自分の人生を思うがままに生きるために
「自由になるための技術」というぐらいだから、「不自由」な状態とは何かを考えるとリベラルアーツの意味合いがはっきりしてくる。例えば、ローマ時代の奴隷。生まれた時代が違えば、著者の山口周氏と私はガレー船の底で横に並んでひたすら櫓をこいでいたかもしれない。自由な時代に生まれた幸運と幸福を噛みしめる。
ローマ時代、リベラルアーツ(artes liberales)の対概念はメカニカルアーツ(artes mechanicae:機械的技術)だった。ガレー船を漕ぐ奴隷は一定のメカニカルアーツの持ち主だった。そうでないと船が動かない。しかし、彼らはリベラルアーツとは無縁だった。
ローマの奴隷は今風に言えば「従業員」。奴隷といっても生身の人間、主人が上手く使いこなすためにはアメとムチが必要だった。賃金はもちろん、日常生活についても、主人はわれわれが想像する以上に奴隷の働き方に気を配っていたらしい(この辺、本書に登場するヤマザキマリ氏に詳しく聞いてみたい)。奴隷にも手段――たとえば自分の時間の使い方や仕事のやり方についての工夫――については一定の自由があった。メカニカルアーツに長けていることが優れた奴隷の条件だった。
つまり、2つの違った種類の「自由」があるということだ。ひとつが、所与の目的をどのように達成するかにかかわる手段の自由。メカニカルアーツを駆使するローマ時代の奴隷は、手段の選択においてはわれわれが想像する以上に「自由」だった。
もうひとつが目的選択の自由。リベラルアーツはこちらのほうの自由を問題としている。手段を自分で選べるだけでなく、目的を自ら設定できる。自分が何をなすべきか、自分にとって何がいいことなのか、それが自らの自由意志に委ねられているという意味での自由だ。目的設定や価値判断は主人の専権事項だった。奴隷が奴隷である理由は、自分以外の誰か(=主人)が決めた価値基準への従属を強制されていることにある。他者から与えられた価値基準から自由になる。そこにリベラルアーツの本質がある。
明治期の「創造的翻訳」によって、リベラルアーツは「教養」という日本語として定着した。著者が言うように、「自らに由って」考えることができる――これが最も正確で意味のある教養の定義だと思う。自らの思考と経験を積み重ねる中で、自分自身の価値基準を獲得する。自分以外の何物にも振り回されず、独自の価値基準に従って判断し、選択し、行動する。教養とはその人が寄って立つ基盤となる。もっと言えば、その人をその人たらしめているもの、それが教養だ。
「教養=博識」と勘違いしている人がいる。教養とは、いろいろなことを知っていて知識の量が人よりもあるといったことではない。どんなに知識量が多くても、自分の価値基準に従って考え、判断し、行動できなければ、教養があるとはいえない。反対に、知識量は限られていても、教養にあふれた人はいる。自分の価値基準が明確で、自分がなぜそう考えるのか、自分の言葉で他者に説明できる。そこに教養が現れる。
本書に収められている著者と7人の対話は、それぞれの分野――中西輝政氏であれば国際政治史、出口治明氏であれば教育とダイバーシティ、橋爪大三郎氏であれば宗教、平井正修氏であれば禅、菊澤研宗氏であれば組織論、矢野和男氏であれば社会物理学とAI、ヤマザキマリ氏であれば異文化体験――についての豊かな知識を伝授してくれる。しかし、本書を読む一義的な価値は個別の知識の獲得それ自体にあるのではない。リベラルアーツが何であって何ではないか、リベラルアーツとメカニカルアーツとの線引きがどこにあるのかを知ることにある。
繰り返すが、教養とはその人が自ら打ち立てたその人に固有の価値基準である。本書の中で、著者とそれぞれの対話はさまざまな価値判断を下し、意見を主張している。その背後にある基準が何なのか。そこに教養の内実がある。さらに言えば、思索や経験を重ねる中で、それぞれの対話者の価値基準がどのように錬成されたのか。そこを読み取ることによって、リベラルアーツの輪郭はいよいよ鮮明になる。
その人に固有の価値基準という定義からして、教養に一つの「正解」はない。自由であるということは、人によって何が「よい」のかが異なるということに他ならない。「正しい・間違っている」ではない。ある人にはあるし、ない人にはない。教養とはそういうものだ。著者や本書に登場する対話者の価値観にすべて同意し、受け入れる必要はない。当然のこととして、自分の考えとズレがあったり、正面から食い違うこともあるだろう。それでも他者の教養に接することには大きな意味がある。自分とは異なる価値基準を知ることによって、自分の価値基準についての理解もまた深まる。
今日の昼食に何を食べるのかといった些事から、仕事でのここ一番の決断まで、生活や仕事は意思決定の連続だ。私たちは大小さまざまな判断と選択を繰り返す中で生きている。その判断基準を形づくるリベラルアーツは極めて実践的かつ実用的、しかも利用頻度の高い技術だ。リベラルアーツを味方につけることによって、人間は快適かつ思い悩むことの少ない生活を送ることができる。一方で、教養を持たない人は、「なぜ、あなたはそう思ったのか」「なぜそうした選択をしたのか」と問われても、「他の人が言っているから」「世の中の流れがそうだから」、会社であれば「上司の指示だから」という理由に終始する。外在的な基準に判断をゆだねるのは、楽なように見えて、実際は窮屈で不安で苦しいものだ。
リベラルアーツは仕事でも役に立つ。それどころか、自己選択と自己責任を原則とする現代社会において、とりわけリーダーにとっては不可欠の知的基盤となる。ただし、である。リベラルアーツは直接的に仕事で必要とされる「能力」ではない。そもそも、仕事で成功し目立つ成果を上げることと、人生を幸せに生きることはまったくの別物である。人が羨む成功をしながら、まるで幸せでない人は少なくない。逆に、仕事ではぼちぼちでも、幸せな人生を全うする人もたくさんいる。両者の分かれ目は教養の有無にある。
自分の人生を自分の思うままに生きる。これがいちばん大切なことだ。世の中は自分の都合で回っているわけではない。ほとんどのことが自分の思い通りにはならない。それでも、自己に内在化された価値観に基づいて考え、自律的に選択したことであれば、泰然として受けとめられる。失敗は反省や教訓として次につながる。ところが、出来合いの価値基準に乗っかった判断や行動であれば、うまくいかなかったときに犯人探しに明け暮れる。自分の外にある環境や状況を恨む。他責思考の先に人間的成長はない。
思いどおりにならない世の中を、思うがままに生きる。そこにリベラルアーツの本領がある。
楠木 建
一橋ビジネススクール教授
1964年東京生まれ。幼少期を南アフリカで過ごす。一橋大学大学院商学研究科博士課程修了(1992)。一橋大学商学部専任講師、一橋大学商学部助教授、一橋大学イノベーション研究センター助教授、ボッコーニ大学経営大学院(イタリア・ミラノ)客員教授、一橋大学大学院国際企業戦略研究科准教授、2010年より現職。
著書に『逆・タイムマシン経営論』(2020,日経BP社)、『室内生活 スローで過剰な読書論』(2019、晶文社)、『すべては「好き嫌い」から始まる』(2019、文藝春秋)、『「好き嫌い」と才能』(2016、東洋経済新報社)、『好きなようにしてください:たった一つの「仕事」の原則』(2016、ダイヤモンド社)、『「好き嫌い」と経営』(2014、東洋経済新報社)、『戦略読書日記』(2013、プレジデント社)、『経営センスの論理』(2013、新潮新書)、『ストーリーとしての競争戦略:優れた戦略の条件』(2010、東洋経済新報社)などがある。
シリーズ紹介
楠木建の「EFOビジネスレビュー」
一橋ビジネススクール一橋ビジネススクールPDS寄付講座特任教授の楠木建氏の思考の一端を、切れ味鋭い論理を、毎週月曜日に配信。
山口周の「経営の足元を築くリベラルアーツ」
山口周氏をナビゲーターに迎え、経営者・リーダーが、自身の価値基準を持つための「リベラルアーツ」について考える。
協創の森から
社会課題の解決に向けたビジョンの共有を図る研究開発拠点『協創の森』。ここから発信される対話に耳を傾けてください。
新たな企業経営のかたち
パーパス、CSV、ESG、カスタマーサクセス、M&A、ブロックチェーン、アジャイルなど、経営戦略のキーワードをテーマに取り上げ、第一人者に話を聞く。
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各界のビジネスリーダーに未来を創造する戦略を聞く。
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今後企業が持続的に成長していくために経営戦略として取り組むべき「働き方改革」。その本質に迫る。
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日本的経営の良さを活かしながら利益を生み出す「J-CSV」。その先進的な取り組みに迫る。
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日本を元気にするイノベーターの、ビジョンと取り組みに迫る。
デジタル時代のマーケティング戦略
マーケティングにおける「デジタルシフト」を、いかに進めるべきか、第一人者の声や企業事例を紹介する。
私の仕事術
私たちの仕事や働き方の発想を変える、膨らませるヒントに満ちた偉才たちの仕事術を学ぶ。
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さまざまな分野で活躍する方からビジネスや生活における新しい気づきや価値を見出すための話を聞く。
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全生庵七世 平井正修住職に、こころを調え、自己と向き合う『禅のこころ』について話を聞く。
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明治期に始まる産業振興と文明開化、日本社会の近代化に多大な影響を及ぼした岩倉使節団。産業史的な観点から、いま一度この偉業を見つめ直す。
八尋俊英の「創造者たち」~次世代ビジネスへの視点~
新世代のイノベーターをゲストに社会課題の解決策や新たな社会価値のつくり方を探る。