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たくさんのスタッフに囲まれ、乱雑な部屋で徹夜の仕事をしている漫画家のイメージは、もう昔の話。今はもっとスッキリ、しかし中身は今まで以上にハードな環境で描いているとヤマザキマリ氏は語る。

「第1回:~海外生活~」はこちら>
「第2回:~古代ローマとイタリア、そして日本~」はこちら>
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漫画の仕事は一人だけではできません

――漫画を描くという仕事は一人の力だけでは成り立たないかと思います。ヤマザキさんは現在、どのような仕事のスタイルで作品をつくられていますか。

ヤマザキ
『オリンピア・キュクロス』(集英社)を例にすると、まず毎回34ページの原稿に仕上げるためのプロットを文章で書く。それをページ数的になんとなく仕分けていく。その仕分けた文章のシーンを荒削りといってざっくりコマで割ったものに絵を描く。ところが、この段階で編集さんからダメ出しがきてやり直しをすることがある。すると34ページやったうちの半分くらいを描き直すことになる。

その荒削りラフ画にGOサインが出たら、今度はもっと具体的で見やすい下絵に描き、さらにその下書きの上をペンでなぞっていく。だから、34ページの2.5倍から3倍の量の絵を描いていることになる。それを10日間から2週間の間にやらなくてはならない。漫画の連載が3つある今だと、とてもひとりでは間に合わないので、数年前からは背景などはアシスタントさんたちにお願いしています。

――たくさんのアシスタントさんが必要なのに、ヤマザキさんの仕事場は机がひとつだけ。とてもスッキリしていますね。

ヤマザキ
全部iPadで描いているからです。どこにいても描くことができるし、プリントアウトする必要もない。アシスタントさんも、プロでアシスタントさんが集まっている会社があってそこに委託しています。

全部データのやりとりで、打合せもメールやチャットで事足りるので、いちいち会う必要もない。おかげで部屋は失敗した原稿などのゴミで汚れることもない。苦悩の痕跡の象徴といっていい憎たらしい消しゴムのカスも出ません。原稿用紙とトレース台で描いていたときに比べ、とても楽になりました。まぁ、楽になった分だけ、仕事を詰めちゃいましたけどね。

ただ、『プリニウス』(新潮社)というローマの漫画は、漫画家のとり・みきさんと二人で共作ということになっているので、作画にはアシスタントさんを頼めません。だから、とり・みきさんに背景を全て描いてもらい、私はストーリーと時代考証、ネーム、そして人物画。とりさんは背景の時代考証と描きこみ、そして特撮的な演出といったぐあいに分業にしています。

そうしないと古代ローマ世界の圧倒的な迫力が演出できないのです。ひとりでやるとすごく薄っぺらになってしまう。

ヒラメではなく、止まらず泳ぎ続けるマグロスタイル

――たくさんの仕事を常に同時進行されているようですが、どのように整理しているのですか。

ヤマザキ
それは考えていませんね。一個一個リストにしていたら「私はこんなにやっているのか!」と気持ち悪くなってひるんでしまいますから(笑)。やらなければならないものがこれだけあるから、何となくやろうってことくらいにしか思ってないです。

「テレビに出たり講演会に行ったり文章書いたり…。なんでそんなにいっぺんに仕事するんですか。そのうち倒れますよ」と、とり・みきさんにはよく忠告されています。

――それでも、自分のスタイルは変えないわけですね。

ヤマザキ
子どものころのあだ名は「馬子」でした。鼻息が荒くいつもどこかへ向かって疾走している。ぼんやりとしていられない。そういう資質なんですよ。海にはマグロもいれば、停止しているヒラメもいるじゃないですか。私はたまたま回遊魚だったってことで、諦めてくださいねって(笑)。 スタイルを変える変えない以前に、自分のバイオリズムがそうなっているので、変わりようがない。

パンクせずに何とかやっているのは、こう見えて自分の中で自分なりのバランスを取っているのでしょうね。漫画ばかり描いていると嫌になっちゃうから文章も書く。家にこもって誰にも会わないでいると気が滅入るから、テレビに出たり、講演会で話す、取材に行くなど全然違う仕事をし、個人的には友達と会ったり、旅行へ行ったり、時々音楽仲間とライブをやったりする。家には猫や魚や昆虫がいて、その面倒もあれこれ大変ですが、総括して楽しいです(笑)。

画像: ヒラメではなく、止まらず泳ぎ続けるマグロスタイル

自分から湧き出るものを作品にしているだけ

――漫画家という仕事は、かなりの重労働なのですね。

ヤマザキ
漫画の仕事は、はっきりいって尋常ではないと思っています。生半可な気持ちで挑めるような職業ではありません。この大変さは漫画家になってみないとちょっとわからないかもしれませんが、世の中でも最も辛い仕事の一つじゃないかと思ってますよ(笑)。

絵を描くという職業が経済とこれだけ結びついて、表現者たちがこんなに働かなきゃいけない状態になるのは、ルネサンス時代のイタリアと今の日本くらいだと思います。あと、江戸時代の浮世絵師も大変だったと思いますよ。そんな古今東西の絵師としての比較文化を、私は自らの体を張って学んでいる感じがしています。

――仕事と生きがい(やりがい)、お金は、どのようにバランスをとっているのでしょうか。

ヤマザキ
私の母親は私と違ってお育ちのいい人でお金に執着しないし、細かい計算もしない人でした。オーケストラで働いていて、給料もそんなに大儲けしているわけじゃないはずなのに、いいと思ったら、すごく高い古い楽器を買ってきて「今月は毎日カレーね」とか平気でいう。とんでもない親だと思っていましたが、楽器は商売道具なので私たちも諦めるしかない。

私が小さいころ、家族は団地に暮らしていたのに、家の中にはペルシャ絨毯がひいてあって、母は祖父から譲られたアメリカ製の鉄製の大きなベッドに寝ていましたし、居間のピアノの上にはダ・ヴィンチやラファエロが飾られていた。家具も海外暮らしの長い祖父が使っていた欧州のアンティークだった。だけどご飯は粗食。お金はないけど、いい質のものだけは身の回りにあったんです。だから母はその辺のお金持ちよりずっと品格のある人でした。

そういう例が身近にあったので、生きていくためのお金は必要であるけども、必要最低以上に稼ぎたいとは思ってない。大儲けしたいという気持ちも私にはまったくなかったし、今もありません。貧乏でもお金のことや締め切りを気にせず、古いイタリアの街の中で絵画や歴史や文学と向き合っていた画学生時代のほうが良かったな、と思うことが度々あったりしますから。

仕事は、自分から湧き出るものを漫画という形の作品にしたいと思ってやっているだけ。まあ、それはヒット作があったから言えることだとも思うのですが、お金のことを考えながらストーリーを考えたりキャラクターを作ったりすることは今の自分にはとても無理です。生活していくためのお金については税理士さんに任せるのみです(笑)。

画像: その時々の波にのり、自分の内から湧き出るものを作品として残したい
【第4回】~仕事とやりがい、お金~

ヤマザキマリ - Mari Yamazaki -

1967年、東京都生まれ。1984年に渡伊。国立フィレンツェ・アカデミア美術学院で油絵と美術史を専攻。東京造形大学客員教授。シリア、ポルトガル、米国を経て現在はイタリアと日本で暮らす。2010年『テルマエ・ロマエ』で第3回マンガ大賞受賞、第14回手塚治虫文化賞短編賞受賞。平成27年度芸術選奨文部科学大臣賞受賞。17年イタリア共和国星勲章コメンダトーレ綬章。主な漫画作品に『スティーブ・ジョブズ』、『プリニウス』(とり・みきと共作)、『オリンピア・キュクロス』など。文筆作品に『国境のない生き方』、『仕事にしばられない生き方』、『ヴィオラ母さん』、『パスタぎらい』など。

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シリーズ紹介

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一橋ビジネススクール一橋ビジネススクールPDS寄付講座特任教授の楠木建氏の思考の一端を、切れ味鋭い論理を、毎週月曜日に配信。

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山口周氏をナビゲーターに迎え、経営者・リーダーが、自身の価値基準を持つための「リベラルアーツ」について考える。

協創の森から

社会課題の解決に向けたビジョンの共有を図る研究開発拠点『協創の森』。ここから発信される対話に耳を傾けてください。

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パーパス、CSV、ESG、カスタマーサクセス、M&A、ブロックチェーン、アジャイルなど、経営戦略のキーワードをテーマに取り上げ、第一人者に話を聞く。

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