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「第4回:前提を覆す。」
※ 本記事は、2024年1月19日時点で書かれた内容となっています。
イーロン・マスクの凄味は「前提を覆す力」にあります。普通の人間の常識的な基準で言えば、異常にリスクを愛し、人の気持ちなどお構いなしのマスクは、まごうことなき「くそ野郎(日本語版『イーロン・マスク』原文ママ)」です。人格的に問題があることは間違いない。ただ、こういう人が世の中に必要とされるのも、また事実。マスクのような人にしかできないことがあり、それを成し遂げる才能は確かにある。
その最たるものが、前提を覆す力です。自分の目の前にある状況を、その元の元まで遡って既存の思い込みを否定し、破壊していく。
スペースXを起業した頃、マスクは「ばかやろう指数(日本語版原文ママ)」を考案します。材料の価格を分母に、完成品の価格を分子にして算出した結果が「ばかやろう指数」。ロケット産業のようなニッチな分野だと、部品はことごとく「ばかやろう指数」が高い。数値が50になることもザラだったそうです。そこでマスクは、スペースXのロケット製造を外部のサプライヤーに依存せず、できる限り内製化しようとします。
エンジンのノズルを制御するアクチュエーターという重要な部品があります。外注すると1基12万ドル。マスクはこれを5千ドルで内製するよう部下に指示します。いろいろ試した末、洗車機で液体の混合に使われているバルブを改造すればロケット燃料にも使えることがわかり、大幅なコスト引き下げを実現します。
マスクは、既存の要件を疑うことが大好きです。彼に言わせれば、疑う余地のない要件は、物理学の法則に規定されるものだけだ――。こういうところが確かにすごい。
マスクの経営におけるキーワードの1つが内製化です。とにかく全部自分の思いどおりにやって前提を覆していくことが大好きなので、テスラでもなるべく社外のサプライヤーに頼らず、主要部品を内製するという垂直統合の方針を早くから打ち出しています。これが、テスラが量産メーカーとして成功するに至った基盤になっていることは間違いない。
前提を疑うという点では、スティーブ・ジョブズも似たタイプでした。ただ、ジョブズは「プロダクトのデザインとソフトウエアさえきっちり押さえれば、あとはいい」という考え方。組み立ての工程は外部に任せればいい。Appleはファブレスです。
作っている製品の性格が違うので単純な比較はできませんが、ジョブズと比べるとマスクは、生産プロセスはもちろん、材料をつくる巨大な工場まで全部自分の思いどおりにやろうとする。もちろん背景には、マスクの垂直統合戦略に共鳴した人たちの努力があり、今のテスラがある。それにしても大したものです。
テスラの成功の源泉は、プロダクトそのものではなく、プロダクトを効率的に作る力にあります。「マシンを作るマシン」をどう作るか――つまり、工場をどう設計するのかにマスクはフォーカスしました。設計と生産を一体化し、高速フィードバックで日々改善を繰り返す。テスラがかつての生産地獄を乗り越えて現在の量産メーカーに脱皮した背景には、この基本哲学がありました。
マスクには、5段階からなる彼独自のアルゴリズムがあります。以下、『イーロン・マスク』からの一部引用です。
1、要件はすべて疑え。
2、部品や工程はできる限り減らせ。減らし過ぎて後で戻すことになるかもしれないが、それはそれでいい。
3、シンプルに、最適にしろ。ただし、必ず2の後にやる。必要な部品やプロセスをシンプルにしても意味がない。
4、サイクルタイムを短くしろ。工程は必ずスピードアップできる。ただし、3を実現した後にやる。――テスラは初期にいきなりサイクルタイムを短くしようとして大失敗しているので、その経験が生きています。
5、自動化しろ。自動化はあくまでも最終段階だ。
マスクは、突飛なことをやっているように見えて、その実モノづくりの王道を行っています。今後、電気自動車業界は激しい競争に突入していくわけですが、既存の自動車メーカーはマスクのアルゴリズムに大いに学ぶべきところがある。もしかしたら、ガソリンエンジン車における「トヨタ生産方式」くらいの奥深さがあるかもしれません。この辺、大いに学ぶべきところがあります。
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楠木 建
一橋ビジネススクールPDS寄付講座特任教授。専攻は競争戦略。一橋大学大学院商学研究科修士課程修了。一橋大学商学部専任講師、同助教授、ボッコーニ大学経営大学院(イタリア・ミラノ)客員教授、一橋大学大学院国際企業戦略研究科助教授、同ビジネススクール教授を経て2023年から現職。有名企業の経営諮問委員や社外取締役、ポーター賞運営委員(現任)などを歴任。1964年東京都目黒区生まれ。
著書に『絶対悲観主義』(2022年,講談社+α新書)、『逆・タイムマシン経営論』(2020年,日経BP,共著)、『「仕事ができる」とはどういうことか?』(2019年,宝島社,共著)、『室内生活:スローで過剰な読書論』(2019年,晶文社)、『すべては「好き嫌い」から始まる:仕事を自由にする思考法』(2019年,文藝春秋)、『経営センスの論理』(2013年,新潮新書)、『ストーリーとしての競争戦略:優れた戦略の条件』(2010年,東洋経済新報社)ほか多数。
楠木特任教授からのお知らせ
思うところありまして、僕の考えや意見を読者の方々に直接お伝えするクローズドな場、「楠木建の頭の中」を開設いたしました。仕事や生活の中で経験したこと・見聞きしたことから考えたことごとを配信し、読者の方々ともやり取りするコミュニティです。
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