ボキューズ・ドールは1987年から2年ごとに開催されている世界屈指のフランス料理コンクールだ。歴代の入賞者はヨーロッパ勢が圧倒的に多いが、2013年に日本人として初めて入賞したのが浜田統之氏。その修行時代のエピソードや人材育成術、料理へのこだわりを聞いた。

怒るどころか褒めてもらえた

――料理人をめざした原点はどこにあるのでしょうか。

浜田
実家(鳥取県境港市)が仕出しや弁当製造の自営業なので、幼いころから総菜や地元で獲れた新鮮な魚に囲まれていました。そのせいでしょう、小学校の卒業文集に将来の夢を「料理人」と書いていたくらい料理へのこだわりがありました。

家庭科の授業でリンゴを剥く課題が出された時も、それじゃつまらないと中をくり抜き、カットフルーツを盛り込んだこともありました。指示された見本とまったく違うので普通は怒られるのでしょうが、先生は褒めてくれたんです。

今から思えば、その出来事が料理人への意欲を増大させたのだと思います。

――高校を出てすぐイタリア料理の世界に飛び込んでいますね。迷いはなかったのですか。

浜田
料理人をめざすことは決めていました。具体的な計画はなかったものの、ぜひ東京に行きたいと考えていました。当時、三國さん(三國清三=フランス料理)がテレビなどによく出ていて、東京に行けばすごいシェフがたくさんいるだろうと思ったからです。

問題は料理の専門学校に入るか、見習いとして働き始めるかです。そこで、父親の知り合いであり、僕の鳥取での師匠でもある松下銀次郎さん(国内外の一流ホテルで長年腕をふるったフレンチの巨匠)に相談したところ、「現場ですぐに働くのも今はいいんじゃないか」と言われ、紹介されたのが和歌山市にあるイタリア料理店でした。

――希望していた東京やフランス料理とは違いますね。

浜田
え、イタリア料理? って最初は思いましたよ。当時はイタ飯なんて言葉もなく、僕もナポリタンくらいしか知らなかったですからね。それでも松下さんの「イタリア料理はこれから流行るだろうから」との言葉に押された形でした。

実際、その後しばらくしてブームが起こったので、先見の明があったのでしょうね。

食べ歩きに休日とお金を全て注いだ

――どんな修行時代だったのですか。

浜田
イタリア料理店といっても、新入社員は料理人だけで100人近くいました。その中で高卒後すぐに入ったのは僕ともうひとりの、わずか2人だけ。他はみんな専門学校で基礎を学んできた人たちでした。もうこの時点でスタートが違いますよね。

他の人たちは先輩からボンゴレと言われればすぐにアサリを出せるのに、僕は言葉の意味さえわからない。毎日朝から晩まで、何とかイタリア料理を自分のものにしようともがいていました。

するとある日、料理長から「美味しい料理を作るには、美味しい料理を知らなければならない」と教えられ、始めたのが休日とお金、全てを注ぎこんでのイタリア料理食べ歩きです。和歌山県内はもちろん、関西圏の8割は制覇したと思います。

これにより、ある程度舌もでき、技術も向上。流行る店とはどういうものなのかも理解できるようになりました。

イタリア料理からフランス料理へ転向

――そうなると料理に対する意欲も大きくなりますね。

浜田
和歌山で5年ほど働き、イタリア料理が楽しくなった頃、埼玉のホテルのイタリア料理部門に異動になりました。浦和から東京は近いので、当然のように休日はリストランテ・ヒロさんやアルポルトさんなど、東京の有名店の食べ歩きを続けていました。イタリア人シェフの紹介で、近々本場イタリアで修行する話も出ていたので、心はもうイタリア一色でした。

そんなある日、友人にロブションに行こうと誘われたのです。まぁ、たまにはいいかと付き合ったら驚きました。もう、料理がめちゃめちゃキレイなんです。

こんな世界があるんだ、華やかで美しくて、今まで食べたこともない! 大きな衝撃を受け、僕もいつかこんな料理を作りたいと、フランス料理への転向を決めたのです。

――今までの経験がリセットされる選択のように思えますが、迷いはなかったのですか。

浜田
イタリア料理は素材そのものの味を尊重するのに対し、フランス料理は素材以上のものを引き出す。何かを足す、何かを一緒に食すことで、口の中で想像だにしないものができることが大きな衝撃でしたし、これは僕にとってチャンスかもしれないと思えたのです。

イタリア料理を6年近くやってきて自分なりの努力もしてきたので、フランス料理もできるという、妙な自信もありました。

画像: イタリア料理からフランス料理へ転向

星のや東京 ダイニング「Nipponキュイジーヌ」夏メニュー

画像1: 自然を愛する料理人は感じたままのあるがままの姿を再現する
【第1回】~原点、そして修業時代~

星のや東京は、東京・大手町という金融・経済の中心にある日本旅館である。「和のおもてなし」が体験できるとあって、土地柄、世界各国の企業経営者やエグゼクティブをゲストとして迎えている。

青森ヒバの一枚板の扉が開かれた瞬間、白檀を調合した香りが都会の喧騒を忘れさせてくれる。玄関で靴をぬいで上がり框に足をかければ、あとは、畳敷きの館内で日本の伝統文化に触れることができる。17階の最上階には温泉があり、吹き抜けの露天風呂から真上を見れば都会の四角い天空がのぞく。地階には大きな石のオブジェが配置され、地層をイメージした土壁の間を抜ければダイニングに至る。宿泊客だけが味わえる「Nipponキュイジーヌ」の舞台。

夏メニューのコースの一部をご紹介すると、五味(塩・酸・苦・辛・甘)を楽しむ「五つの意思」、酒盗と蕗のソースで味付けした鰹のたたき、鮪のほほ肉のコンフィ、毛蟹とウニのリゾットなど。いままで出会ったことのない香り豊かな味わいが心を満たす。魚と野草、野菜だけの限られた食材で考え抜かれた料理は、世界にふたつとないここだけのもの。非日常のやすらぎの感覚がダイニングにも息づいている。

【星のや東京】
東京都千代田区大手町一丁目9番1
TEL.0570-073-066(星のや総合予約)

画像2: 自然を愛する料理人は感じたままのあるがままの姿を再現する
【第1回】~原点、そして修業時代~

浜田統之 Noriyuki Hamada

1975年、鳥取県生まれ。18歳からイタリア料理の世界で腕を磨き、24歳でフランス料理に転身。2013年、ボキューズ・ドール国際料理コンクールフランス大会本選で世界第3位となり銅メダル獲得。2016年、星のや東京料理長。2017年、ボキューズ・ドール国際料理コンクール30周年記念ガラディナーで、約1,500名の世界の食通を前に魚料理を提供した。

「第2回:~フランス料理への挑戦~」はこちら>

シリーズ紹介

楠木建の「EFOビジネスレビュー」

一橋大学ビジネススクールの楠木教授の思考の一端を、切れ味鋭い論理を、毎週月曜日に配信。

山口周の「経営の足元を築くリベラルアーツ」

山口周氏をナビゲーターに迎え、経営者・リーダーが、自身の価値基準を持つための「リベラルアーツ」について考える。

八尋俊英の「創造者たち」~次世代ビジネスへの視点~

八尋俊英日立コンサルティング社長を導き手とし、新世代のイノベーターをゲストに社会課題の解決策や新たな社会価値のつくり方を探る。

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