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藤原氏は、自伝を共著した山口淑子氏の生涯からアイデンティティの問題について考えるようになったと話す。翻って考える日本のアイデンティティとは何か。次なる40年で日本がめざすべき道とはーー。

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「第5回:これからの日本がめざすべき道とは」

アイデンティティへの問いかけ

――戦前から戦後の日本社会と共に歩んでこられた藤原さんですが、『李香蘭 私の半生』を共著された山口淑子さんの人生も歴史の流れと重なる印象です。

2014年に94歳で亡くなられた彼女の人生は、まさにアジアの歴史そのものだったと思います。満州国のPRのためにつくられた満洲映画協会のトップスターだった李香蘭は、本名を山口淑子という日本人でした。日本語を話せる中国人女優という触れ込みで、旧日本軍が中国人に対する文化政策に利用していたのです。

敗戦後、彼女は日本軍の宣伝活動に加担し祖国を裏切った罪で、中国の軍事裁判にかけられました。しかし日本人であることが立証されて無罪になり、国外追放されます。逆に、親友であった川島芳子さんは、清の皇族の血筋でありながら日本人の養女となり、諜報活動を行って祖国を裏切ったとして銃殺刑に処されます。日本軍に利用された二人の「よしこ」のうち、山口淑子さんだけ生き残った。そして戦後はハリウッドで女優として活躍し、芸能界を引退したあとは、1974年から参議院議員を3期務めています。波乱の人生と言えますが、彼女の伝記を時系列に沿って追っていくだけで、昭和を振り返ることができます。

山口さんは実に聡明な方で、伝記の共著を通じて僕は多くのことを教わりました。「アイデンティティ」ということもその一つです。中国人でありながら日本人となって処刑された親友と、日本人でありながら中国人と偽らざるを得なかった自分。祖国と中国の間に挟まれ、自分とは一体何者なのかという問いを、彼女は抱き続けていました。

このアイデンティティの問題は、日本という国家にも当てはめられると思います。日本とはどんな国なのか、日本は世界の中でどうあるべきなのか、という問題です。

――40年周期説は、アイデンティティとも関係しているのでしょうか。

そう思います。僕がカナダに特派員として派遣されたのは1967年で、翌年にはアメリカ特派員としてワシントンに転勤します。ちょうど日本はいざなぎ景気に沸いていた頃で、GNP(国民総生産)は瞬く間に増大し、大量の輸出品をどんどん海外に送り出している。経済成長は喜ばしいことだけれど、世界の中で日本だけが突出して成長していることは、海の外から眺める僕の目にはいびつに映りました。内なる力というよりは、何か大きな力に動かされているような感じでしょうか。そして、特に近代国家としての歴史を俯瞰すると、日本の社会システムの転換はいつも外圧であったということに気づいたのです。

最初にお話ししたように、近代の始まりである明治維新は、黒船来航をきっかけに起きたものです。日本は国を開きなさいと外から言われ、変革が始まった。第二の40年はロシア帝国の南下政策という脅威に対抗するための日露戦争から始まりました。市民革命のような内なる変革の要請ではなく、欧米列強の帝国主義というモデルを青写真に、国家が主導して富国強兵、殖産興業に邁進したのです。

その帝国主義が第二次世界大戦に敗れて破綻すると、アメリカを中心とした連合国から平和国家という新しい社会システムのグランドデザインを与えられ、軍事ではなく経済で大国をめざしたのが第三の40年。そして第四の40年の始まりは1985年のプラザ合意。これは東西冷戦構造の解消と言い換えてもいいのですが、グローバル社会の構造変化をきっかけにバブル経済とその崩壊がありました。

つまり、これまで日本は外から与えられた設計図をもとに社会システムを築いてきたのです。じゃあ日本のアイデンティティは何なのか。

画像: アイデンティティへの問いかけ

文化の魅力で尊敬される国に

――次のターニングポイントは2025年前後ということになりますが、そのときにどう変化するかは日本のアイデンティティと関わるのですね。

はい。今、ロシアによるウクライナへの軍事侵攻で世界秩序が大きく乱れています。これまで中国は驚異的な発展をしてきましたが、その中国も含めた大国と呼ばれる国々の質的低下が起きているように感じます。ヨーロッパの先進国と呼ばれる国々も含め、「衰退途上国」とでも言うべき状況にあるのではないでしょうか。

その先端を走っているのが日本です。しかし2025年頃に衰退はボトムを迎え、そこから次の上昇局面に向かうのではないか、というのが僕の希望的観測です。

問題は、その先の40年で日本はどんな国家をめざすのかということです。これまでのようにグランドデザインを与えてくれるような国は、もうありません。自分たちの国家のあり方は自分たちで主体的に考えなければならない。その主役となるのは一人ひとりの「個人」であると思います。

明治維新から第二次世界大戦までは「国家」を中心に軍事大国をめざし、敗戦から今日までは「企業」を中心に経済大国に邁進しましたが、いずれもうまくいかなかった。その原因は個人をないがしろにしてきたことかもしれません。

では個人を中心として生み出す、次なる国力の源泉として可能性が高いのは何か。僕は文化、あるいは生活文化、いわゆるソフトパワーと呼ばれる力ではないかと思います。例えば、観光立国をめざしてインバウンド需要を取り込もうという動きも盛んになっています。それがレゾンデートル(存在意義)だと思い込んでしまうことは問題ですが、他の国の人々を惹きつける日本文化の魅力は、過去から連綿と続く個人の営みの上に築かれてきたものです。そのことを再認識して、文化を大切にすることは、日本人が自分たちのアイデンティティについて考え、確立していくきっかけになるはずです。

僕は最近、若い人たちと直接接する機会が少ないので実態は分かりませんが、世の中全体の動きを見ていると、個性や主体性を大切にする価値観や社会の課題を自分事としてとらえる価値観が広がり、個の成熟が進んでいると感じます。成熟した個人の力によって文化や福祉、教育などのあらゆる分野がバランスを保ち、質の高い生活文化によって立つ「生活文化立国」は、次なるグランドデザインとしてふさわしいかもしれません。「大国」ではなく「立国」です。これまで大国となることをめざして破綻してきたのですから、これからはスケールよりもクオリティを追求することが大切です。

軍事力でもなく、経済力でもなく、文化の魅力で尊敬され、信頼される国になる。それが次の40年で日本がめざすべき道なのではないでしょうか。

撮影協力 公益財団法人国際文化会館

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画像: 近代日本 160年の歩みから未来を展望する ~時代を俯瞰する「知」を養うために~
【その5】これからの日本がめざすべき道とは

藤原 作弥
1937年仙台市に生まれる。旧満州安東(現丹東)で終戦を迎え、1946年11月帰国。1962年東京外語大学フランス学科卒業後、時事通信入社。オタワ・ワシントン特派員、編集委員、解説委員長などを歴任。1998年から2003年まで日本銀行副総裁、2003年から2007年まで日立総合計画研究所社長を務める。
著書に『聖母病院の友人たち』(日本エッセイストクラブ賞受賞)、『満州、少国民の戦記』、『李香蘭・私の半生』(山口淑子氏との共著)、『死を看取るこころ』、『満州の風』、『素顔の日銀副総裁日記』ほか多数。

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