技術力がなくても、企画力でイノベーションを起こせる
日本の得意分野と言われるものづくり。最近の円安を受けて業績を好転させた製造業も少なくないが、中長期的に見ると海外メーカーに押される傾向が強まっている。もちろん、業種や企業による濃淡はある。ただ、自社ならではの強みを探しあぐねている企業が増えているように見える。「技術で勝って、商売で負ける」と指摘されるケースも多い。
グローバルマーケットにおける、技術競争や価格競争は激しさを増すばかりだ。そんな時代に、まったく別の視点からものづくりの可能性を追究しているのが、専修大学准教授の三宅秀道氏である。三宅氏はこれまでのキャリアを、日本のものづくり研究のど真ん中で積み上げてきた。
「私には2人の師匠がいます。早稲田大学の鵜飼信一先生と東京大学の藤本隆宏先生です。鵜飼先生は優れた町工場に典型的に見られる、高度な身体知に基づくものづくり研究の第一人者です。また、藤本先生はものづくり理論のリーダー。私はお二人から多くを学びましたが、師匠たちの枠組みでは説明しにくい別の勝ちパターンもあるのではないかと思うようになりました」と三宅氏は語る。
簡単に言うと、それは「企画の勝利」といったものだという。
「『こんなものがあればいいよね』と事前には誰も思いつかないようなものを発想し、先行優位で市場を独占してしまうというパターンです。これまで、ものづくりにおいてはとかく技術に注目が集まりがちでしたが、高い技術力がなくても勝てる。そんな事例は少なくありません」。
企画力でイノベーションを起こすことができる。「ならば、チャレンジしてみよう」と考える経営者は多いのではないだろうか。
「水泳帽のない水泳」から「水泳帽のある水泳」へ
イノベーションという言葉は最近頻繁に使われるようになったが、三宅氏はちょっとした工夫なども含めて、イノベーションの概念を広義に捉えているという。
「イノベーションというと、経済メディアに大きく載るような技術革新による成功事例を思い浮かべる人は多いと思います。しかし、私はもっと広く捉えたい。それこそ、幼稚園などの水飲み場にあるみかんネットで作った石鹸入れのようなものも、新規性と有用性さえあれば、イノベーションなんですから、技術革新は必須では全くないのです」。
石鹸ネットは極端な例としても、イノベーションのハードルを高く設定するのは考えものだ。高い技術力がなくても勝てると信じてチャレンジすれば、それが実を結ぶこともある。その代表的な例として、三宅氏は東京都墨田区に本社を構えるフットマークを挙げる。従業員100人足らずの企業である。
同社は学校教育にプール実習が取り入れられることを知り、新事業として水泳帽の提供を始めた。1970年代のことである。今でこそ、プールで水泳帽を着けるのは当たり前だが、プール教育の黎明期にそんな商品はなかった。「水泳のときにかぶるものが欲しい」「どこかのメーカーにつくってもらおう」などと考える体育の先生はまずいないだろう。
世の中にないものをイメージすることは難しいが、フットマークにはそれができた。そして現在、同社は水泳帽のトップメーカーとしてこの市場に君臨している。
三宅氏によると、プールに入るときに男女とも水泳帽をかぶる習慣が一般的なのは日本だけだという。このような習慣をつくったのがフットマークだ。習慣を文化と言い換えることもできる。同社が訴えたのは「水泳帽を着ければ衛生的」といった機能だけではない。
例えば、生徒の水泳帽に適宜各色のマジックテープを貼って、弾力的に生徒各個人を識別できれば、プールサイドからそれぞれの泳力に応じたきめ細かな指導も容易だ。小中学校の体育の先生たちが、プール教育という新しいテーマを前に「さて、どう教えればいいのだろう」と悩んでいるとき、フットマークは水泳教育の専門家と一緒に指導法を考え、全国の先生たちに提案した。これが企画力だ。
フットマークの水泳帽は、プールの風景を変えた。「水泳帽のない水泳」から「水泳帽のある水泳」への転換。1つの小さな企業が、新しい文化を生み出したのである。三宅氏はこれを、「文化の開発」と呼んでいる。その文化が定着するよう、フットマークは社員総出で、小中学校の体育の先生たちに売り込みの手紙を書いたそうだ。新しいコンセプトの商品なので、既存の問屋チャネルに説明するよりも、直接プール教育を担当する先生に働きかけたほうが早かったのである。 水泳帽の存在を知らない時代の人にとっては、水泳帽がないからといって不便を感じることはない。知らないのだから、「あったらいいのに」と思うこともない。しかしながら、フットマークが開発した文化は、今日では私たちのプリミティブな感覚に刷り込まれている。
社会に対するセンサーを磨け
歴史を遡れば、日本でも数多くの起業家が文化の開発を実践してきた。三宅氏はかつて大阪の起業家を調査したときに、そんな事例をしばしば目にしたという。
「日本でカレーライスというものがほとんど知られていない時代、ハウス食品はカレールーを商品化しています。今なら、ハウスと競合A社、B社の商品特性やブランディングなどの比較がよく行われますが、当時はそもそも比較する対象がない。しかし、『カレーのない暮らし』と『カレーのある暮らし』という比較なら可能です。カレーのある暮らしを人々に知らしめる過程が文化の開発です」。
阪急グループの創業者、小林一三も文化の開発者だったと三宅氏は言う。
「大阪の大気汚染を気にする人が増え始めていた時期です。煙の都会を離れて健康的な郊外で暮らしましょうというメッセージで、小林一三は大阪の人たちに小さな鉄道の沿線を売り込みました」。
"小林マジック"によって、それまでの田園は憧れの郊外ライフの舞台になった。今では、阪急沿線は関西圏で最もプレステージの高い地域と言われている。鉄道事業だけでなく沿線開発をセットで行うという小林流経営がその後、多くの鉄道会社のモデルになったことはよく知られている。
「小林一三は駅前をつくり、街をつくりました。さらに、ターミナルデパートや少女歌劇団まで。まさに、多方面の文化を開発したのです」と三宅氏は称賛する。
こうした文化開発のベースには、「問題の発明」があると三宅氏は言う。世の中の問題の多くは、あらかじめ問題と認識されていたわけではない。三宅氏は著書『新しい市場のつくりかた』の中で、靴の例も取り上げている。もともと靴など必要としていなかった人類が、いつのころからか靴を履くようになった。誰かが靴がないことによる問題を発明し、そのソリューションとして靴をつくったのである。
同じように、かつては水泳帽がないことを問題視する先生はいなかった。カレーのない時代に「カレーを食べたい」と思う人もいないし、宝塚歌劇のない時代にその不在を嘆いた人もいない。今となっては、もしこれらがなければ困る人たちが大勢いる。誰かが問題を発明したからこそ、そこに文化が生まれ市場が形成されたのである。
では、どうすれば問題を発明することができるのだろうか。三宅氏は次のように語る。
「大事なのは社会との接点、社会に対するセンサーだと思います。世の中で何が起きていて、消費者はどんな生活をしているのか。こうした視線を持たなければ、問題の発明や文化の開発は難しいでしょう。例えば、B2B専業の企業であれば、小さくてもいいのでB2C事業を1つ立ち上げるくらいのことが必要かもしれません」。
新事業の立ち上げというとハードルが高そうだが、その前にできることもある。三宅氏はこう続ける。
「一人ひとりの社員が家事や育児について家庭内で話し合うよう心掛けるだけで、新しい視点が得られるはずです。率先してPTAの役員を引き受けるとか、子供や地域の課題を話し合う場に積極的に参加するのもいいでしょう」。
社会に対する理解力や洞察力を磨くには、日ごろから社会の様々な場に顔を出し、アンテナを高く張っておく必要がある。それを企業が、さらに企業内の個々人が実践しているかどうか。そんな積み重ねが、長い目で見ると大きな違いを生むのである。
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