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日立グループの人財育成を担う株式会社日立アカデミーがグループ内の学びの場として開催した「Hitachi Academy Open Day 2024」。その先行イベントとして、日立アカデミーは2024年10月10日に社内イノベーションネットワーク「Team Sunrise」とのコラボイベントを開催した。東京科学大学教授の伊藤亜紗氏、日立製作所フェローの矢野和男、Team Sunrise代表の佐藤雅彦が登壇し、講演とパネルディスカッションを通じてイベントのテーマである「利他」について論じ合った。その模様をまとめた採録記事の第1回は、伊藤氏の講演「漏れる利他」の前編をお届けする。

「第1回:伊藤亜紗氏講演「漏れる利他(前編)」」
「第2回:伊藤亜紗氏講演「漏れる利他(後編)」」はこちら>
「第3回:矢野和男講演「ウェルビーイングは利他から(前編)」」はこちら>
「第4回:矢野和男講演「ウェルビーイングは利他から(後編)」」はこちら>
「第5回:佐藤雅彦講演「『応援からはじめるイノベーション』企業における社員同士の利他とは」」はこちら>
「第6回:「利他」とは違いを受け入れ、うまくやっていくための知恵」はこちら>

与えられることは「しんどい」

私は東京科学大学の前身である東京工業大学のときに設立された「未来の人類研究センター」の初代センター長を2024年9月まで務めていました。このセンターは理工系の大学の中における人文社会系研究の可能性を探る目的でつくられた組織で、私自身は文系の研究者です。

専門は「美学(Aesthetics)」といって、耳慣れないかもしれませんが哲学の一種です。哲学は基本的に知性のような言語的な人間の働きを扱う学問であるのに対し、美学は感性、感情などの非言語的な人間の営みについて言語を使って考える学問です。私自身の研究テーマとしては、人間の身体、とくに障害のある方々の身体感覚に関心を持ってきました。

未来の人類研究センターでは、このイベントのテーマでもある「利他」について、他の教員たちと一緒に文理の垣根を越えて考えてきました。理工系の研究や技術開発などでは基本的に「人のため」、「社会のため」といったことを目的に掲げます。でも、人のためになるというのは、実はそれほど簡単ではないと思うのです。誰かのためと思って行った行為が必ずしもその人のためにならなかった、ということはよくありますよね。「利他」という言葉に何となく胡散臭い感じを持ってしまうのは、そうした理由からではないでしょうか。胡散臭いどころか、むしろ利他には害すらあるのではないか、ほんとうの意味での「人のため」とは何なのか、そんな問題意識から、私たちの研究はスタートしました。

画像1: 与えられることは「しんどい」

利他には基本的に「give(与える)」という動詞が使われがちです。与えるという行為は、常に与える側が主体になります。利他の胡散臭さの原因は、そこにあるのかもしれません。

障害を持つ方の話を伺っていると、「助けて」と言っていないのに先回りして助けてくれたり、「ここは段差ですよ」、「これは◯◯ですよ」と常にガイドしてくれたりすることに対して、「与えられてしんどい」とおっしゃる方が多いことに気づかされます。

少し時間をかければ自分で行動できるし、そのほうが成功体験にもなって楽しいのに、「できないだろう」という前提で関わられることは、ありがたいけれど、しんどいと感じてしまう。助ける側は善意で行っているとわかるから、断りにくいのですよね。そのため「障害者を演じさせられている」、つまりできないふりをして相手の好意を受け取っているのだとおっしゃる方が多いのです。そうした構造は、障害者と健常者に限った話ではないと思います。

先回りして手助けすることは、手助けされる側が失敗しないように「管理する」という関わり方であり、最上位に置かれているのは手助けする側の「安心」です。そうではなく、「失敗するかもしれないけれど任せる」というふうに相手を「信頼」する関わり方をすべきなのではないでしょうか。利他は、行きすぎると相手を管理することにつながってしまう、そこをどう考えるかがポイントです。

画像2: 与えられることは「しんどい」

「与える」から「漏れる」へ

文化人類学者のマルセル・モースは著作『贈与論』の中で「gift」という言葉に注目しています。ゲルマン語系のgiftという言葉には「贈り物」と「毒」という二つの意味があり、何かを贈ることは受け取る側に負債をつくらせているようなもので、それによって贈る側が受け取る側を支配することにもなりうるのだとモースは言っています。未来の人類研究センターで一緒に研究をしていた政治学者の中島岳志さんも『思いがけず利他』という著作の中で、「贈与」や「利他」には「支配」という「毒」が含まれていることがあると論じています。利他について考えるときは、そのことに気をつけなければいけないと思います。

そこで、本日の講演のタイトルでもありますが、利他につく動詞を「与える」ではなく「漏れる」にすることを提案します。一般に「漏れる」という言葉にはあまりよいイメージがないかもしれませんが、同僚の自然科学系の研究者は、自然の中には基本的に与えるということはなく、単に漏れ出ているだけだと言っています。例えば木の実というのは植物が動物に与えるために実らせているわけではありませんよね。動物はただ実がなっているから食べているだけで、そこに貸し借りの関係はない。いわば「利他が漏れ出ている」ということで、それは「受け取る側の創造性」に光が当たるということだと言えます。それと同じようなことが人間の間でも成り立つのではないかと思っています。

画像: 「与える」から「漏れる」へ

ではどういうことが「漏れる利他」なのか、具体的な例を紹介します。

新型コロナのパンデミックの初期にロックダウンが行われたイギリスでは、買い物に行けず困っているお年寄りがたくさんいたそうです。そのとき、地域の人たちが自分の電話番号やメールアドレスを書いたチラシを配ったり、家の壁に貼ったりしました。そうした個人情報を積極的に漏らすと、受け取った側はそれをどう使おうか考えますよね。この場合はお年寄りが買い物の依頼に使い、結果的にお年寄りの買い物を交代で手伝うネットワークのようなものができたそうです。日本でも最近、とくに都会ではお隣さんの名前も知らなかったりします。個人情報を意識的に漏らさないと、そんなふうに助け合うことも難しくなっていますよね。(第2回へつづく

「第2回:伊藤亜紗氏講演「漏れる利他(後編)」」はこちら>

画像: イノベーティブ組織の「利他」との向き合い方~人のつながりで、予想以上のわくわくを~
第1回 伊藤亜紗氏講演「漏れる利他(前編)」
「利他」に含まれる「支配」という「毒」

伊藤 亜紗(いとう あさ)
東京科学大学 教授
美学者。東京科学大学 未来社会創成研究院/DLab+ディレクター。MIT客員研究員(2019)。博士(文学)。
主な著作に『目の見えない人は世界をどう見ているのか』(光文社)、『どもる体』(医学書院)、『記憶する体』(春秋社)、『手の倫理』(講談社)。
第42回サントリー学芸賞、第19回日本学術振興会賞、日本学士院学術奨励賞受賞。

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