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2023年9月、通天閣は四半世紀ぶりの全体改修工事を終えリニューアルを果たした。今や大阪のシンボルとして国内外に知られる存在だが、1956年の竣工からの道のりは決して平坦なものではなく、長く入場者数の低迷に苦しんだ時期もあった。さまざまな面から通天閣の経営を改革し、お膝元の新世界に今日の賑わいをもたらした立役者が、通天閣観光株式会社代表取締役社長 高井隆光(りゅうこう)氏だ。高井氏が手掛けてきた経営改革の一つひとつを紐解き、いかに通天閣の価値を積み上げ、高めていったのかを5回にわたり明らかにしていく。

「第1回:「広報」を「広告」に変換する」
「第2回:「ビリケンさん」で全国から集客を」はこちら>
「第3回:手薄だった「物販チャネル」の開拓」はこちら>
「第4回:通天閣そのものの「新たな魅力」づくり」はこちら>
「第5回:職場環境としての通天閣の魅力」

塔体をグレーからポップシルバーへ。生まれ変わった通天閣

大阪市浪速区の繁華街・新世界に建つ通天閣が、実は2代目であることをご存じだろうか。初代通天閣は大阪財界を中心に創立された大阪土地建物株式会社により1912年に建設されたが、戦時中の1943年に近隣の火災が原因で姿を消した。戦後、街が賑わいを取り戻すと「通天閣再建」の機運が高まる。地元有志が起業した通天閣観光株式会社が運営母体となり、1956年に念願の2代目通天閣が建設された。その翌年から日立が広告看板を掲出し、現在に至っている。同社の代表取締役社長を務める高井隆光氏は、かつて社長、会長を務めていた故・高井昇氏の孫に当たる。祖父の背中を追って2005年に入社し、2019年に社長に就任した。

画像: 新世界の南側の商店街から見た通天閣。高さ108m

新世界の南側の商店街から見た通天閣。高さ108m

――通天閣は2023年9月に改修工事が完了し、印象が大きく変わりました。リニューアルの狙いをお聞かせいただけますか。

高井
今回の改修は1996年以来の大規模な工事となりました。前回の改修から四半世紀経過したことで塔体のサビも目立ってきましたし、2025年開催の大阪・関西万博も見据えた、大規模なリニューアルとなりました。日立製作所が実施した広告看板の改修工事では、従来のネオンサインから全面LED化され、長寿命化と省エネが図られました。同時に我々通天閣観光としては、塔体の塗装にかつての濃いグレーではなくポップシルバーという白に近い色を採用しました。結果、ライトアップの色が塔体に反映されやすくなり、通天閣全体をよりきらびやかに見せています。

時代に応じた変化を日々続けていくことこそ、通天閣を後世に残すための道だと僕は信じています。幸い、地域の方々のみならずインバウンドを含む観光客の方々からも新しい通天閣はご好評いただいています。次世代に向けて一歩を踏み出すという意味でも、今回リニューアルして本当によかったと感じています。

祖父・高井昇氏の背中を追って入社

――高井さんは、かつて通天閣観光の社長をされていた故・高井昇さんのお孫さんとして生まれました。子どもの頃の高井さんにとって、通天閣はどのような存在でしたか。

高井
1974年に生まれてからずっと新世界で育ったので、日々の生活の中にごく当たり前に通天閣がありました。かつて、通天閣の頭頂部は天気予報としても機能していました。外で友達と遊んでいるときに何気なく通天閣のてっぺんを見ると、白く光っている。「明日は晴れだな」。当時は時報もありました。時報が6回鳴ったら「もう6時だから家に帰ろう」――毎日、通天閣の存在を感じて生活していました。

画像: 通天閣観光株式会社 高井隆光氏

通天閣観光株式会社 高井隆光氏

――おじいさまの高井昇さんに対しては、子ども時代どんな思いを抱いていましたか。

高井
街のシンボルの経営に誇りを持って携わっていることを子ども心にも感じていましたから、尊敬していました。いずれ自分も、何かしらの形で経営に関わる日が来るかもしれないという思いもおぼろげながらありました。

一方で、長ずるにつれて「新世界=大阪のディープな街」という世間のイメージに徐々に気づくようになりました。同年代の友人たちが家業を継がず新世界から離れてしまい、シャッター街化が進んでいく様子を歯がゆく見ていました。

新世界がもっと活気のある街になってほしい。通天閣がもっと華やかな存在であってほしい。そのためにも、通天閣という強力なコンテンツの魅力をもっと上手に発信する術があるのではないか――そんな思いを胸に秘めていたのですが、大学卒業後は流通業の企業に就職し、新世界の外で働き出しました。

――2005年、高井さんは通天閣観光に入社されます。当時、どのような思いを持っていましたか。

高井
祖父が病に倒れたことが入社のきっかけでした。突然でしたし、僕自身まだ30歳でしたから、プレッシャーと責任の重さを感じていました。しっかりと祖父の後を継いで頑張らねばという思いと、幼少の頃から募っていた「生かしきれていない通天閣」の潜在的な価値をなんとしてでも引き出したいという思いが交錯していました。

画像: 現在の新世界。平日の夜間も外国人観光客を中心に賑わっている(2023年9月撮影)

現在の新世界。平日の夜間も外国人観光客を中心に賑わっている(2023年9月撮影)

「電話取る取る大作戦」

――入社当時、通天閣はどのような状態にあったのでしょうか。

高井
僕が子どもだった1980年代には年間20万人台だった入場者数が、入社した頃には70万人前後まで盛り返していました。それでも経営は順調というわけではなく、株主配当ができない時期が続いていました。今でこそアルバイトを含めて80人ほどの従業員がいますが、その当時はアルバイトを含めてもわずか10人程度。人手が足りないので、通天閣は18時に営業終了。新世界も今のように18時以降営業しているお店はかなり少なく、夜になると暗く静かな街でした。

――通天閣の潜在能力を引き出すために、入社後まずどのような取り組みをされましたか。

高井
職場には「一緒に〇〇しませんか」という打診の電話が外部からしょっちゅうかかってきていました。ただ、少ない人数でいろいろな業務をこなしていたため、新しい取り組みに時間と人員を割ける状態になく、外部と関わることに消極的な文化が根づいていました。

せっかく入社したからには、すでにある仕事を淡々とこなすのではなく、新しい仕事を獲りに行くことで、経営に何かしらプラスとなる影響を与えよう――そう考えて自分なりに始めた取り組みが、「電話取る取る大作戦」でした。自分から広報の仕事を獲っていこう、と。

画像: ――通天閣の潜在能力を引き出すために、入社後まずどのような取り組みをされましたか。

電話にせよファックスにせよ、外部からの問い合わせには僕がすぐに対応しました。そして、「外部からの提案をどんどん受け入れていく」という通天閣の新たなスタンスを示していったのです。予算を割けない中でも外部にPRしていくには、「広報」をいかに「広告」に変換していくかという発想が大事です。メディアの力を借りたり、さまざまな場所でのイベントに積極的に参加したりすることで、広報という名の広告的発信に努めました。この積み重ねが、のちに「ビリケンさん」を活用した施策につながるのです。

「第2回:「ビリケンさん」で全国から集客を」はこちら>

画像: 大阪 通天閣――潜在価値を引き出す経営
【第1回】「広報」を「広告」に変換する

高井隆光(たかい りゅうこう)

通天閣観光株式会社 代表取締役社長
1974年大阪府生まれ。奈良産業大学(現・奈良学園大学)卒。1997年、マイカル(現・イオンリテール)入社。大阪の店舗で婦人服などを担当。2005年、通天閣観光に入社。2019年より現職。全日本タワー協議会幹事も務める。

【コラム】60年以上続く年末の風物詩「干支の引き継ぎ式」

2023年12月27日、通天閣の地上階にて「干支の引き継ぎ式」が開催された。竣工された1956年から続く年末の恒例行事で、その年と翌年の干支に当たる動物が対面し、世相を盛り込んだ一年間の反省と翌年の抱負を談話形式で語り合うというものだ。コロナ禍ではオンライン配信や隣接する天王寺動物園での非公開開催を余儀なくされたが、4年ぶりに通天閣で一般公開された。冬の朝にもかかわらず多くの報道陣が駆け付け、観光客や地元住民も式の一部始終を見守った。

画像: 通天閣観光株式会社 代表取締役会長の西上雅章氏に抱かれた2023年の干支、ウサギ(卯)。その右には、2024年の口上人を務めたセレッソ大阪 OBの大久保嘉人氏と同代表取締役社長 森島寛晃氏。大久保氏と森島氏の前の水槽では2024年の干支、タツノオトシゴ(辰)が泳いでいる

通天閣観光株式会社 代表取締役会長の西上雅章氏に抱かれた2023年の干支、ウサギ(卯)。その右には、2024年の口上人を務めたセレッソ大阪 OBの大久保嘉人氏と同代表取締役社長 森島寛晃氏。大久保氏と森島氏の前の水槽では2024年の干支、タツノオトシゴ(辰)が泳いでいる

2023年の干支「卯」から2024年の「辰」への引き継ぎとなったこの日、雌のウサギ「らて」と3匹のタツノオトシゴ「ツウ」「テン」「カク」が対面。はじめに通天閣観光株式会社 代表取締役会長の西上雅章氏が地元関西のプロ野球チーム、オリックスバファローズと阪神タイガースのリーグ優勝に触れ、「18年ぶりのアレなど、ピョンピョン跳ねたいぐらいの嬉しいことがたくさんありました!」とウサギになぞらえて2023年の口上を披露した。

画像: ウサギに扮し、2023年を振り返る口上を読み上げる通天閣観光株式会社 西上雅章氏

ウサギに扮し、2023年を振り返る口上を読み上げる通天閣観光株式会社 西上雅章氏

次に、地元大阪のプロサッカーチーム、セレッソ大阪の森島寛晃 代表取締役社長と同チームのOBでセレッソ大阪30周年アンバサダーの大久保嘉人氏が「リュウリュウ(隆々)と勢いに乗った、じょうしょうきリュウ(上昇気流)の一年になりますように!!」と、竜にかけて2024年の抱負を宣言。大阪らしく会場の笑いを誘いながら明るく締めくくった。

画像: 2024年の干支、タツノオトシゴは鹿児島の「タツノオトシゴハウス」からやって来た

2024年の干支、タツノオトシゴは鹿児島の「タツノオトシゴハウス」からやって来た

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