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「第2回:世界の読み解きに必要な神学リテラシー」
「亜周辺」である日本の強み
山口
トランプ大統領の行動原理を見ていくと、北朝鮮の金正恩氏も同様の考え方をしているのかもしれないと感じますね。
佐藤
金正恩氏はその意味ではなかなか優秀です。外交に関しても、彼はトランプ氏と交わした二つの約束、核実験と大陸間弾道ミサイル実験をしないということだけは守っています。
山口
金正恩氏もディールの達人ということでしょうか。
佐藤
だからトランプ氏と波長が合うのでしょう。トランプ氏の価値基準は善悪というよりも、「合意は拘束する(Pacta sunt servanda)」というローマ法の大原則ということです。そう考えると、それほど理解不能な人ではないと。われわれのほうの理解が及んでいないというか、われわれの持っている道具立てが足りないから理解できないのであって、もう少し幅広く読書をして、もう少し古い時代まで視野に入れて考えると、彼の考え方が読めるのではないかと思います。
山口
行動原理がわかるかどうかで、対応も変わってきますね。
佐藤
そうですね。任期の間だけやり過ごせばいいという意見もあるようですが、企業であれば、どうすればこの流れを自社のビジネスに生かせるのかを本気で考えることが重要ですし、そのためには相手の論理を理解することが大切です。
山口
外交という文脈で言うと、特に日本という国は地政学的に立ち回りの難しい位置取りにありますね。太平洋の西側の端にあり、西隣には中国が、太平洋をはさんだ向こうにはアメリカがある。ペリーが日本に来たのも、もともとはそうした背景があってのことですね。
佐藤
そうです。と同時に、地政学的に見て中国を中心としたときの「周辺」は朝鮮、ベトナム、琉球で、日本の本州はそれより少し距離がある「亜周辺」なんです。だから漢字は取り入れつつも仮名との併用制とし、律令制度は取り入れたけれども科挙は導入しませんでした。亜周辺であることによって、われわれは物事を選択的に受け入れることができるのです。
山口
なるほど、そうですね。日本の外交についてはいろいろなことが言われていて、例えば歴史の授業では、日本は黒船が来て慌てて無理やり開国させられ不平等条約を結んだと、踏んだり蹴ったりだったように書かれています。けれど、当時はフランスも来る、イギリスも来る、アヘン戦争で中国は蹂躙される、という状況下でアメリカも来たということで、外交的には非常に立ち回りの難しい状況でした。そうした中でも植民地化されることなく、したたかに立ち回ったと考えると、実は日本も外交については言われているほど下手ではないと思うのですが。
佐藤
同意します。この3年間のウクライナ戦争の対応についてもそうですね。殺傷能力のある装備品(兵器)をウクライナに送っていないG7(主要国首脳会議)唯一の国が日本ですから。
それから江戸時代に鎖国していたということについても、認識を改める必要があると思っています。鎖国とは言っても松前口でアイヌを経由してロシアや中国と交易をしていましたし、対馬口では朝鮮半島と交易をしていました。出島でオランダ・中国と、そして薩摩口では琉球を通じて中国、東南アジアとも交易があったわけですから、当時も日本は自国の安全保障に障害がない範囲での国際関係は維持していました。自国の安全保障に障害があったのは、キリスト教の伝道を積極的に行うスペイン、ポルトガル、あるいはイギリス国教会ですね。同じキリスト教でもオランダはカルヴァン主義※1で、これは自国民を選ばれた民としており、布教拡大という発想がないことを見極めて受け入れたなど、極めて賢明なロジックがありました。闇雲に国を閉ざしていたわけではないということです。
※1 カルヴァン主義:宗教改革を牽引したジャン・カルヴァンの思想を支持する、キリスト教プロテスタントの教派。聖書中心主義と、救済される者は神によってあらかじめ定められているという二重予定説を特徴とする。

カルヴァン主義とトランプ氏の行動原理
佐藤
キリスト教のカルヴァン主義というのは、旧約聖書を重視します。新約聖書はローマ帝国時代に書かれているためグローバリゼーションと親和的なのですが、旧約聖書はカナンの地に選ばれたユダヤ人たちの歴史の物語ですから、それ以外のところに関心がありません。すなわち約束の地であるカナンから外に出ない、ネーションステート的な原理なんです。トランプ大統領はカルヴァン主義の影響を強く受けていますから、その原理がアメリカファーストという政策に影響していると考えられます。イスラエルの政治学者、ヨラム・ハゾニーが著した『ナショナリズムの美徳』はトランプ氏の愛読書の一つですけれど、まさに国民国家のあり方について詳述された本です。
山口
トランプ大統領はノーマン・ヴィンセント・ピールというプロテスタント教会の牧師かつ教育者の説教を聞いて感動に打ち震え、心酔していたと言われていますね。
佐藤
そのエピソードについては、むしろいわゆる福音派※2、宗教右派への対策だと私は思っています。それよりも徹底したカルヴァン主義者であった母親の影響を強く受けたのではないでしょうか。トランプ氏が母親から譲り受けた聖書を大統領宣誓式に持ってきていたことに私は注目しています。イギリス訪問の際に母親の出身地であるスコットランド北西部のルイス島を訪れたこともあり、どうもトランプ氏はお母さん子のようです。
そのカルヴァン主義では、救われる人と救われない人を神があらかじめ決めているという「二重予定説」を特徴とします。そのためトランプ氏は、神様の声を聞いて従っていないと、自分も、国家も滅びてしまうのではないかという恐怖に駆られるのだと思われます。そうした一種の強迫観念と世俗化されている宗教性というものが、彼を理解するうえで重要なのです。そこをうまく読み取ったのが石破茂首相ですね。2月の日米首脳会談で、銃撃事件の直後に撮られた写真について、「歴史に残る一枚。大統領が『自分はこうして神様から選ばれた』と確信したに違いないと思った」と言ったわけですよ。
山口
トランプ大統領はその言葉にものすごく喜んだみたいですね。
佐藤
ええ。しかも、誰が神に選ばれた人間か察知できるのは神に選ばれている人間だけだと考えられているため、石破首相があのように述べたことで「私も神に選ばれている」ことをさりげなくアピールし、トランプ氏もそう認識したわけです。これは、石破首相もプロテスタントのキリスト教徒だから言えた言葉です。あのやりとりを単なるお世辞だと見るのではなく、もっと深い意味があると見られるかどうかという点において、やはり神学などのリテラシーが重要になるのだと思います。
※2 福音派:聖書を神の言葉と認め、唯一の拠り所と位置づけるキリスト教プロテスタントの教派。アメリカでは成人人口の4分の1を占め、最大の宗教勢力と言われている。
第3回は、7月1日公開予定です。

佐藤 優
1960年東京都生まれ。作家、元外務省主任分析官。1985年同志社大学大学院神学研究所修了。外務省に入省し、在ロシア連邦日本国大使館に勤務。その後、本省国際情報局分析第一課で、主任分析官として対ロシア外交の最前線で活躍。
2005年に発表した『国家の罠』(新潮社)で第59回毎日出版文化賞特別賞受賞。以後、作家として外交から政治、歴史、神学、教養、文学に至る多方面で精力的に活動している。『自壊する帝国』(新潮社、第5回新潮ドキュメント賞、第38回大宅壮一ノンフィクション賞受賞)、『十五の夏 1975』(第8回梅棹忠夫・山と探検文学賞受賞)など著書・共著多数。2020年第68回菊池寛賞。

山口 周
1970年東京都生まれ。電通、ボストンコンサルティンググループなどで戦略策定、文化政策立案、組織開発等に従事した後、独立。
著書に『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』(光文社)、『武器になる哲学』(KADOKAWA)、『ニュータイプの時代』(ダイヤモンド社)、『ビジネスの未来』(プレジデント社)、『クリティカル・ビジネス・パラダイム』(プレジデント社)他多数。最新著は『人生の経営戦略 自分の人生を自分で考えて生きるための戦略コンセプト20』(ダイヤモンド社)。慶應義塾大学文学部哲学科、同大学院美学美術史学専攻修了。
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