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初めての海外旅行は14歳。以後、高校生からイタリアに11年、その後も各国での暮らしを体験してきたヤマザキマリ氏が、思い出に残る国とは。

素晴らしかったシリアの遺跡群

――ヤマザキさんはこれまでイタリアをはじめとした、さまざまな国での暮らしを体験されてきていますが、印象深い国や地域、そこならではのエピソードなどを教えてください。

ヤマザキ
これまで暮らしたのは、イタリア(フィレンツェ)、エジプト(カイロ)、シリア(ダマスカス)、ポルトガル(リスボン)、アメリカ(シカゴ)。そして再びイタリアになって、最近までイタリアと日本との間を行き来していたのですが、最近は移動の疲労を軽減させるのと、病気の母のこともあるので、日本に長く居るようにしています。

実は自分の希望で暮らしたり旅した国って、ほとんどないんです。すべて他の不思議な事情により、何となくそこに住んだり行かなければならなくなったというパターンなんですが、稀有な滞在経験だったのはシリアです。

あれは2003~5年くらい。当時は紛争もなく、平和で文化的にもとてもおもしろい国だったので、トルコやレバノン、ヨルダン国境あたりまでぐるっと3周くらいしました。ガイドブックにも書いていないようなところばかり、行き当たりばったりで各地の遺跡を訪ね歩くのが楽しみでした。

古代ローマの遺跡って、皆さんはイタリアに行けばいっぱいあると思っているかもしれませんが、それは大きな間違いで、実はほかの周辺諸国の方が保存状態のよい遺跡が残っているのです。中でもシリアは素晴らしくて、ビックリしてしまいました。

しかももっと紀元の遡るシュメールやヒッタイトなどさまざまな文明の軌跡が、国内の至る場所にあったのも驚きでした。

それが後の『テルマエ・ロマエ』の企画になっていくので、シリアにいたことが、その後の現在の私の形成要因となっていると思います。

画像: 素晴らしかったシリアの遺跡群

昭和の日本に似ていたポルトガル

――住み心地の良さという点では、どの国の印象が強いですか。ご家族のいるイタリアや日本になりますか。

ヤマザキ
そうなると、ポルトガルですね。経済的にはEUの中ではギリシャと並んで経済的に足を引っ張ってしまう国と評されているけれど、彼らには取ってつけたような、見苦しい似非(えせ)のプライドが感じられない。皆さん謙虚で、つつましく暮らしていながら、自分たちを司る歴史に対して誇りをもっている。でもそれを変にひけらかすことはない。

職人さんとかも偉ぶることはないけれど、すごい技術をもっている。昭和の日本に近いと感じることもあります。

イタリアの人でも、昔の、古き良きイタリアの面影があるからポルトガルに行きたいと思う人は多い。なんせ、ヨーロッパで晴天率ナンバー1。風光明媚で青い空で、お金の力に頼らなくても日々幸せだなと感じられる機会がたくさんある。ヨーロッパの中でも顕著にそれを感じる国です。

謙虚さって本当に大事だと思うのです。本当に自分の中でこれは確かなものだと思わなければ出てこないものだと思うので、とってつけてふるまえるものではない。ポルトガルはそんなことを気づかせてくれた国でした。

――では、ヤマザキさんにとって居心地のいい場所というのは、国民的に謙虚さがあって、歴史もあるところですか。

ヤマザキ
あまり「お金おカネ!」と経済的生産性に依存している感じの場所はキツイですね。お金で何か楽しいことしよう、幸せな気持ちになろう、お金で何か……とメンタリティがお金と癒着してしまっている国はどうも息苦しさを感じてしまいます。

あと、興味のある土地を知っている人にいろいろ話を聞いてみるのも大切だと思います。現地に友人がいて、勧めてくれればその土地に特別な興味がそれほどなくても、行ってみようかなと思うこともあります。

――まったく知らない国や地域に衝動的に行くことはないということでしょうか。

ヤマザキ
ありますが、そういうところは、だいたい大失敗をします。たとえばチベットなんかがそう。

ポルトガルに住んでいた時、テレビのドキュメンタリーで、中国青海省の西寧とチベット自治区のラサを結ぶチベット青海鉄道(青蔵鉄道)を観たんです。標高5000mを超える世界で一番高いところを通過する列車です。

ドキュメンタリー番組というのは、カメラに収められた全てをそのまま放送しているわけではなく、やはり映画と同じように編集をするわけじゃないですか。基本的に、感動的だったり素敵なところしか見えないようになっている。その番組の中では、列車の中ではマニ車(チベット仏教の仏具)を回しながらチベット語で歌を歌っているエキゾチックな民族がいて、車窓の外にカメラを向ければ五体投地をしてボロボロになりながら聖地をめざしている人の姿がある。窓からは国立公園に生息する珍しいロバがいて……とか、ノンフィクションなんだけどかなり演出されている。

でも私はその番組を観たあと、どうしてもその電車に乗ってラサへ行きたくてたまらなくなったんです。すぐに中国の旅行代理店に頼んで、取り難いらしいチケットをなんとかゲットしてもらった。中国の成都を経て西寧という街から数時間後、標高4000mくらいになった途端に息が苦しくなり、頭痛で頭が割れそうになってきたんです。苦しんでいたら同じコンパートメントの中国の人たちに心配されて寝かされて、列車に装備されている酸素を付けられ、ラサについたら迎えに来てくれた現地ガイドさんに病院に連れていかれ点滴を打たれた。

翌日になったら治ってましたけど、亡くなる人もいると言われ、普通これだけ標高の高いところへ出かける時は、まず山登りとかで体を慣らしておくべきだと、ギリギリまで仕事して、疲れた状態であの列車に乗るなんてありえないと叱られました。

要は思い立ったらポンと行っちゃう面もある。石橋はあまり叩かない。ちょっと様子見て大丈夫そうだなと思ったら、行っちゃう。楽しい妄想はしても、不安や心配の妄想は省いてしまう(笑)。

食べ物やホテルより政治的背景を知る

――そんなご経験を踏まえ、イタリアなど、海外に旅行や住むうえで大事なこととはどんなことだと思いますか。

ヤマザキ
絶対に情報だけに頼らないことですね。とくにドキュメンタリー映像なんかは今言ったみたいに、ノンフィクションでありながら編集されてますから(笑)。

通りを歩いていると見ず知らずのおじさんに陽気にチャオと話しかけられるとか、家からきれいな景色が見えるからちょっとおいでよと誘われるとか、実際はありえないですからね。あっても、この人にはきっと何か良くない下心があるんだなと思うでしょう。

その国に行ったら何が食べられるのか、どんなホテルがあるのかではなくて、たとえばその国の人が書いた小説を読む。政治的背景や歴史を調べ、他人様の国を訪れる自分の決意に責任をもって旅に出発するべきでしょう。

その国がせめてどういう性格を持っている国なのかっていうのを、いいとこだけ見せてくれるのを信じていてはダメ。観光ガイドブックを10冊買って読んだりテレビの番組で知るより、歴史や政治のことなどを記した本を一冊でも二冊でも読んで、知っておいたほうがいいでしょう。

そうすれば、その国との付き合い方もわかりますから、なるべく観光用ではない側面を知っておく。

海外旅行と限らず、世の中はとにかく多種多様であり、メディアや人の口コミなどの情報通りでないことだらけです。自分が知っているやり方やものの見方が誰とでも共通のものとは限らない、ということは心しておく必要はあるでしょう。

見えているもの以外のことへの情報を掘り下げていくことで、かなりいろいろな問題を受け入れていく懐も深くなるでしょうし、知識の引き出しも増えると思います。

画像: 現在連載中の『プリニウス』(新潮社)、『オリンピア・キュクロス』(集英社)、手前は『リ・アルティジャーニ』(芸術新潮)。

現在連載中の『プリニウス』(新潮社)、『オリンピア・キュクロス』(集英社)、手前は『リ・アルティジャーニ』(芸術新潮)。

画像: 『ヴィオラ母さん』(文藝春秋)、『男性論 ECCE HOMO』(文春新書)、『パスタぎらい』(新潮新書)、『仕事にしばられない生き方』(小学館新書)、『男子観察録』(幻冬舎文庫)など気になる著書は多数。

『ヴィオラ母さん』(文藝春秋)、『男性論 ECCE HOMO』(文春新書)、『パスタぎらい』(新潮新書)、『仕事にしばられない生き方』(小学館新書)、『男子観察録』(幻冬舎文庫)など気になる著書は多数。

画像: その時々の波にのり、自分の内から湧き出るものを作品として残したい
【第1回】~海外生活~

ヤマザキマリ - Mari Yamazaki -

1967年、東京都生まれ。1984年に渡伊。国立フィレンツェ・アカデミア美術学院で油絵と美術史を専攻。東京造形大学客員教授。シリア、ポルトガル、米国を経て現在はイタリアと日本で暮らす。2010年『テルマエ・ロマエ』で第3回マンガ大賞受賞、第14回手塚治虫文化賞短編賞受賞。平成27年度芸術選奨文部科学大臣賞受賞。17年イタリア共和国星勲章コメンダトーレ綬章。主な漫画作品に『スティーブ・ジョブズ』、『プリニウス』(とり・みきと共作)、『オリンピア・キュクロス』など。文筆作品に『国境のない生き方』、『仕事にしばられない生き方』、『ヴィオラ母さん』、『パスタぎらい』など。

「第2回:~古代ローマとイタリア、そして日本~」はこちら>

シリーズ紹介

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一橋ビジネススクール一橋ビジネススクールPDS寄付講座特任教授の楠木建氏の思考の一端を、切れ味鋭い論理を、毎週月曜日に配信。

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山口周氏をナビゲーターに迎え、経営者・リーダーが、自身の価値基準を持つための「リベラルアーツ」について考える。

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