「第1回:世界の経営学から見るDXへの視座(前編)」はこちら>
「第2回:世界の経営学から見るDXへの視座(後編)」
「第3回:社会イノベーションへの日立の取り組み」はこちら>
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デジタルの2つの方向性
「知の探索」と「知の深化」をバランスよく追求する両利きの経営理論を、実際のビジネスを例に深掘りしてみたいと思います。

この縦軸は、企業がすでに持っているリソースとデジタルを組み合わせて、新しい顧客を開拓するというやり方です。例えばある大手POSレジメーカーは、POSレジに蓄積された顧客データを、電子レシートの情報や物流、生産などのデータと統合して分析・活用することにより、人手不足や廃棄ロスといった店舗の課題まで解決可能にしました。そこでデータサービスの事業を立ち上げ、新しい顧客を開拓しています。すでにあるデータを、デジタルで活用することで実現したDXの事例です。
横軸は新規開拓ではなく、既存の顧客に向けてデジタルで新しい価値を提供するというやり方になります。こちらの事例として取り上げたいのは、株式会社ミスミ本社(以下ミスミ)です。ミスミは製造業の設備向けに、特注部品や金型用部品、工具や消耗品などを販売している企業です。機械部品は点数も膨大で、特注部品の発注も数多く発生します。
従来の特注部品は、お客さまが設計した部品の3DのCADデータを2Dに変換してもらい、ミスミではそれを元に素材や切削・板金などの加工の見積りを取ります。OKが出れば各工程を工場で行って注文の部品を製造し、お客さまに販売していました。しかしこのやり方は、どうしても時間がかかります。そこでミスミは、meviy(メビー)というAIを活用したプラットフォームを作りました。お客さまは3Dデータをアップロードし条件を設定すれば、meviyのAIがその場で必要な素材や工程の見積りをしてくれる。それまで何十時間もかかっていた工程が1分に短縮され、最短1日で特注部品の調達が可能になりました。
従来の工程をデジタルの導入で解決し、部品調達時間の短縮という新しい価値を提供できるようにした。meviyというサービスによって、顧客はますますミスミを頼ることになります。
既存のリソースにデジタルを導入して、新しい顧客を開拓する。デジタルで既存顧客に新しい価値を提供する。いずれにせよ、自社の強みとデジタルの組み合わせなのですが、どちらが自分たちに合っているのか、一度考えてみてはいかがでしょう。
知の深化はAIに

ここでもう一度、両利きの経営に戻ります。繰り返しになりますが、知の探索は遠くの幅広い知見を取ることです。そのためには皆さんが移動する、皆さんが経験するということがとても重要です。なぜなら、そこにはデジタル化できない情報や知見がたくさんあるからです。新しいものを組み合わせて失敗するのも、人間でなければできません。
一方で無駄を省いて磨き込む知の深化というのは、AIが得意とする分野です。ミスミのmeviyのように、手間がかかっていた工程を効率化することはAIにかないません。DXというのは、デジタルを活用して知の深化をできる限り効率化し、人間が知の探索をできる環境を作ること。つまりDXは、知の探索のためにあるのです。
これこそ、AIやDXが必要な理由で、今まで企業の優秀な人材が知の深化に時間を取られ過ぎでした。でもこれからはどんどんAIに任せて、人間はイノベーションになくてはならない知の探索側に回って欲しいのです。
人間でなければできないこと
これは僕の尊敬する外食グループの会長から伺った話です。われわれ人類は長い間、「肉体労働」をやってきましたが、クルマやロボットなどの機械が代替するようになりました。そこで人間は「頭脳労働」をやるようになりましたが、それももはやAIが代替する時代になってきました。それでもまだ、人間にしかできない仕事があって、それは「感情労働」だとおっしゃるのです。
お客さまに気持ちよく過ごしてもらう接客業が感情労働であることはもちろんですが、例えばB to Bの営業でも相見積りでどこも同じような数字だった時に、「あの会社の若手は一生懸命で面白そうだから、今回はあそこに頼んでみよう」といったことは良くあります。これってほぼ感情労働ですよね。ですからこれからは、感情労働に長けた組織づくりがビジネスの鍵になってきます。
AIというのはディープラーニングで学習しますが、これは自動的に失敗を減らす仕組みです。ですから失敗しそうな知の組み合わせを試してみるという意思決定は、AIには絶対できません。何よりAIは、決めたことに責任をとることができませんから、答えのないビジネスで答えを出すことは、人間の仕事になっていく。DXが浸透していくことで、人間の価値は上がります。
つまり、これからの時代はきちんと責任を取るということが重要になってきます。ただし、ここでいう責任というのは、会社を辞めるという意味ではありません。「今回はこういう仮説の下にやってみましたが、うまくいきませんでした。その理由として、仮説のここが間違っていたことがわかりましたので、次はこうすれば必ずうまくいくはずです」という説明責任のことです。これこそ知の探索を行うために、なくてはならない人間の仕事だと思います。
そして、その説明責任を果たすために問われるのが、人格なんです。生成AIの登場で、これからは皆さんの発信するナレッジがコモディティ化します。みんな同じようなことを言うようになっていく。その時に「何を言ったか」以上に大切なことは、「誰が言ったか」です。
例えば今日、僕は講演というかたちで多くの方の前で話をしていますが、これからは普通の大学生が同じような話をできるようになるかもしれません。その時に問われるのが、入山章栄というのはこれまで何を研究し、どういう実績を積んできたどんな人間なのかという人格が、信頼できるかどうかの判断材料になってくる。それは人間だけではありません。企業も人格が問われる時代になるということです。
今日はDXの課題である経路依存性、イノベーションを生み出す両利きの経営、知の探索で問われる感情・責任・人格についてお話させていただきました。ご清聴ありがとうございました。(第3回へつづく)

入山 章栄(いりやま あきえ)
早稲田大学大学院 早稲田大学ビジネススクール教授
慶應義塾大学経済学部卒業、同大学院経済学研究科修士課程修了後、三菱総合研究所を経て、2008年に米ピッツバーグ大学経営大学院より博士号(Ph.D.)を取得。同年、米ニューヨーク州立大学バッファロー校ビジネススクール助教授に就任。2013年に早稲田大学ビジネススクール准教授、2019年4月から現職。
専門は経営学。国際的な主要経営学術誌に多く論文を発表している。著書の『ビジネススクールでは学べない世界最先端の経営学』、『世界標準の経営理論』はベストセラーとなっている。近著は『宗教を学べば経営がわかる』池上彰・入山章栄 共著。
シリーズ紹介
楠木建の「EFOビジネスレビュー」
一橋ビジネススクール一橋ビジネススクールPDS寄付講座特任教授の楠木建氏の思考の一端を、切れ味鋭い論理を、毎週月曜日に配信。
山口周の「経営の足元を築くリベラルアーツ」
山口周氏をナビゲーターに迎え、経営者・リーダーが、自身の価値基準を持つための「リベラルアーツ」について考える。
協創の森から
社会課題の解決に向けたビジョンの共有を図る研究開発拠点『協創の森』。ここから発信される対話に耳を傾けてください。
新たな企業経営のかたち
パーパス、CSV、ESG、カスタマーサクセス、M&A、ブロックチェーン、アジャイルなど、経営戦略のキーワードをテーマに取り上げ、第一人者に話を聞く。
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各界のビジネスリーダーに未来を創造する戦略を聞く。
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マーケティングにおける「デジタルシフト」を、いかに進めるべきか、第一人者の声や企業事例を紹介する。
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