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株式会社永和システムマネジメント 代表取締役社長/Scrum Inc.Japan 取締役 平鍋健児氏
各界で第一人者と呼ばれる人はどんな本を読み、読書体験から何を学んできたのか。前篇に続き、組織改革など企業のアジリティを高める手法としても注目を集める「アジャイル」の普及をライフワークとしている平鍋健児(ひらなべ・けんじ)氏に、「アジャイル」との出合いや読書遍歴について伺いました。

「前篇:アジャイルとAI――10年後の未来を読む」はこちら>
「後篇:形式知から実践知へ」

福井に帰り、「アジャイル」に出合う

現在の平鍋氏は、システム開発事業を行う福井県の株式会社永和システムマネジメントを率いる経営者でもある。1989年に東京大学を卒業し首都圏で社会人生活をスタートしたが、子どもの誕生を機に自然豊かな地元・福井に帰り、ソフトウェアエンジニアとして同社に入社した。大好きなプログラミングの仕事に打ち込む日々。しかし厳しい現実に直面する。

「仕様書どおりに完成させたソフトウェアのテストで問題が発生し、徹夜を繰り返す。本当の要求と仕様書が違っている。自分が何をしているのかわからなくなる――そんな日々が続きました。プロジェクトに関わる全員が、よい仕事をしたいと思っている。でも、発注元もエンジニアも苦しんでいるこの状況を、なんとかして変えたい。そう考えていた時期に、『XP エクストリーム・プログラミング(※)入門』という本に出合ったのです。2000年のことでした」

※ 1999年、ケント・ベックらによって定式化・提唱された柔軟性の高いソフトウェア開発手法。

「エクストリーム・プログラミング」は「アジャイル」の1つで、プログラミングやチーム内の開発活動だけではなく、顧客とのコミュニケーションを重視した柔軟性の高いソフトウェア開発の手法だ。

「この本に『ソフトウェアの品質の核心とは、お客さまとの対話や、作る人の思いだ』と書かれていて、衝撃を受けました。この手法なら、お客さまやユーザーの期待に応えられるし、自分たちの仕事で社会に貢献することができる。そう直感し、『アジャイル』を広める活動にのめりこんでいきました」

画像: 平鍋健児氏

平鍋健児氏

それまでのソフトウェア開発の手法は、何をどのように作るのかを時間をかけて分析・設計し、それを膨大な仕様書に落とし込み、一気にプログラムを組んで実装した後にテストを行う「ウォーターフォール型」が主流。長期にわたるプロジェクトの最後にようやく、動くソフトウェアが完成していた。一方、エクストリーム・プログラミングをはじめとする「アジャイル」は、1週間~1カ月という短期間で分析・設計・実装・テストを並行して実施し、それを何度も繰り返す。動くソフトウェアを短いスパンで作っては、顧客やユーザーの意見をフィードバックし、さらに使いやすさを追求したソフトウェアを作る――この繰り返しで完成度を高めていく手法だ。

平鍋氏は「アジャイル」に関する海外のカンファレンスに積極的に参加し、関連書籍を10冊以上翻訳し日本に紹介するなど、「アジャイル」の普及活動に没頭していった。

アジャイル開発と経営の接点

2013年、平鍋氏は組織論の世界的権威で知られる一橋大学名誉教授の野中郁次郎氏とともに『アジャイル開発とスクラム』を上梓した。背景には、「アジャイル」と日本の製造業との意外な接点があった。新製品の開発では、あらかじめ計画された手順を踏むのではなく、さまざまな職能を持った人たちがチームを組み、ラグビーにおけるボール運びのように行きつ戻りつしつつゴールに到達する。――そんなモノづくりの手法がもともと日本にはあった。野中氏は1986年発表の論文『The New New Product Development Game』(竹内弘高氏との共著)で、この手法を「スクラム」と名づけている。

「アジャイル」の重要なフレームワークである「スクラム」の誕生、さらに「エクストリーム・プログラミング」などの手法も合流し、2001年、「アジャイル」の草創期からの有志が「アジャイルソフトウェア開発宣言」を発表。その後、実はスクラムのインスピレーションとなった理論が野中氏の論文だと知り、平鍋氏は驚いたと言う。

「このときの驚きがきっかけとなり、野中先生と『アジャイル開発とスクラム』を書かせていただきました。組織論の視点から『アジャイル』にアプローチし、チームとはどうあるべきかを論じています。ターゲットは経営者。まだまだウォーターフォール型が主流だった当時の日本を変えるには、経営者に『アジャイル』が効果的な手法であること、さらに、この手法が日本由来だと理解してもらう必要があったのです。この経緯は、先ほど紹介した『日本企業はなぜ「強み」を捨てるのか』とも符合しています。日本の中にあった『よいやり方』がブーメランのように戻ってきているのです」

画像: 平鍋健児・野中郁次郎・及部敬雄 共著『アジャイル開発とスクラム』(翔泳社)「アジャイル」を「イノベーションを起こすための組織改革手法」と捉え、経営者に向けて体系的に解説。「アジャイル」の本質を、企業経営やリーダーシップとの関係から考察している

平鍋健児・野中郁次郎・及部敬雄 共著『アジャイル開発とスクラム』(翔泳社)「アジャイル」を「イノベーションを起こすための組織改革手法」と捉え、経営者に向けて体系的に解説。「アジャイル」の本質を、企業経営やリーダーシップとの関係から考察している

地元回帰を後押しした2冊

ところで、平鍋氏はどのような読書遍歴を経てきたのだろうか。

「大学時代は、蓮實重彦先生(※1)の映画ゼミに潜り込んでいたことや当時のニュー・アカデミズム(※2)の影響から、批評家の浅田彰さんや哲学者の柄谷行人さんの著作をよく読んでいました。ただ、今思えば内容の理解にはほど遠く、高尚な理論がかっこよく見えていただけでした」

※1 はすみしげひこ(1936年~)。映画評論家、フランス文学者。著書に『監督 小津安二郎』(ちくま学芸文庫)、『伯爵夫人』(新潮文庫)など多数。
※2 1980年代初頭の日本で起こった、人文科学や社会科学の領域における潮流。

むしろ、その後に出合った2冊が平鍋氏にとって人生の転機につながったと言う。

「宗教学者の中沢新一さんが書かれた『チベットのモーツァルト』は、ご本人がインドやネパールに行って仏教の修行をする話が僕にとって新鮮でした。東京の洗練された文化に囲まれながら、文章化されたものをただひたすら読む学生生活でしたが、現地に足を運んで見たり感じたりすることの重要性に気づかされました」

画像: 中沢新一著『チベットのモーツァルト』(講談社学術文庫)著者が東京大学大学院に在学中の1980年前後にインド、ネパール、ブータンでチベット密教を修行した実体験を通じ、仏教思想と現代思想の融合を試みている

中沢新一著『チベットのモーツァルト』(講談社学術文庫)著者が東京大学大学院に在学中の1980年前後にインド、ネパール、ブータンでチベット密教を修行した実体験を通じ、仏教思想と現代思想の融合を試みている

「民俗学者である宮本常一さんの『忘れられた日本人』に出合ったのもその頃です。汎用的な理論よりも“土着”や“素朴”が持つ意味の強さに気づくと同時に、自分を形作っている成分が、生まれ育った福井県大野市に由来していると捉えるようになりました。この読書体験が、のちに地元に帰るという選択を後押ししました」

画像: 宮本常一著『忘れられた日本人』(岩波文庫)戦前から戦後にかけ日本の各地を旅しながら民俗を研究してきた著者が、歴史の表舞台では語られない「辺境に生きる人々」の暮らしの様子を、各地の伝承者とのやりとりを通じて記録した一冊

宮本常一著『忘れられた日本人』(岩波文庫)戦前から戦後にかけ日本の各地を旅しながら民俗を研究してきた著者が、歴史の表舞台では語られない「辺境に生きる人々」の暮らしの様子を、各地の伝承者とのやりとりを通じて記録した一冊

「アジャイルな生き方」の時代へ

「僕、もうすぐ60歳になるんです」。そう切り出すと、平鍋氏は最後に紹介したい本として『LIFE SHIFT 2』を挙げた。

画像: アンドリュー・スコット,リンダ・グラットン著/池村千秋翻訳『LIFE SHIFT 2』(東洋経済新報社)好評を博した『LIFE SHIFT』の実践編。長寿化に伴い職業人生も長くなる社会でのより良い生き方を、経済学と心理学を専門とする著者が指南する

アンドリュー・スコット,リンダ・グラットン著/池村千秋翻訳『LIFE SHIFT 2』(東洋経済新報社)好評を博した『LIFE SHIFT』の実践編。長寿化に伴い職業人生も長くなる社会でのより良い生き方を、経済学と心理学を専門とする著者が指南する

「昔の感覚だと、学生時代に勉強し、長い社会人生活を過ごし、定年退職したら好きなことをする――言わば、人生全体を3つのフェーズに分割したウォーターフォール型の人生が普通でした。ところが、2000年以降に生まれた世代は寿命が100年近いので、人生1クールでは済まない。学習→実行→ひと休みのサイクルを4回くらい回すような人生が一般的になるだろうとこの本には書かれています。要するに、『アジャイルに』人生を送る。となると、学ぶ力がますます重要になってきます。人生のスタートはつねに学習です。今持っている知識やスキルを新しいものに取り換え、いかに学び直すかが今後大事になっていきます」

画像: 「アジャイルな生き方」の時代へ

理論よりも実践で得られた知識を重視する生き方で、ライフワークである「アジャイル」の普及に奔走してきた平鍋氏。これからの人生をどう送ろうと考えているのか。

「今の仕事をやり遂げたら、どこかのタイミングで学校の先生になれたらなぁ、と考えています。その準備のために学び直すことが、今とにかく楽しいのです」

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「後篇:形式知から実践知へ」

画像: 経営のアジリティを高める、知の探求
【後篇】形式知から実践知へ

平鍋健児(ひらなべ けんじ)

株式会社永和システムマネジメント 代表取締役社長、株式会社チェンジビジョン 代表取締役CTO、Scrum Inc.Japan 取締役。1989年東京大学工学部卒業後、UMLエディタastah*の開発などを経て、現在はアジャイル開発の場、Agile Studioにて顧客と共創の環境づくりを実践。初代アジャイルジャパン実行委員長。著書に『アジャイル開発とスクラム 第2版』(野中郁次郎氏、及部敬雄氏との共著)。ほか、アジャイル関連の翻訳書多数。

シリーズ紹介

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一橋ビジネススクール一橋ビジネススクールPDS寄付講座特任教授の楠木建氏の思考の一端を、切れ味鋭い論理を、毎週月曜日に配信。

山口周の「経営の足元を築くリベラルアーツ」

山口周氏をナビゲーターに迎え、経営者・リーダーが、自身の価値基準を持つための「リベラルアーツ」について考える。

協創の森から

社会課題の解決に向けたビジョンの共有を図る研究開発拠点『協創の森』。ここから発信される対話に耳を傾けてください。

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各界のビジネスリーダーに未来を創造する戦略を聞く。

経営戦略としての「働き方改革」

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ベンチマーク・ニッポン

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