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佐藤 優氏 作家・元外務省主任分析官・同志社大学客員教授/山口 周氏 独立研究者・著作家・パブリックスピーカー
トランプ大統領誕生の背後にある「反知性主義」はネガティブに見られがちだが、神学的に見れば理解できるものだと話す山口氏。それを受け、反知性主義者の考え方は、実はイノベーションを生み出す思考法にも通じると佐藤氏は指摘する。

「第1回:トランプ現象を理解するために必要なこと」はこちら>
「第2回:世界の読み解きに必要な神学リテラシー」はこちら>
「第3回:「不可能の可能性」とイノベーション」

反知性主義の源流

山口
昨今のアメリカ社会を覆う「不寛容論」や「反知性主義※1」は一般的にはネガティブに見られていますけれども、プロテスタンティズム、ピューリタニズムをベースにすれば、それらは当然出てくる価値観であり、トランプ大統領の土台にもなっているということですね。そうした彼のロジックがわかっていると、対話にもディールにもうまく対応できるだろうと思います。やはり、おっしゃるように神学なり歴史なり哲学なりというものを学んでおくことは世界理解において不可欠ですね。

佐藤
そう思います。もう少し神学に踏み込んだ話をすると、古代教会(初期のキリスト教)には2人の重要な神学者がいます。1人はユスティノス※2といい、ギリシア哲学を学んだ後にキリスト教徒となった人物です。彼の考え方は、人間にはロゴスがある、ロゴスとは哲学では理性、キリスト教ではイエス・キリスト=神の言葉を意味する概念ですが、ソクラテスもロゴスを持っている、だからソクラテスはキリスト教について知らなくてもキリスト教徒であるというものです。つまり哲学と信仰の整合的な理解をめざしており、キリスト教こそが真の哲学であると主張したのです。そのことによって彼は殉教を余儀なくされました。

ただ、実はこのような考え方は少数派です。多数派を占めたのは、もう1人の重要な神学者であるテルトゥリアヌス※3が主張した、キリスト教の教えと哲学との間には何の共通性もないという考え方です。それはつまり「反知性」、知性を信用しないところにキリスト教の強さがあるというものです。そして過去を振り返ると、そのメインストリームである反知性主義者の中から傑出した人物が出てきたときに、物事が大きく動いてきました。

山口
例えば、どのような人でしょうか。

佐藤
宗教改革で知られるマルティン・ルターとジャン・カルヴァンは極端な反知性主義者です。現代だと反ナチス運動を中心に行って「現代神学の父」と言われるスイスの神学者、カール・バルトもそうですね。

山口
カール・バルトの著書の難解さを思うと、反知性主義と言われても、にわかには信じがたいところもありますが。

佐藤
彼もトランプ大統領と少し似ていて、人を驚かせるような表現法をとるからあのような難解な文章になるのです。神学的な読み取りの技法を少し身につけると簡単に読めるようになります。

※1 反知性主義:アメリカにおけるキリスト教の発展に伴って生まれた、既存の知性や権威に反発する姿勢、思想。
※2 ユスティノス:紀元2世紀サマリア(現在のパレスチナ中央部)生まれ。ギリシア教父(ギリシア語で著述を行った神学者)の一人。
※3 テルトゥリアヌス:紀元2世紀カルタゴ(現在のチュニジア共和国北部)生まれ。最初のラテン教父(ラテン語で著述を行った神学者)としてキリスト教の発展に大きな影響を与えた。

画像: 反知性主義の源流

キリスト教はなぜ世界宗教になったのか

山口
カール・バルトが読めると他の神学者の本はだいたいスラスラ読めるようになると、佐藤先生もお書きになっていましたね。

佐藤
そうです。最近は難しいからと敬遠される傾向にあるけれど、いいことではないですね。

山口
読み解きにチャレンジしなければいけないということですね。

佐藤
耳学問でも構わないのですよ。カール・バルトなんて聞いたこともないという人が大半ではないかと思いますから。スイスの神学者なのですが、神と人間はまったく異質なものであるから人間は神について語ることができない、というのが彼の思想です。

山口
不可知論者ですよね。

佐藤
確かにそう見ることもできます。ただし、神学者や牧師は、神について語らなければいけない立場です。そういう人々はどうするかというと、「不可能の可能性」に臨むのです。この不可能の可能性ということは、実は神学者だけではなくエンジニアにとっても起業家にとっても重要ではないでしょうか。不可能に見えることの中にある可能性に挑むことで初めてイノベーションが起き、ビジネスチャンスが拡大するのだと思います。不可能だ、できないと諦めたら絶対にできないわけですから。

例えば、以前は自動翻訳なんて不可能だと言われていました。しかし、可能性を追求していたら、ビッグデータ処理技術やAI技術が発展して、人間の知能とは違うアプローチではあるもののLLM(大規模言語モデル)が開発され高い精度の翻訳も可能になりました。やはり不可能の可能性に挑む人たちがいるからこそ、ブレイクスルーがあり産業の発展があるのだと思います。

山口
キリスト教はイデアのような考え方はとりませんけれど、何かそこに近づきたい、理解したいというエネルギーがものすごくありますね。

ちょうど、キリスト教の話題になりましたので伺いたいのですが、例えばキリスト教が出てくる以前にゾロアスター教※4があったり…。

佐藤
ゾロアスター教から発展したマニ教※5というのも重要です。

山口
そうですね。また、キリスト教の中で異端とされたグノーシス主義※6という思想もありますが、教義を読んでみるとキリスト教よりはるかに単純でわかりやすいと感じます。ところが、それらは結果的には普遍宗教として世界的な影響力を持てませんでした。それに対し、キリスト教に関する著作が多い作家のC.S.ルイスも書いているように、非常に教義を理解しにくいキリスト教が、なぜここまで普遍宗教としての力を持ったのかが疑問なんです。「不合理ゆえに我信ず」とはどういうことなのか。先生はご自身がクリスチャンでいらっしゃいますけれども、どのように思われますか。マックス・ウェーバーが言ったように、キリスト教が資本主義の発展の苗床になったわけですが、それほどに大きな影響力を持ったのはなぜなのか。

佐藤
キリスト教がなぜ世界宗教として残ったかといったら、「いいかげん」だからでしょうね、端的に言えば。

※4 ゾロアスター教:紀元前に中央アジア(古代ペルシア)で生まれた世界最古とされる宗教。アフラ=マズダを最高神とし、偶像ではなく火を最高神の神聖な象徴として崇拝することから拝火教とも呼ばれる。
※5 マニ教:3世紀にペルシアでマニが創始した宗教。ゾロアスター教、キリスト教、仏教、土着宗教などの要素を取り入れ、善悪二元論を特徴とする。ローマ帝国や中国にまで広まり影響を与えた。
※6 グノーシス主義:1世紀半ばにパレスチナ、シリア、エジプトで発生したユダヤ教や初期キリスト教の中の多様な思想の総称。人間はグノーシス(霊知)を持つことで救済されるという思想や、精神物質二元論などを共通点とする。

第4回は、7月8日公開予定です。

画像1: 不確実な時代を生き抜く「実践知」としてのリベラルアーツ
神学リテラシーで複雑な世界を読み解く
【その3】「不可能の可能性」とイノベーション

佐藤 優
1960年東京都生まれ。作家、元外務省主任分析官。1985年同志社大学大学院神学研究所修了。外務省に入省し、在ロシア連邦日本国大使館に勤務。その後、本省国際情報局分析第一課で、主任分析官として対ロシア外交の最前線で活躍。
2005年に発表した『国家の罠』(新潮社)で第59回毎日出版文化賞特別賞受賞。以後、作家として外交から政治、歴史、神学、教養、文学に至る多方面で精力的に活動している。『自壊する帝国』(新潮社、第5回新潮ドキュメント賞、第38回大宅壮一ノンフィクション賞受賞)、『十五の夏 1975』(第8回梅棹忠夫・山と探検文学賞受賞)など著書・共著多数。2020年第68回菊池寛賞。

画像2: 不確実な時代を生き抜く「実践知」としてのリベラルアーツ
神学リテラシーで複雑な世界を読み解く
【その3】「不可能の可能性」とイノベーション

山口 周
1970年東京都生まれ。電通、ボストンコンサルティンググループなどで戦略策定、文化政策立案、組織開発等に従事した後、独立。
著書に『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』(光文社)、『武器になる哲学』(KADOKAWA)、『ニュータイプの時代』(ダイヤモンド社)、『ビジネスの未来』(プレジデント社)、『クリティカル・ビジネス・パラダイム』(プレジデント社)他多数。最新著は『人生の経営戦略 自分の人生を自分で考えて生きるための戦略コンセプト20』(ダイヤモンド社)。慶應義塾大学文学部哲学科、同大学院美学美術史学専攻修了。

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