「第1回:下積みの過ごし方」はこちら>
「第2回:ワンアウト・ゲームセット」
※ 本記事は、2024年12月12日時点で書かれた内容となっています。
僕は一橋大学で職員としての割り当て仕事をやりながら、並行して受注仕事をやってきました。自分で受注仕事をやるようになって、すぐに気づいたことがあります。それは、受注仕事には敗者復活戦がないということです。組織の中で割り当てられる仕事は、多少失敗したとしてもすぐには解雇されません。その人に何か仕事をやってもらわないと組織として損なので、次の仕事が回ってきます。
ところが受注仕事の場合には、最初の打席で向こうの期待する成果を出せず、塁に出ることなくアウトになってしまうとそこでゲームセット。ワンアウト・ゲームセットというのが、受注仕事の現実です。ホームランである必要はないのですが、1打席目がアウトだったらそこで終了。少なくともそのお客さまに限って言えば、次の仕事はまず来ることがないのが現実です。
厳しく聞こえるかもしれませんが、発注側の立場に立ってみれば当たり前の話です。例えば出先で食事をするために、はじめてあるレストランに入ったとします。当然ですが、それなりの期待を持って注文をする。しかし料理の味や質、サービスが期待を下回ってしまえば、多くの人は二度とその店には行かないでしょう。すなわち、ワンアウト・ゲームセット。これと全く同じことです。
レストランであれば、時々通りがかりの人がお客さまとして来てくれるかもしれません。しかし受注仕事においては、通りがかりの人が来ることはあまりありません。受注仕事の場合、お客さまの方が何かのきっかけでわざわざこちらを選んで発注しています。当然のことながら、通りがかりの場合と比べて、お客さまの期待値は高くなる。そこで一発目に期待を満たすことができないと、相手は落胆する。「もう二度と頼まない」となるのは自然な成り行きです。
ワンアウトでゲームが終わってしまったお客さまが、再び注文をしてくることがあるとすれば、最初の打席のアウトをすっかり忘れてしまった場合。もしくはずっとあとで評判を聞いて、前は全然良くなかったけれど最近は良くなってきたらしいから、試しにもう1回チャンスを与えてみるか、というように相手の気が変わったとき。この2パターンだけです。しかしそんなことはめったに起きません。
しかも僕の仕事について言えば、お客さまが気に入ってくれるかは、そのお客さまの嗜好に大きく左右されます。この辺はレストランと近いかもしれません。味にそれぞれ好みがあって、その人の好みとズレてしまうとどんなに頑張っても満足してもらえない。僕はみそラーメンが好きではないので、すごく有名なおいしいみそラーメンだと言われても行こうとは思いません。そういうことです。注文に対して期待した以上の価値があると思う人もいれば、もうどうやっても「駄目だこりゃ」となる人もいる。こちらとしては、そのお客さまの好みは操作できませんから、受け入れるしかない。
ここまでの話だと、「やはり受注仕事は厳しい……」と思うかもしれませんが、全然そんなことはありません。例えばある組織で働いていて、仕事を割り当てられる場合でも、目の前の上司や同僚というお客さまがいます。彼らの期待を満たさなければなりません。しかも、しくじった後も一つの組織の中で同じお客さまを(しばらくの間は)相手にし続けなければなりません。特定少数の顧客が固定されている。一方受注仕事の場合、お客さまは潜在的にはものすごくたくさんいる。ワンアウト・ゲームセットでひとつの仕事をしくじったら、次の試合に行けばイイ。
これを繰り返しているうちに、だんだんと自分の仕事の価値や土俵が分かってくるようになります。自分に合ったお客さまと、そうでないお客さまの区別がつくようになる。注文を受けると、その注文は自分が受けるべき注文かどうかも見極めがつくようになる。この辺は実際に仕事をしてみないと分かりません。事前にあれこれ考えるより、まずは打席に立って自分のフォームでバットを振り、振り続けることが重要です。(第3回へつづく)

楠木 建
一橋ビジネススクールPDS寄付講座特任教授。専攻は競争戦略。一橋大学大学院商学研究科修士課程修了。一橋大学商学部専任講師、同助教授、ボッコーニ大学経営大学院(イタリア・ミラノ)客員教授、一橋大学大学院国際企業戦略研究科助教授、同ビジネススクール教授を経て2023年から現職。有名企業の経営諮問委員や社外取締役、ポーター賞運営委員(現任)などを歴任。1964年東京都目黒区生まれ。
著書に『楠木建の頭の中 戦略と経営についての論考』(2024年,日本経済新聞出版)、『楠木建の頭の中 仕事と生活についての雑記』(2024年,日本経済新聞出版)、『経営読書記録 表』(2023年,日経BP)、『経営読書記録 裏』(2023年,日経BP)、『絶対悲観主義』(2022年,講談社+α新書)、『逆・タイムマシン経営論』(2020年,日経BP,共著)、『「仕事ができる」とはどういうことか?』(2019年,宝島社,共著)、『室内生活:スローで過剰な読書論』(2019年,晶文社)、『すべては「好き嫌い」から始まる:仕事を自由にする思考法』(2019年,文藝春秋)、『経営センスの論理』(2013年,新潮新書)、『ストーリーとしての競争戦略:優れた戦略の条件』(2010年,東洋経済新報社)ほか多数。
楠木特任教授からのお知らせ
思うところありまして、僕の考えや意見を読者の方々に直接お伝えするクローズドな場、「楠木建の頭の中」を開設いたしました。仕事や生活の中で経験したこと・見聞きしたことから考えたことごとを配信し、読者の方々ともやり取りするコミュニティです。
この10年ほどX(旧・Twitter)を使ってきて、以下の3点について不便を感じていました。
・140字しか書けない
・オープンな場なので、仕事や生活経験の具体的な中身については書きにくい
・考えごとや主張をツイートすると、不特定多数の人から筋違いの攻撃を受ける
「楠木建の頭の中」は僕のXの拡張版というか裏バージョンです。もう少し長く書ける「拡張版」があれば1の問題は解決しますし、クローズドな場に限定すれば2と3の不都合を気にせずに話ができます。加えて、この場であればお読みいただく方々に質問やコメントをいただき、やりとりするのも容易になります。
不定期ですが、メンバーの方々と直接話をする機会も持ちたいと思います。
ビジネスや経営に限らず、人間の世の中について考えることに興味関心をお持ちの方々のご参加をお待ちしております。DMM社のプラットフォーム(月額500円)を使っています。
お申し込みはこちらまで
https://lounge.dmm.com/detail/2069/
ご参加をお待ちしております。
シリーズ紹介
楠木建の「EFOビジネスレビュー」
一橋ビジネススクール一橋ビジネススクールPDS寄付講座特任教授の楠木建氏の思考の一端を、切れ味鋭い論理を、毎週月曜日に配信。
山口周の「経営の足元を築くリベラルアーツ」
山口周氏をナビゲーターに迎え、経営者・リーダーが、自身の価値基準を持つための「リベラルアーツ」について考える。
協創の森から
社会課題の解決に向けたビジョンの共有を図る研究開発拠点『協創の森』。ここから発信される対話に耳を傾けてください。
新たな企業経営のかたち
パーパス、CSV、ESG、カスタマーサクセス、M&A、ブロックチェーン、アジャイルなど、経営戦略のキーワードをテーマに取り上げ、第一人者に話を聞く。
Key Leader's Voice
各界のビジネスリーダーに未来を創造する戦略を聞く。
経営戦略としての「働き方改革」
今後企業が持続的に成長していくために経営戦略として取り組むべき「働き方改革」。その本質に迫る。
ニューリーダーが開拓する新しい未来
新たな価値創造に挑む気鋭のニューリーダーに、その原動力と開拓する新しい未来を聞く。
日本発の経営戦略「J-CSV」の可能性
日本的経営の良さを活かしながら利益を生み出す「J-CSV」。その先進的な取り組みに迫る。
ベンチマーク・ニッポン
日本を元気にするイノベーターの、ビジョンと取り組みに迫る。
デジタル時代のマーケティング戦略
マーケティングにおける「デジタルシフト」を、いかに進めるべきか、第一人者の声や企業事例を紹介する。
私の仕事術
私たちの仕事や働き方の発想を変える、膨らませるヒントに満ちた偉才たちの仕事術を学ぶ。
EFO Salon
さまざまな分野で活躍する方からビジネスや生活における新しい気づきや価値を見出すための話を聞く。
禅のこころ
全生庵七世 平井正修住職に、こころを調え、自己と向き合う『禅のこころ』について話を聞く。
岩倉使節団が遺したもの—日本近代化への懸け橋
明治期に始まる産業振興と文明開化、日本社会の近代化に多大な影響を及ぼした岩倉使節団。産業史的な観点から、いま一度この偉業を見つめ直す。
八尋俊英の「創造者たち」~次世代ビジネスへの視点~
新世代のイノベーターをゲストに社会課題の解決策や新たな社会価値のつくり方を探る。