※ 本記事は、2024年12月12日時点で書かれた内容となっています。
僕は雑誌、新聞、ウェブなどさまざまなメディアへの寄稿や講義・講演など、自分の考えをいろいろなルートでご提供することを仕事にしています。注文が来なければ何も始まらないという「受注仕事」です。
以前から僕は好きで自分の考えを文章にしていましたが、それは注文とは関係なしに勝手にやっていたことで、仕事としては成立していません。一橋大学に就職してからは、「あなたはこの講義の担当です」とか、「来週はこの会議に出なさい」といったように組織から仕事が割り当てられていました。これは仕事ではありますが、受注仕事ではありません。大学以外の受注仕事もやってきました。このEFOビジネスレビューの連載もそのひとつです。
2023年に僕は一橋大学を退職して、寄附講座だけを教える特任教授になりました。これは単年度の契約です。更新されなければ僕の寄付講座は終了となります。これ以外に大学から割り当てられる仕事はありません。2年前、58歳にして完全な受注仕事体制になりました。
受注仕事を始めるのは簡単です。とにかく自分で「こういうことができますよ」と宣言すればいいだけ。入社試験に合格するといったことは必要ない。いつでもどこでも始められます。ところがこっちが宣言しても、向こうから注文が来ないことには何も始まりませんから、実際に仕事として成立させるのはわりと大変です。駆け出しの頃は世の中の人が誰も僕のことを知らない。当然ですけど。まして僕は何ができる人間なのか、あるいはどんなクオリティの仕事をするのかなんて誰もわからない。当たり前ですけど。どこからも注文など来ません。
誰も知らないなら営業をかけて少しでも知ってもらおうとしても、これがそう簡単ではない。特に僕の場合は知識を提供するという、やたらにフワフワした仕事です。事前には価値がわからない。結局は相手が僕を見つけて、注文してくれるのを待つしかない。自分で勝手に看板を上げることは簡単でも、そこから仕事が立ち上がるまでには結構な時間がかかる。これが受注仕事の難しいところです。
何かのチャンスで一発当てて大ブレークすることを思い描いてしまいがちですが、そういうことはまずありません。あとで振り返った時、「そういえばあの頃、ようやく仕事として成り立ってきたのかな」ということが何となく分かる。あくまでも徐々にしか前に進んでいかないものです。受注仕事は、俗に言う下積みというプロセスが必要となります。
誰も注文してくれないし、誰も注目してくれない下積みの時期をどう過ごせばいいのか。僕は以前から繰り返し「良し悪しよりも好き嫌い」が大切だと言っています。受注仕事においては好き嫌いが重要。なぜなら「本人が下積みだと思っていない」ということが下積みを乗り越える最良の方法だからです。先の見えない状況で我慢を強いられるのは、誰だって苦しいはずです。平常心で楽しくやっていけることが大切で、そのためにはその仕事が理屈抜きにスキということしかないと思います。
僕は『好きなようにしてください』という仕事論の本を書いたことがあります。好きなことを仕事にしている方が「好きこそものの上手なれ」で能力を発揮できるというのが一義的な意味なのですが、好きなことは何よりダウンサイドに強い。これがものすごく大きい。受注仕事で行こうという人は、看板を上げる前に自分の好きなことは何なのか、下積みを下積みと苦にせずに過ごせる何かを見つけることが大切だと思います。(第2回へつづく)

楠木 建
一橋ビジネススクールPDS寄付講座特任教授。専攻は競争戦略。一橋大学大学院商学研究科修士課程修了。一橋大学商学部専任講師、同助教授、ボッコーニ大学経営大学院(イタリア・ミラノ)客員教授、一橋大学大学院国際企業戦略研究科助教授、同ビジネススクール教授を経て2023年から現職。有名企業の経営諮問委員や社外取締役、ポーター賞運営委員(現任)などを歴任。1964年東京都目黒区生まれ。
著書に『楠木建の頭の中 戦略と経営についての論考』(2024年,日本経済新聞出版)、『楠木建の頭の中 仕事と生活についての雑記』(2024年,日本経済新聞出版)、『経営読書記録 表』(2023年,日経BP)、『経営読書記録 裏』(2023年,日経BP)、『絶対悲観主義』(2022年,講談社+α新書)、『逆・タイムマシン経営論』(2020年,日経BP,共著)、『「仕事ができる」とはどういうことか?』(2019年,宝島社,共著)、『室内生活:スローで過剰な読書論』(2019年,晶文社)、『すべては「好き嫌い」から始まる:仕事を自由にする思考法』(2019年,文藝春秋)、『経営センスの論理』(2013年,新潮新書)、『ストーリーとしての競争戦略:優れた戦略の条件』(2010年,東洋経済新報社)ほか多数。
楠木特任教授からのお知らせ
思うところありまして、僕の考えや意見を読者の方々に直接お伝えするクローズドな場、「楠木建の頭の中」を開設いたしました。仕事や生活の中で経験したこと・見聞きしたことから考えたことごとを配信し、読者の方々ともやり取りするコミュニティです。
この10年ほどX(旧・Twitter)を使ってきて、以下の3点について不便を感じていました。
・140字しか書けない
・オープンな場なので、仕事や生活経験の具体的な中身については書きにくい
・考えごとや主張をツイートすると、不特定多数の人から筋違いの攻撃を受ける
「楠木建の頭の中」は僕のXの拡張版というか裏バージョンです。もう少し長く書ける「拡張版」があれば1の問題は解決しますし、クローズドな場に限定すれば2と3の不都合を気にせずに話ができます。加えて、この場であればお読みいただく方々に質問やコメントをいただき、やりとりするのも容易になります。
不定期ですが、メンバーの方々と直接話をする機会も持ちたいと思います。
ビジネスや経営に限らず、人間の世の中について考えることに興味関心をお持ちの方々のご参加をお待ちしております。DMM社のプラットフォーム(月額500円)を使っています。
お申し込みはこちらまで
https://lounge.dmm.com/detail/2069/
ご参加をお待ちしております。
シリーズ紹介
楠木建の「EFOビジネスレビュー」
一橋ビジネススクール一橋ビジネススクールPDS寄付講座特任教授の楠木建氏の思考の一端を、切れ味鋭い論理を、毎週月曜日に配信。
山口周の「経営の足元を築くリベラルアーツ」
山口周氏をナビゲーターに迎え、経営者・リーダーが、自身の価値基準を持つための「リベラルアーツ」について考える。
協創の森から
社会課題の解決に向けたビジョンの共有を図る研究開発拠点『協創の森』。ここから発信される対話に耳を傾けてください。
新たな企業経営のかたち
パーパス、CSV、ESG、カスタマーサクセス、M&A、ブロックチェーン、アジャイルなど、経営戦略のキーワードをテーマに取り上げ、第一人者に話を聞く。
Key Leader's Voice
各界のビジネスリーダーに未来を創造する戦略を聞く。
経営戦略としての「働き方改革」
今後企業が持続的に成長していくために経営戦略として取り組むべき「働き方改革」。その本質に迫る。
ニューリーダーが開拓する新しい未来
新たな価値創造に挑む気鋭のニューリーダーに、その原動力と開拓する新しい未来を聞く。
日本発の経営戦略「J-CSV」の可能性
日本的経営の良さを活かしながら利益を生み出す「J-CSV」。その先進的な取り組みに迫る。
ベンチマーク・ニッポン
日本を元気にするイノベーターの、ビジョンと取り組みに迫る。
デジタル時代のマーケティング戦略
マーケティングにおける「デジタルシフト」を、いかに進めるべきか、第一人者の声や企業事例を紹介する。
私の仕事術
私たちの仕事や働き方の発想を変える、膨らませるヒントに満ちた偉才たちの仕事術を学ぶ。
EFO Salon
さまざまな分野で活躍する方からビジネスや生活における新しい気づきや価値を見出すための話を聞く。
禅のこころ
全生庵七世 平井正修住職に、こころを調え、自己と向き合う『禅のこころ』について話を聞く。
岩倉使節団が遺したもの—日本近代化への懸け橋
明治期に始まる産業振興と文明開化、日本社会の近代化に多大な影響を及ぼした岩倉使節団。産業史的な観点から、いま一度この偉業を見つめ直す。
八尋俊英の「創造者たち」~次世代ビジネスへの視点~
新世代のイノベーターをゲストに社会課題の解決策や新たな社会価値のつくり方を探る。