宗教と法律から見えてくるもの
――古代ローマと今のイタリア社会を俯瞰したときに変わらざるもの、大きく変わってきたこと、また日本の社会との違いについて感じるところを教えていただけますか。
ヤマザキ
古代ローマとイタリアの性質はまったく違います。まず、社会を司っている基軸の要素が違う。今のイタリアはキリスト教、カトリックという概念の中で教育を受け、そのモラル、道徳、家族愛など、さまざまな法の中にもキリスト教が入り込んでいます。
ところが古代ローマにそれはありません。拘束される法的役割をもつ道徳観念がひとつの宗教から発生しているわけではない。彼らが日常で意識していた特定のマニュアルのない“生き方”は、どこか日本の“世間”と類似した性質をもっています。そして古代ローマはなにより法というものによって人々の生活が統括されているのです。
古代ローマが帝国としてあそこまで大きくなったのは、すべての属州で信じられている宗教やその土地に根付いている文化を拒絶しなかったからです。属州の神が都市ローマで信仰されるのもあたりまえでした。人間にはなにがしかの信仰を持ちたいという性質がありますが、古代ローマの場合は法が据えられた社会においても、神様は唯一なものでなく、それぞれが信じたいものを自由に信仰してよかった。したがって、宗教に紐づいた強烈な道徳観とかモラルは、古代ローマ人にはありません。そこも社会が宗教的拘束下にない日本と似ています。
――『テルマエ・ロマエ』でも古代ローマと日本はお風呂で繋がっていましたね。
ヤマザキ
基本的に、くつろぐ目的でお湯の入った湯船に入る、という習慣が日常に溶け込んでいた民族は、古今東西、古代ローマ人と日本人しかいなかった。人前で裸になっても平気という感覚も同じです。
でも古代ローマ人にとって裸は神聖なものだった。皇帝なども亡くなった後に神聖化しなければ、裸の姿での彫像は作ってもらえないのです。なので、私たちが美術館で見る裸の彫刻は皆神格化した“神様”なんです。よって、キリスト教以前の裸は決して恥ずかしいものではなかった。一般の人が裸で表されることはなくて、皇帝も生きているうちに作られた胸像は全部服や甲冑を着ています。
古代ローマ人は日本の温泉や銭湯を訪れても、きっとなんの違和感ももたないでしょうね。
――ということは、今のイタリアより日本のほうが古代ローマに似ているといえますか。
ヤマザキ
生活風俗や特定の宗教が浸透していないといった社会的資質に関してはそうだと思います。
古代ローマの時代からずっと継続してイタリアに引き継がれているものがあるとすると、表現に対しての貪欲さ。何かを作ろうと思ったら中途半端なものに妥協せず、誰がどう見ても神業的に素晴らしいものに仕上げたいというこだわり。それは同じ。変わってない。
表現をすること自体がそれほど評価の対象とされていなかった「暗黒の中世期」は、職人技術をはじめあらゆる文化のグレードが低迷しますが、ルネッサンスになってから人間ってここまでできるんだというモチベーションがマックスに上がって、これは人間技なのかと驚くようなものを再びどんどん生み出していくようになる。
日本も割とそういう面があってモチベーションを高めるじゃないですか。最終的には経済的な利益をもたらすかもしれないけど、作っているときは没頭しすぎて余計な思惑は忘れている。出来上がってみたら、なんだかスゴイものができちゃった。もちろん仕事としてやってはいるのだけど、どこかでマニアックのスイッチが入る。そこが古代ローマからのこだわりを引き継いだ今のイタリアと、そして日本とも共通するものだと言えるかもしれません。
職人気質という共通点
――職人気質という共通点があるわけですね。『テルマエ・ロマエ』の主人公、ルシウスもそんな設計技師でしたね。
ヤマザキ
そうですね、相当マニアックな人ですが(笑)。
ああいうこだわり気質の古代ローマ人であれば、きっと日本の人にも理解してもらったり、感情移入もされやすいんじゃないか、と思いながら描きました。古代ローマ人というのは自分たちの国が、どんどん領土を拡張していき、あらゆる国の文化を吸収し、自分たちのものにしていくのに一生懸命だった。なのでシャンプーハットのようなものを生み出す隙間産業も盛んな時代の日本なんかに来ちゃった日には、あれもこれも真似したい!になる(笑)。
あと似ているなっていうのはテクノロジーの話になりますが、古代ローマ人は古代ギリシアが編み出したものを建築でも何でも、自分たちが取り組むとそれをさらにスキルアップして、どんどん磨き上げ、より一層すごいものにしていくのが得意でした。
たとえば水道インフラ技術なども、もともと古代ギリシアなど他の地域でやっていたものを自分たちで吸収したあとに、もっと機能的で技術的にもハイクラスなものにしていく。
――日本の高度経済成長期と同じですね。
ヤマザキ
そう、身近なところでは温水洗浄便座でしょうね。私たちが子どものころはまだ汲み取り式の「ぼっとんトイレ」があたりまえにあって、古い家屋だと夜とかトイレ行くのが怖かったじゃないですか。それが今では床に布団敷いて寝てもいいくらいきれい。西洋便器があんなふうに進化するなんて、まさか誰も想像していなかった。
新幹線も、もともとは海外から来た蒸気機関車の進化系です。自動車だってそうですよね。
発芽は他の地域でされているんだけど、それを摘んできたときに、自分たちの国で「あ、これだったらこんなこともできてしまう」という、ファンタジーがすごい。想像力旺盛というか。
成し遂げることがすべてではない
――日本人の技術は素晴らしいと思うのですが、「未完でも良し」とする考えはないですよね。
ヤマザキ
そこが果たして良いことか悪いことか、講演会で話したりするのですが、たとえば皆さんレオナルド・ダ・ヴィンチという人を崇拝しているじゃないですか。万能の天才だということで。
でも彼は中途半端のキングなんです。やり始めたことも、それが仕事であっても途中で嫌になったらやめちゃう。だから、彼が完成させられた作品は最終的に十数点しかない。途中でやっているうちになんとなく先が読めてしまうのか、完成に対する期待が薄れるのか、やる気がなくなってしまうらしい。
でも、その続けなかったことで逆におもしろいものができていたりする。彼は手がけ始めた作品をどこまで作るか、何でもかんでも最後までやればいいという問題ではないということを、熟知していた人なんです。
日本のように一から始めたことは最後まで完成させなきゃいけませんよ、なんて考え方で見ていくと、ダ・ヴィンチはまさに良い例えの人とは言えないでしょう。やる気も失せたものなのに、出来上がったところで自分的には納得がいかない。クオリティも最悪。だったら作らないほうがいいという、まあ利己的な考え方ではありますけどね。
イタリア人の気質には未だにそんな中途半端の美徳があるように感じる時があります。別に最後まで成し遂げたからっていいこととは限らない、という意識。途中でやめてみたら実は逆にそれが素晴らしいものだったりする。「いい加減」、「適当」などの言葉で言い表されたりするけど、盛り込みすぎになるくらいなら途中でやめる。彼らはそういう塩梅ももっています。創作経過を常に俯瞰で見つめ、いちいち足を止めて考えている証拠です。
ヤマザキマリ - Mari Yamazaki -
1967年、東京都生まれ。1984年に渡伊。国立フィレンツェ・アカデミア美術学院で油絵と美術史を専攻。東京造形大学客員教授。シリア、ポルトガル、米国を経て現在はイタリアと日本で暮らす。2010年『テルマエ・ロマエ』で第3回マンガ大賞受賞、第14回手塚治虫文化賞短編賞受賞。平成27年度芸術選奨文部科学大臣賞受賞。17年イタリア共和国星勲章コメンダトーレ綬章。主な漫画作品に『スティーブ・ジョブズ』、『プリニウス』(とり・みきと共作)、『オリンピア・キュクロス』など。文筆作品に『国境のない生き方』、『仕事にしばられない生き方』、『ヴィオラ母さん』、『パスタぎらい』など。
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