「第1回:ポーター賞の審査基準。」はこちら>
「第2回:戦略はトレードオフにあり。」はこちら>
「第3回:『やらないこと』を決め、『やること』を徹底する。」はこちら>

※本記事は、2021年1月7日時点で書かれた内容となっています。

引き続きポーター賞受賞事業の話です。これまではトレードオフの話が中心でしたが、今回はコンセプトという切り口でご紹介したいと思います。このEFOでも何度も触れてきましたが、戦略ストーリーの起点にあるのは、コンセプトです。「本当のところ誰に何を売るのか」、この問いに対する答えがコンセプトです。

「よなよなエール」でご存知の方は多いと思いますが、ヤッホーブルーイングはクラフトビールに特化したビール会社です。エールビールだけにフォーカスして、ラガービールはやらない。ここにすでに明確なトレードオフがありますが、この会社が売っているものはビールそのものというよりも、「クラフトビール体験」なんです。「ビールに味を、人生に幸せを」というスローガンの通りで、新たなビール文化を作ってビールファンに「日常のささやかな幸せ」を届ける。これが戦略の起点になっているコンセプトです。

例えばビアフェス。普通のビアフェスは、新しいお客さんを獲得したり、新しいブランドを知ってもらう、要するに売上獲得を目的として実施されます。ところがヤッホーブルーイングのファンイベントは、顧客との結び付き、エンゲージメントの向上のために開催されています。商品が売れるかどうかは二の次で、ヤッホーの世界観を理解してもらい、お客さまとより深いつながりを持つことを目的にしている。

コロナ騒動でイベントが自粛になっても、ヤッホーブルーイングは「超宴」という2015年からやっているイベントを、オンラインで「おうち超宴」として続けています。これには1万人ぐらいのファンが参加するそうです。ヤッホーブルーイングでは、顧客対応における熱狂度が社内で重要なKPIになっています。この顧客対応で驚いた話があります。

年間契約のサブスクリプションでヤッホーのビールを購入していたファンから、途中退会させてほしいという連絡があったそうです。スタッフが連絡をとって事情を聴くと、このお客さまは南極地域観測隊として南極に行くことになったので、長期間日本を離れるから退会するということがわかった。こういうコミュニケーションが常時お客さまとの間に成立しているというのもすごいのですが、このスタッフはお客さまの出発日をしっかりと聞いていた。そして出発の日に、長野から「よなよなエール」を持参して成田空港へ見送りに行ったそうです。

これをやられた顧客は一生ヤッホーを飲み続けるかもしれません。ビール体験をコンセプトにするというのはまさにこういうことです。多くの会社が「ものからことへ」といっているのですが、ヤッホーの「こと」売りは腰の入り方が違う。大手ビールメーカーは、常に「市場拡大」一辺倒でやってきました。それに対してヤッホーブルーイングは、一人のお客さまに深く長く飲み続けてもらう「市場濃縮」という戦略をとっています。ここが本質的な違いで、それもこれもコンセプトが他者と明確に違っているからです。

「エン転職」という転職サイトを運営しているエン・ジャパンも、ユニークなコンセプトから戦略ストーリーを組み立てている会社です。普通の転職サービスは、求人広告掲載料が収入源になりますから、転職を繰り返す人が多ければ多いほど儲かる。当然の成り行きとして、採用のための予算を持っている企業の人事部門を向いた商売となります。これに対して、エン・ジャパンは、転職する人の入社後の定着と活躍にゴールを置いているのです。

「エン転職」のプロモーションのタグラインは、「仕事を大切に、転職は慎重に」。これはこの会社のコンセプトそのものです。エン・ジャパンは広告を掲載するすべての企業を自分たちで取材し、正直な情報開示に同意しない企業の広告は受注しない。否定的なコメントがあれば、それを含めて情報を提供するといったルールを設けることで、数ある転職メディアの中で独自の価値を作り出しています。重要なのは転職した人の定着と活躍なので、入社後の定着支援のために3年間、いろんなサポートを転職者に提供しています。いまこの姿勢が評価されて、業績も好調です。

画像: ポーター賞で学ぶ競争戦略-その4
戦略の起点はコンセプトにあり。

楠木 建

一橋ビジネススクール教授
1964年東京生まれ。幼少期を南アフリカで過ごす。一橋大学大学院商学研究科博士課程修了(1992)。一橋大学商学部専任講師、一橋大学商学部助教授、一橋大学イノベーション研究センター助教授、ボッコーニ大学経営大学院(イタリア・ミラノ)客員教授、一橋大学大学院国際企業戦略研究科准教授、2010年より現職。

著書に『逆・タイムマシン経営論』(2020,日経BP社)、『室内生活 スローで過剰な読書論』(2019、晶文社)、『すべては「好き嫌い」から始まる』(2019、文藝春秋)、『「好き嫌い」と才能』(2016、東洋経済新報社)、『好きなようにしてください:たった一つの「仕事」の原則』(2016、ダイヤモンド社)、『「好き嫌い」と経営』(2014、東洋経済新報社)、『戦略読書日記』(2013、プレジデント社)、『経営センスの論理』(2013、新潮新書)、『ストーリーとしての競争戦略:優れた戦略の条件』(2010、東洋経済新報社)などがある。

「第5回:戦略はすべて特殊解。」はこちら>

楠木教授からのお知らせ

思うところありまして、僕の考えや意見を読者の方々に直接お伝えするクローズドな場、「楠木建の頭の中」を開設いたしました。仕事や生活の中で経験したこと・見聞きしたことから考えたことごとを配信し、読者の方々ともやり取りするコミュニティです。
この10年ほどTwitterを使ってきて、以下の3点について不便を感じていました。

・140字しか書けない
・オープンな場なので、仕事や生活経験の具体的な中身については書きにくい
・考えごとや主張をツイートすると、不特定多数の人から筋違いの攻撃を受ける

「楠木建の頭の中」は僕のTwitterの拡張版というか裏バージョンです。もう少し長く書ける「拡張版」があれば1の問題は解決しますし、クローズドな場に限定すれば2と3の不都合を気にせずに話ができます。加えて、この場であればお読みいただく方々に質問やコメントをいただき、やりとりするのも容易になります。
不定期ですが、メンバーの方々と直接話をする機会も持ちたいと思います。
ビジネスや経営に限らず、人間の世の中について考えることに興味関心をお持ちの方々のご参加をお待ちしております。DMM社のプラットフォーム(月額500円)を使っています。

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ご参加をお待ちしております。

楠木健の頭の中

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[特集]ポストコロナの社会とビジネス

破壊の先にある創造へ――。「グレート・リセット」後に求められる社会とビジネスのあり方を、各界の有識者の言葉から探ります。
※グレート・リセット:2021年夏に開催される予定の次回世界経済フォーラム年次総会、通称ダボス会議におけるテーマ

楠木建の「EFOビジネスレビュー」

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山口周の「経営の足元を築くリベラルアーツ」

山口周氏をナビゲーターに迎え、経営者・リーダーが、自身の価値基準を持つための「リベラルアーツ」について考える。

八尋俊英の「創造者たち」~次世代ビジネスへの視点~

八尋俊英日立コンサルティング社長を導き手とし、新世代のイノベーターをゲストに社会課題の解決策や新たな社会価値のつくり方を探る。

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全生庵七世 平井正修住職に、こころを調え、自己と向き合う『禅のこころ』について話を聞く。

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明治期に始まる産業振興と文明開化、日本社会の近代化に多大な影響を及ぼした岩倉使節団。産業史的な観点から、いま一度この偉業を見つめ直す。

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