「前篇:アジャイルとAI――10年後の未来を読む」
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組織改革の手法としての「アジャイル」
ソフトウェア開発の手法であった「アジャイル開発」を、経営のアジリティを高める組織改革の手法として取り入れる企業が増えている。平鍋健児氏は、20年以上も前から「アジャイル」を日本に広める活動を続けてきた。
「ソフトウェアだけでなく、変化に即応し高いパフォーマンスを発揮するチーム作りを可能にする『アジャイル』は、コミュニケーションのあり方、ひいては社会の変化に応じて個人がどう変われるかにも影響する手法です。最近は、経営の意思決定やマーケティング、営業といった企業のアジリティを高める手法としても定着してきています」
「アジャイル」の代表的なフレームワークが、より高い価値を生み出すチーム作りを可能にする「スクラム」(※)だ。平鍋氏は、システム開発を生業とする株式会社永和システムマネジメントを経営する一方、スクラムの普及を推進するScrum Inc. Japanの取締役も務めている。近年はソフトウェア開発よりも経営や組織変革のコンサルティングの依頼が多いと言う。
※ 一人ひとりが個別に役割分担していた従来のソフトウェア開発に対し、チーム全員が一体となり設計、プログラミング、テストを行い1週間程度の短いスプリントを繰り返しながら開発を進めていく手法
チームビルディングの現在地
「アジャイル」が市民権を得た今、経営者が抱いている組織変革の課題意識は「チーム作りに有効な『アジャイル』という手法を、複数のチームの力を引き出す効果的な組織づくりに応用していきたい」というフェーズに移ってきていると平鍋氏は指摘する。そこで紹介する一冊が『Dynamic Reteaming』だ。
「企業のアジリティを高めるためには、部—課—係といったヒエラルキー構造の中に指示命令系統がある従来の企業の活動単位ではなく、お客さまに対し価値を生み出すことを主眼としたチームの再構築=『Reteaming』が求められます。この本では、例えばダイナミックに2つのチームを統合するとどんなメリット、デメリットがあるのか、逆にチームを分割する場面はどんなときか、メンバーの入れ替えはどんな目的で、どんなタイミングで行うべきか、が解説されています。中でも僕がいいなと思った点は、チーム再編にあたり、何をするにもその意図をメンバーに徹底的に説明すべきだという指摘です。チームとは単に組織の一要素ではなく、構成員一人ひとりの気持ちが響き合うものという考えが根底にあります。組織や経営のアジリティを高める上で重要な視点です」
この1年間で刊行された書籍の中では、経営学者の岩尾俊兵氏の『日本企業はなぜ「強み」を捨てるのか』が非常に興味深かったと平鍋氏は語る。
「スクラムはアメリカ発祥ですが、一橋大学名誉教授の野中郁次郎先生の理論を手本としています。そのほかにもトヨタの『カイゼン』をはじめ、日本には優れた経営手法がもともとあったのです。ただ、それを上手く言語化することが日本にはできなかった。日本発の経営手法を欧米のコンサルが整理して標準化したものを、日本が逆輸入して学び直すという逆転現象が起きている――これが岩尾さんの見立てです」
同書では、ポスト資本主義の観点からもこれからの日系企業のあり方について論じている。
「今後、日本の経済がインフレ化していく――相対的にカネの価値が下がり、ヒトやモノの価値が上がることで、日系企業は従来の『カネ優位』から『ヒト優位』の経営にシフトしていくべきだと岩尾さんは主張しています。企業価値を創造するために、売上ではなく社員の成長に注力すべきだという考え方は、経営者でもある僕にとって非常に参考になりました」
AIで社会はどう変わるか
これからの10年間で社会がどう変わるかを考えるにあたり、平鍋氏は2つのテーマを柱に据えている。1つが「アジャイル」、もう1つがAIだ。
「『アジャイル』は人に焦点を当てているので、この20年をかけてゆっくりと『漸進的に』社会を変化させてきました。言わば、納得感のある世界です。ところが、AIは爆発的な成長を遂げています。ある意味『暴力的に』社会を変える可能性があるのです。僕もプログラマーなので実際にAIを使っていますが、プログラミング効率が体感で3倍に上がります。AIは『アジャイル』の10倍の速さで社会に浸透していくのでは」と、エンジニアとしての実感を口にする平鍋氏。経営者におすすめのAI関連の書籍として『生成AIで世界はこう変わる』を挙げた。
「AIの技術に関する専門知識がなくてもすらすら読める一冊です。人類にとってのAIの位置づけや、AIの背後にある技術、AIの登場で消える仕事・残る仕事など、AIを取り巻く現状の理解に適していますし、将来AIが社会に与え得るインパクトを、期待感を持って捉えることができます。著者はずっとAIの最新技術情報をX(旧Twitter)で発信してきていますが、本書は一般の読者向けに、とても平易に書かれています」
AI関連でもう1冊。SF小説『タイタン』は、AIが高度に進化した2205年が舞台だ。そこには国家も貨幣も労働もない。人間に必要なモノはすべてロボットが生産し、買い物や恋愛対象はAIがサジェストしてくれる。あるときAIの不具合が発生する。自己修復機能が働かなくなったAIは、人間には直せない。そこで、故障したAIを心理学者の主人公がカウンセリングし、一緒に旅に出る――というストーリーだ。
「今僕たちにとって当たり前である世界観がひっくり返ったときに、人間ってどんな感覚になるんだろう――そんなことを考えさせられます。AIの進化に対する期待や不安が、SF小説という形を通じ、非常に具体的な会話やエピソードとして、適切な技術レベルで作品化されています。擬似体験として読む価値がある、仮想世界の物語です」
ヘッドライトオペレーション
平鍋氏には今、経営者として大切にしている言葉がある。それが「ヘッドライトオペレーション」だ。
「過去に通ってきた道や上手く走れなかったことに焦点を当てるのではなく、自動車を運転しているときのように未来をヘッドライトで照らして、これからすべきことを考えるという意味です。これは経営にも言えることで、今までのように過去の課題解決を主眼に置くのでなく、未来に起こりそうな事象に焦点を当てたほうが、いい経営ができる。さらに言えば、そのヘッドライトで未来を照らす作業には経営陣以外の人も巻き込んだほうが、企業全体のアジリティ強化につながる。『ヘッドライトオペレーション』のスタンスで、僕自身、経営の舵取りをしていきたいと思います」(後篇へつづく)
平鍋健児(ひらなべ けんじ)
株式会社永和システムマネジメント 代表取締役社長、株式会社チェンジビジョン 代表取締役CTO、Scrum Inc.Japan 取締役。1989年東京大学工学部卒業後、UMLエディタastah*の開発などを経て、現在はアジャイル開発の場、Agile Studioにて顧客と共創の環境づくりを実践。初代アジャイルジャパン実行委員長。著書に『アジャイル開発とスクラム 第2版』(野中郁次郎氏、及部敬雄氏との共著)。ほか、アジャイル関連の翻訳書多数。
シリーズ紹介
楠木建の「EFOビジネスレビュー」
一橋ビジネススクール一橋ビジネススクールPDS寄付講座特任教授の楠木建氏の思考の一端を、切れ味鋭い論理を、毎週月曜日に配信。
山口周の「経営の足元を築くリベラルアーツ」
山口周氏をナビゲーターに迎え、経営者・リーダーが、自身の価値基準を持つための「リベラルアーツ」について考える。
協創の森から
社会課題の解決に向けたビジョンの共有を図る研究開発拠点『協創の森』。ここから発信される対話に耳を傾けてください。
新たな企業経営のかたち
パーパス、CSV、ESG、カスタマーサクセス、M&A、ブロックチェーン、アジャイルなど、経営戦略のキーワードをテーマに取り上げ、第一人者に話を聞く。
Key Leader's Voice
各界のビジネスリーダーに未来を創造する戦略を聞く。
経営戦略としての「働き方改革」
今後企業が持続的に成長していくために経営戦略として取り組むべき「働き方改革」。その本質に迫る。
ニューリーダーが開拓する新しい未来
新たな価値創造に挑む気鋭のニューリーダーに、その原動力と開拓する新しい未来を聞く。
日本発の経営戦略「J-CSV」の可能性
日本的経営の良さを活かしながら利益を生み出す「J-CSV」。その先進的な取り組みに迫る。
ベンチマーク・ニッポン
日本を元気にするイノベーターの、ビジョンと取り組みに迫る。
デジタル時代のマーケティング戦略
マーケティングにおける「デジタルシフト」を、いかに進めるべきか、第一人者の声や企業事例を紹介する。
私の仕事術
私たちの仕事や働き方の発想を変える、膨らませるヒントに満ちた偉才たちの仕事術を学ぶ。
EFO Salon
さまざまな分野で活躍する方からビジネスや生活における新しい気づきや価値を見出すための話を聞く。
禅のこころ
全生庵七世 平井正修住職に、こころを調え、自己と向き合う『禅のこころ』について話を聞く。
岩倉使節団が遺したもの—日本近代化への懸け橋
明治期に始まる産業振興と文明開化、日本社会の近代化に多大な影響を及ぼした岩倉使節団。産業史的な観点から、いま一度この偉業を見つめ直す。
八尋俊英の「創造者たち」~次世代ビジネスへの視点~
新世代のイノベーターをゲストに社会課題の解決策や新たな社会価値のつくり方を探る。