「第1回:テニスのない人生はない」
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テニスが実現した対談
細矢
今日はお忙しい中お時間をいただき、ありがとうございます。はじめに私から自己紹介をさせていただきます。私は1988年に日立製作所に入社しまして、システムエンジニアとして主に公共系のシステム開発を行ってきました。例えば特許関連プロジェクトでは、過去の膨大な特許資料の中から同じものがないかどうかを検索するシステムを、長期に渡って開発してきました。
今はクラウドサービスプラットフォームビジネスユニットのCEOとして、お客さまのDXやビジネス課題解決のために必要なハードウェアやソフトウェア、クラウドなどをプラットフォームとして提供するソリューション開発に取り組んでいます。
私は中学生の時に部活動として軟式テニスを始めて、高校、大学、そして現在までずっと続けてきました。ビヨン・ボルグやジョン・マッケンロー、ジミー・コナーズといった選手の試合をテレビで見ていた世代です。そして社会人生活を送りながら、世界に挑む伊達さんの試合ももちろんリアルタイムで観戦してきました。私たち日立も、社会イノベーション事業を通じて世界にチャレンジしていますので、今日は伊達さんとそのようなお話ができればと思っています。
伊達
よろしくお願いします。
細矢
最初に、伊達さんの近況について教えてください。
伊達
私は2回目の引退をしてから約7年がたちますが、引退した直後に痛めていた肩の手術をしました。それと並行して早稲田大学大学院スポーツ科学研究科に1年間通い、『日本人テニスプレーヤーの世界トップレベルでの活躍を阻むコートサーフェス』というテーマで修士論文を書きました。当時日本のテニスコートの50%以上を占めていた砂入り人工芝への違和感を、本格的なアンケートを行って分析・研究したものです。その後、プロ転向時からお世話になっているスポーツメーカー“ヨネックス株式会社”(以下、YONEX)と共に17歳以下の女子を対象にした育成プロジェクト「Go for the GRAND SLAM」を始めまして、もう6年目になります。自分でも想像していなかったのですが、始めてみたら思いのほか熱中してしまって今はどっぷりそこに時間を割いているような日々です。
細矢
それは元テニスプレーヤーの杉山愛さんたちと始められた育成プロジェクトのことですか。
伊達
そちらはJapan Women’s Tennis Top50 Club(通称JWT50)という一般社団法人を立ち上げて始めたもので、YONEXとは別のプロジェクトです。JWT50は、過去に世界の50位以内を経験した有志のメンバーで若い選手たちを支援する活動で、立ち上げのときは8人でしたが現在は11人で活動しています。こちらでは、ジュニアからプロになったばかりの選手たちが世界をめざす上で必要な世界ランキングのためのポイントを取得できる国際大会を設立し、昨年は全国で6つの大会を開催しました。
YONEXの育成プロジェクト「Go for the GRAND SLAM」では、オーディションで選んだジュニア選手のための定期的なキャンプとともに、3つのジュニア国際大会を設立しました。グランドスラムジュニアに出場するためには、ITF(※)ジュニア大会でポイントを獲得して世界ランカーになる必要があるのですが、日本で行われる大会はその数が十分ではなかったので、ITFジュニアのポイントが獲得できる国際大会を作りました。こうした大会で私は会場に行って、ジュニアたちと一緒に過ごす時間の中で、成長振りを見守りつつこの先にジュニアたちに何が必要かも感じ取るようにしています。先週も岐阜に行っていました。
※ International Tennis Federation:国際テニス連盟
細矢
岐阜というのは、テニスが盛んであるとか環境が整っているといったようなジュニア大会を開催する何かポイントがあるのでしょうか。
伊達
岐阜は、私のセカンドキャリアの復帰戦を行った場所で、当時はやはりコートが砂入りの人工芝だったのですが、知事にお願いしてハードコートに変更していただいた最初の場所なのです。
細矢
修士論文の研究が実を結んだということですね。
伊達
コート改修は大学院へ行く前には完成しています。修士論文では岐阜の稼働率の変化などのデータを使わせていただきました。岐阜県知事にお会いした時はセカンドキャリアを始めた時で、硬式テニスの国際大会が行われるサーフェス(表面)は、ハードコート、天然芝、赤土の3つで、砂入り人工芝というのは世界基準に入っていません。これから世界をめざしていくジュニアたちは、世界基準のサーフェスで練習をするべきだということで改修していただきました。
硬式とは異なる軟式テニスの特徴
伊達
細矢さんがテニスをはじめられたきっかけは、何だったのですか。
細矢
小学校の頃に、友達が近くのテニスコートのレッスンに通っていて、うらやましいと思っていました。中学に入ると部活動でテニス部があり、野球やサッカーは得意ではなかったので、そこに入ったという感じです。
伊達
実際にはじめてみたら、すぐにハマってしまった?
細矢
はい、完全にハマりました。それは今でもハマっています。
伊達
軟式テニスの魅力について、教えてください。
細矢
軟式はシングルスがほとんどなくて、ダブルスが基本です。最近はサーブも交代で打つルールに変わってきましたが、以前は前衛と後衛はずっと固定でした。硬式は6ゲーム先取で戦いますが、軟式の試合では、7ゲームが多く、4ゲームを先取した方が勝ちになるので、一方的な試合だとあっという間に終わってしまいます。ですから集中して流れをつかめば、強い人に勝つチャンスがありますし、それまで調子が良くても流れがつかめないとあっさり負けてしまう。私はそれが軟式テニスの面白さだと思います。
伊達
硬式と軟式でそんなに大きくルールが違うこと、はじめて知りました。
伊達 公子(Kimiko Date)
1970年9月28日、京都府生まれ。6歳からテニスを始める。兵庫県の園田学園高校3年時のインターハイでシングルス・ダブルス・団体の3冠を達成。1989年、高校卒業と同時にプロテニスプレーヤーに転向した。1990年、全豪でグランドスラム初のベスト16入り。1993年には全米オープンベスト8に進出。1994年のNSWオープン(シドニー)では海外ツアー初優勝後、日本人選手として初めてWTAランキングトップ10入り(9位)を果たす。1996年11月、WTAランキング8位のまま引退した。2008年4月プロテニスプレーヤーとして「新たなる挑戦」を宣言し、37歳で11年半ぶりの現役に復帰。2017年9月12日のジャパンウイメンズオープンを最後に2度目の引退をした。その後、2018年に早稲田大学大学院スポーツ科学研究科に入学し、1年間の修士課程を修了。テニス解説やジュニア育成、テニスコート&スポーツスタジオのプロデュースなど、多方面で活躍中。
細矢 良智(Yoshinori Hosoya)
1988年4月 日立製作所入社。2013年、情報・通信システム社公共システム事業部公共ソリューション第二本部本部長。2014年10月、情報・通信システム社システムソリューション事業本部公共システム事業部事業主管。2017年、公共社会ビジネスユニット公共システム事業部長。2021年、社会ビジネスユニットCOO。2023年、執行役常務 クラウドサービスプラットフォームビジネスユニットCOO。2024年、執行役常務 クラウドサービスプラットフォームビジネスユニットCEO。
シリーズ紹介
楠木建の「EFOビジネスレビュー」
一橋ビジネススクール一橋ビジネススクールPDS寄付講座特任教授の楠木建氏の思考の一端を、切れ味鋭い論理を、毎週月曜日に配信。
山口周の「経営の足元を築くリベラルアーツ」
山口周氏をナビゲーターに迎え、経営者・リーダーが、自身の価値基準を持つための「リベラルアーツ」について考える。
協創の森から
社会課題の解決に向けたビジョンの共有を図る研究開発拠点『協創の森』。ここから発信される対話に耳を傾けてください。
新たな企業経営のかたち
パーパス、CSV、ESG、カスタマーサクセス、M&A、ブロックチェーン、アジャイルなど、経営戦略のキーワードをテーマに取り上げ、第一人者に話を聞く。
Key Leader's Voice
各界のビジネスリーダーに未来を創造する戦略を聞く。
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今後企業が持続的に成長していくために経営戦略として取り組むべき「働き方改革」。その本質に迫る。
ニューリーダーが開拓する新しい未来
新たな価値創造に挑む気鋭のニューリーダーに、その原動力と開拓する新しい未来を聞く。
日本発の経営戦略「J-CSV」の可能性
日本的経営の良さを活かしながら利益を生み出す「J-CSV」。その先進的な取り組みに迫る。
ベンチマーク・ニッポン
日本を元気にするイノベーターの、ビジョンと取り組みに迫る。
デジタル時代のマーケティング戦略
マーケティングにおける「デジタルシフト」を、いかに進めるべきか、第一人者の声や企業事例を紹介する。
私の仕事術
私たちの仕事や働き方の発想を変える、膨らませるヒントに満ちた偉才たちの仕事術を学ぶ。
EFO Salon
さまざまな分野で活躍する方からビジネスや生活における新しい気づきや価値を見出すための話を聞く。
禅のこころ
全生庵七世 平井正修住職に、こころを調え、自己と向き合う『禅のこころ』について話を聞く。
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明治期に始まる産業振興と文明開化、日本社会の近代化に多大な影響を及ぼした岩倉使節団。産業史的な観点から、いま一度この偉業を見つめ直す。
八尋俊英の「創造者たち」~次世代ビジネスへの視点~
新世代のイノベーターをゲストに社会課題の解決策や新たな社会価値のつくり方を探る。