長谷川氏は、なぜ「お母さんのための事業」を展開するスタートアップを立ち上げたのか。広告代理店のクリエイター、医療系ベンチャー企業のCIOなどのキャリアを積む中、きっかけとなったのが母親との死別だった。以前は「まったく考えていなかった」という起業に至るまでの過程には、「お母さん」という存在への感謝が貫かれていた。

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起業は、まったく考えたこともなかった

1983年に生まれた長谷川氏。父親がデザイン事務所を経営していたこともあり、小学生の頃から家でパソコンにふれる機会はあった。父親のパソコンでグラフィック系ソフトを触り、自らマクロを組んだ。ソフトが自分の指示通りに動くのがおもしろかったという。

「そんな環境だったので、漠然と将来はデザイン系の方面に進むんだろうという思いはありました。一方で、起業したいとはまったく思ったことがなかったですね。父は、平日は夜遅くまで、週末も家で仕事をしていましたし、『会社経営は大変なんだろうな』と感じていたことも、背景にあるかもしれません」

大学生になった長谷川氏は、父親の友人が経営する広告制作会社でアルバイトを始める。曰く「コピーライターの丁稚奉公」。一方、たとえアルバイトでも、経験があれば就職活動で有利になるだろうという狙いもあった。そのかいあって新卒で広告代理店に入社し、コピーライターとしてのキャリアをスタートする。

だが、入社10年目に転機が訪れた。ずっと父親の会社を支えていた母親が、がんで他界したのだ。まだ50代後半の、早すぎる別れだった。

「葬儀の後、家族で話をしていました。すると父も姉も、母と一緒に過ごした思い出がたくさんあるんですが、私には母と過ごした思い出があまりありませんでした。というのも、学生の頃は遊びとアルバイトに忙しく、就職してからは会社に寝泊まりすることも珍しくなかったからです。そのとき、『もう親孝行はできないのか』と気付かされ、愕然としました」

画像: 起業は、まったく考えたこともなかった

終了の危機にあったアプリを買い取り、Trimを創業

折しも、コピーライターの仕事に行き詰まりを感じていたという長谷川氏。母の死をきっかけに心機一転、ある医療系ベンチャーに転職する。そこで出会ったのが、のちに「Baby map」となるアプリ「べビ★マ」だった。

「投稿に見返りがあるわけではなく、お母さんたちの善意で成り立っている仕組みに、とても感動しました。このアプリは、今子育てをしているお母さんから、次世代の子育て家族へ渡す『善意のバトン』だ、と感じたんです。亡くなった自分の母親にはもう親孝行はできない。ですが、このアプリを世の中に展開することで、大勢のお母さんたちを助けることができる。それが、母への恩返しになると思ったんです」

ところが、在籍していた医療系ベンチャーがIPOをめざす過程で、事業ドメインを整理する必要が発生。べビ★マは、サービス廃止が決まってしまった。そこで長谷川氏がとった行動は、「アプリを買い取る」。今思えば無謀だったと振り返るが、根底には、お母さんの善意をつなぐサービスを途絶えさせたくないという強い思いがあった。そして、Baby mapの運営母体として設立したのがTrimである。

あとのことは深く考えていなかったため、Trimの資本金はわずか30万円。自己資金もすぐに底をついた。そのため、必死の思いでスタートアップ支援プログラムを活用したり、多くの投資家にプレゼンを行ったりして資金調達に駆け回ったという。

「毎日が綱渡りでしたが、この時期に、自分が会社を通じて世の中に提供したい価値と徹底的に向き合ったことで、Trimがめざす方向性や、“All for mom. For all mom.”というコーポレートミッションが固まりました。mamaroの基になるアイデアも、その過程で出てきました。あるベンチャー向けのファンドに相談したとき、審査員に『どの会社よりも授乳室に詳しいのなら、授乳室をつくってしまえば』と言われたんです。それまではアプリしかつくっていなかったので、ものづくりの経験はゼロ。それでも、これは自分たちがやるべきだと直感し、すぐに取り組みを始めました」

資金調達をしながら、大勢のお母さんに話を聞き、自ら青写真を描いて修正を加えた。筐体を製造するメーカーとも折衝した。やっとmamaroが完成してからも、最初の1台を設置してもらうまで約1年かかった。

「それまで世の中になかったものなので、mamaroの概念を理解してもらうまでに時間がかかりました。助けになったのはお母さんの声です。SNSなどでユーザーの声が広がるにつれ、少しずつ設置台数が伸びていきました」と長谷川氏は言う。

画像: 終了の危機にあったアプリを買い取り、Trimを創業

目的さえ共有できていれば、正しい道は見つけられる

こうして、起業と無縁の人生を送るはずだった長谷川氏は、今は経営者として組織をマネジメントする立場にいる。以前の会社では、社長が何をやっているのかまったく見えていなかったというが、Trimの代表として企業経営の難しさを身に染みて味わってきたという。

「外国人のエンジニアが加入するなど、組織が大きく変化していく中では、創業以来の思いをメンバーとどう共有していくかが常なる課題になっています。そこで私が大切にしているのは、『目的を間違えないこと』です。当社のミッションは、お母さんたちへの『ギフト』である質の高いプロダクトをつくって、それを次の世代へバトンタッチしていくこと。この目的さえ共有できていれば、メンバー同士の意見が異なっても、無数にあるルートから最適な道を見つけられると信じています」

会社とともに、経営者としての長谷川氏も成長し続けている。

画像: すべての「お母さん」へ、感謝のギフトを贈りたい
【第2回】根底にあるのは「お母さん」という存在への感謝

長谷川 裕介
1983年神奈川県横浜市生まれ。大学卒業後、広告代理店でコピーライター、プランナー、クリエイティブディレクターとしてキャリアを築いた後、医療系ベンチャーへ転職。CIO、新規事業責任者としてアプリ開発などを行う。2015年、「子育てをする、すべてのお母さんたちが快適に過ごせる社会の創造」をめざしてTrimを設立。授乳室、おむつ交換台の検索アプリ「Baby map」、完全個室型ベビーケアルーム「mamaro」を展開している。

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