパクトは、私が考えていたものよりも遥かに大きなものでした」

そもそも校條氏がシリコンバレーをめざしたのは、古い価値観に染まっていたくないと考えたからだ。新卒で入社したのは小西六写真工業(現在のコニカミノルタ)で、担当していたのは写真用フィルムの開発だった。当時、写真用フィルムは小西六の主要製品であり収益の柱だった。「ですから私は、これさえやっていれば間違いないんだと考える、帰納法の権化のようなエンジニアでした」
しかし、入社3年目の1981年に事件が起こる。全くの異業種であったはずのソニーから世界初の電子カメラが発表されたのだ。化学的にフィルムに画像を記録するのではなく、半導体を使って電子的に記録するというもので、画質はフィルムの足元にも及ばなかった。とてもライバルとは言えない。それが当時の社内の共通認識だったという。
ほどなくして校條氏は、2年以内で2倍という半導体の急速な高集積化を予測した、ゴードン・ムーアによる「ムーアの法則」の考え方も知った。自ら電子カメラに応用して試算した結果、30年後にはフィルムが電子カメラに駆逐される瞬間を目撃することになるという、驚愕の予測結果が得られた。「社内外を問わずいろいろな人に『このままではまずい』と話しましたが、ほとんど誰からも聞いてもらえませんでした」
実際にコニカミノルタがアナログ写真事業から撤退したのは2006年で、校條氏の試算よりも5年も早い結果となった。こうした現象はまさに、写真業界で起きた「イノベーターのジレンマ」だったと校條氏は言う。
「クレイトン・クリステンセンの有名な本がありますね。ただ、日本語訳の書名の『イノベーションのジレンマ』ではなく、原著の書名の『The Innovator's Dilemma』のニュアンスが大事です。ジレンマは、イノベーションという事象ではなく、イノベーターにつきものなのです。過去に成果を出してきた人・企業はイノベーターであり、だからこそ、過去にこだわり新たな挑戦が難しいのです」

クレイトン・クリステンセン著/玉田俊平太監修、伊豆原弓訳『イノベーションのジレンマ:技術革新が巨大企業を滅ぼすとき(増補改訂版)』(翔泳社)
「知らずを知る」
校條氏は日本とシリコンバレーの両方を知るからこそ、日本企業で働きながら帰納思考から脱したいと考えている人たちの力になろうとしている。「『演繹革命』の出版後、お会いしたことのない多くの方からSNS経由で連絡をいただいています。みなさん、新しいことをしようと、もがいています。それなのに、帰納的な価値観の会社が理解してくれない、プロジェクトが評価されない、着手できたとしても上司が変わったとたんに潰されてしまうといった声が相次いでいます」
企業のトップが社内に確実にいる演繹人材を活かし、企業の成長につなげるには、帰納主義への固執を改めなければならない。『演繹革命』では演繹的な組織の作り方や演繹人材育成にページが割かれているが、変化は難しいとも記されている。「『帰納思考ではダメだ』などと言われると、自分を否定されたように感じて耳をふさいでしまう方もいます。ですから、無理に変われとは言いません。ただ、これまでとは180度違う価値観の世界があることを、まずは知ってほしい」
校條氏はそうした態度を「知らずを知る」と表現する。新しい価値観を知り、それを理解できていないことを潔く認め、わかったふりをせずに、その世界をよくわかっている人に任せる。そうすれば、少なくとも、イノベーションのブレーキを踏むことにはならない。
校條氏は言う。「この本が爆発的に売れることは期待していません。ただ、できるだけ多くの日本企業の役員の部屋に、長く置かれることが私の夢です」
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(取材・文=片瀬京子)

校條浩(めんじょう・ひろし)
ベンチャーキャピタリスト(VC)、先進VC支援、新事業創造アドバイザー。シリコンバレーに本拠を置く NSVウルフ・キャピタル共同代表パートナー。小西六写真工業(現コニカミノルタ)にて写真フィルムの開発に従事し、ボストン・コンサルティング・グループを経て、1991年に米国シリコンバレーに渡る。94年よりハイテクコンサルティングの草分け、マッケンナ・グループのパートナーに就任。2002年にリチャード・メルモンと新事業創造推進のネットサービス・ベンチャーズを共同創業。2011年には、先進VCに出資し、その投資先企業にも協調投資するVC、NSVウルフ・キャピタルをメルモンと立ち上げ、イノベーションを先導している。著書に『演繹革命』(左右社)、『ITの正体』(湧川隆次氏との共著、インプレスR&D)、訳書に『リアルタイム 未来への予言』(レジス・マッケンナ著、ダイヤモンド社)など。
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