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「第2回:「社会のことを考える人」を育てる」はこちら>
「第3回:「私たちは何者か」という問いから立ち上がる「社会」」
会議の研究から見えてきたもの
山口
社会のことを考える人というのは、言葉として好き嫌いはあると思いますけれど、いわゆる「エリート」と呼ばれる人たちですよね。そうした人たちを育てる教育が行われてきたのが、イギリスならオックスブリッジ、アメリカならハーバード大学のようなリベラルアーツカレッジです。日本は明治維新で開国したときに、そのような教育システムも取り入れるべきだったのかもしれませんが、とにかくまずは近代化を進めるためとして工学や法学が優先され、人格陶冶や総合教養といったものは後回しにされた。そのとりあえずの措置のまま150年来てしまったところがありますよね。
伊藤
そうですね。
山口
さらに言うと、「社会」というのは、明治に入って「Society」という英語の日本語訳として西周たちがあてた言葉です。似たような言葉に「世間」というのもありますが、英語の「Society」は「普遍的な制度やルール、契約に基づいた近代的な公共空間」という概念、一方で日本語の「世間」とは「関係性や空気で動く村落共同体的空間」ですから、かなり意味が違う。だから漢語由来の「社会」をあてたわけですけれど、日本人はいまだにその「社会」という概念を捉えそこねている気がしています。世間が社会のフリをしていると言えるかもしれません。そのため、「社会のことを考える人を育てる教育」と言われても、いま一つピンとこないところもありそうです。
伊藤
ああ、それはおもしろい視点ですね。
ちょっとブレイクダウンした話になりますけど、私が関心をもってきたテーマの一つに「会議の研究」があります。コロナ禍の前から細々と続けていて、いろいろな集団の会議に参加してその様子を観察させていただくのです。
その中でわかってきたことは、会議には議事録に残る要素と、議事録には残らない組織や人間関係の要素があって、その二つが互いに関係し合いながら同時に動いていくものだということ。それから、どんな会議においても「私たちは何者なのか」と問う瞬間があることです。
山口
そうなんですか。
伊藤
物事を決めるときの判断基準が、「私たちは何者か」なんですよね。その問いかけがなされると、さきほどお話ししたような、ある種の「タテマエ」の領域が一瞬立ち上がるのです。その「私たち」というのは、会議の参加者、またはその参加者が代表している人たちの範囲ではあるのですが、そこに「社会」というものの萌芽を感じるときがあって、それが会議の研究をしていておもしろいと感じるところです。
山口
「私たちは何者なのか」という問いに対する答えは、自分たちの内側だけ見ていたのではわからない。外側に対して担っている役割や関係性の中に、相対的に見いだせるものだから、その問いを発する刹那、公共的なものに対する意識がふわっと出てくるということでしょうか。それは健全な組織だから出てくるものではないかという気がしますけれど。
伊藤
組織や会議のあり方はそれぞれ違うものの、どの組織でも立ち上がる瞬間があるんです。例えば、ある自治体からひきこもりの人の就労支援事業を委託されている事業所のケースでは、自治体との関係性という大きなテーマがありつつ、できるだけ多く支援したいという使命感と、ヒューマンリソースの限界とのあいだでジレンマが生じていました。そういうふうに理想と現実がぶつかったときに、「私たちは何者なのか」の議論が始まるわけです。
議論の中で理想を確かめ、同時に外とのつながりの中で自分たちが何をするべきなのかを考える。おっしゃるように内側の関係性だけでなく、外側の原理の中で自分たちの役割を考えるということですね。それが「社会」というもののはじまりなのではないでしょうか。

「道徳」と「倫理」の違いとは
山口
伊藤先生は『手の倫理』(講談社)の中で、「道徳」と「倫理」を分けて定義づけておられました。重なる部分もあるけれど明確に異なる側面もあると。道徳というのは「困っている人を助けるべきだ」というような普遍的な法則である。一方で、倫理というのは個別の具体的な状況において最善を選ぼうとすることだと。この見方はとてもおもしろいと思いました。
普遍的な法則というのは「コード」と言い換えることができると思いますが、それは法律などのような外側にある「正しさ」ですよね。自分がどう思うかにかかわらず存在し、守るべきものです。一方で倫理は状況や文脈に依存していて、自分の内側と、外側にある環境や他者とのかかわりの中で何をすべきか/すべきでないかを判断するという問題なので、絶対的な正解はないわけですよね。これは「われわれは何者なのか」という問いにもつながる話だと思います。
日本の教育全般に言える課題は、外側にある正解を速く効率的に探してこられる人が高く評価されるという価値観を植えつけられてしまうことだと思います。そのために、倫理のように正解がない問題を考えることが苦手なのかもしれません。個人でも組織でも、今ここですべきこと/すべきでないことを考えるプロセスには迷いや悩みがつきものですが、そうやって正解がない問題に向き合うことが重要なのだと思います。
伊藤
そうですね。少し話がズレてしまうかもしれませんけれど、MITにいて些細だけどびっくりしたことの一つが、授業中にお昼ご飯を食べている生徒がいるということでした。つまり時間が多様なんですよね。それってとても大事だと思って。
日本の大学だとお昼は何時から何時までと決まっています。でも、アメリカの大学はどこもそうなのかもしれないのですが、お昼はお腹が空いたら食べる。周りに迷惑がない状態で食べるならそれでいい。外側のルールに従って時間を区切り、その中で行動していくのか、自分の体や環境と相談して行動を決めていくのかというのは大きな違いだと思いました。
山口
文化人類学者的なとらえ方ですね、それは。
第4回は、3月19日公開予定です。

伊藤 亜紗
美学者。東京科学大学 未来社会創成研究院/リベラルアーツ研究教育院 教授。MIT客員研究員(2019)。博士(文学)。主な著作に『目の見えない人は世界をどう見ているのか』(光文社)、『どもる体』(医学書院)、『記憶する体』(春秋社)、『手の倫理』(講談社)。第42回サントリー学芸賞、第19回日本学術振興会賞、日本学士院学術奨励賞受賞。

山口 周
1970年東京都生まれ。電通、ボストンコンサルティンググループなどで戦略策定、文化政策立案、組織開発等に従事した後、独立。著書に『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』(光文社)、『武器になる哲学』(KADOKAWA)、『ニュータイプの時代』(ダイヤモンド社)、『ビジネスの未来』(プレジデント社)、『クリティカル・ビジネス・パラダイム』(プレジデント社)他多数。最新著は『人生の経営戦略 自分の人生を自分で考えて生きるための戦略コンセプト20』(ダイヤモンド社)。慶應義塾大学文学部哲学科、同大学院美学美術史学専攻修了。
シリーズ紹介
楠木建の「EFOビジネスレビュー」
一橋ビジネススクール一橋ビジネススクールPDS寄付講座特任教授の楠木建氏の思考の一端を、切れ味鋭い論理を、毎週月曜日に配信。
山口周の「経営の足元を築くリベラルアーツ」
山口周氏をナビゲーターに迎え、経営者・リーダーが、自身の価値基準を持つための「リベラルアーツ」について考える。
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社会課題の解決に向けたビジョンの共有を図る研究開発拠点『協創の森』。ここから発信される対話に耳を傾けてください。
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八尋俊英の「創造者たち」~次世代ビジネスへの視点~
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