「指導者」から「ともに作る仲間」へ
――指揮者という職業はなぜ生まれたのでしょう。時代によってその役割は変化してきたのでしょうか。
三ツ橋
クラシック音楽の世界で最後に誕生した職業が、指揮者だと言われています。音楽がだんだん複雑化して一緒に演奏する人数が増え、その場を仕切る人が必要になってきたわけです。17世紀には杖で床を叩いて拍子をとったり、ヴァイオリニストが弓で合図を出したりしていました。
いまの指揮者に近い形になったのは19世紀前半、メンデルスゾーンの時代ですね。彼はクジラの骨を削って指揮棒にしていたという記録があります。その頃、指揮者は作曲家の兼任でした。自分の作品をよりよく演奏してもらうために指導する。それがやがて演奏技術の指導者的な存在になります。
楽団のレベルが上がった二十世紀後半からは、指揮者と楽団は「指導する者・される者」から「一緒に音楽を作る仲間」という意識に変化してきました。現代の50代、60代の方は、音楽も楽団も愛して、というフレンドリーなキャラクターの方が多いですね。
――公演が決定してから本番までの指揮者の仕事について教えてください。
三ツ橋
自分で企画する場合も、主催者から依頼のあった曲を演奏する場合も、本番は1年から2年先の予定であることが多いです。長いスパンになります。その間に曲を「勉強する」ことが、指揮者の大切な仕事です。また、メディアに出てプロモーションすることも役目のひとつです。
オーケストラのリハーサルは通常1日から3日。それまでに準備を重ね、練り上げていきます。
まず「楽譜に何が書いてあるか」を知らなくてはいけません。それはもちろん表面的な音だけではなくて、作曲家の技法、ハーモニー分析、さらに作品が成立した背景、他の作曲家たちとどう影響を受けあったのかなど多岐にわたります。同時代の他の芸術作品に触れ、オペラなら原作を読み、知識を深めて多角的に分析します。同じ曲を何回やっても、そこにはかならず発見がありますね。
聴衆に曲の背景を説明するわけではありませんが、これらの勉強は解釈に厚みを持たせます。「このハーモニーはこの時代こういう意味を持っていた。だからこうするのだ」と。勉強は、演奏の説得力、裏付けになるのです。
指揮者にとって、オーケストラのリハーサルは仕事の大部分を占めます。演奏会に向けて完成度を高めるための大事な場です。限られた時間でどう楽曲を仕上げていくか、どこから練習を始めるか、どの部分に時間をかけるか、事前に考えていきます。それでも実際蓋を開けると、こちらが難しいと思ったパートも素晴らしく演奏してくださったり、逆に思いがけないところで練習に時間がかかったりするわけで、状況をみながら細かく練習時間の配分を調整します。
プレゼンしない 説得しない やってみる
――指揮者が演奏者に言葉で説明する部分は大きいのでしょうか。それとも指揮そのもので伝えられるのでしょうか。
三ツ橋
それは、指揮者の個性だと思います。リハーサルが1日4コマあったら1コマ目はずっとレクチャー、という方もいれば、ほとんど喋らず通して終り、という方もいます。ケースバイケースですね。人にも、演目にも、状況にもよるんだと思います。
リハーサルはドイツ語でプローベと言いますが、この言葉は「試す」という意味があるんです。私自身は、頭で組み立てたものを一方的にレクチャーするとかプレゼンするのではなくて、そこで実際に起きた課題に「じゃあ、こうしてみよう、ああしてみよう」と演奏者と共に試行錯誤する場がリハーサルなのです。どのくらい説明しようとか、そういうことはあまり考えないですね。
――演奏者と楽曲に対する解釈が合わない場合は、どうするのでしょうか。
三ツ橋
たとえば、素晴らしいソリストから楽曲の新しい魅力を発見させてもらうことはよくあります。もちろん、「私はこう思ってたんだけど」ということもありますよ。人と人ですから、むしろ意見が合致することのほうが少ないかもしれません。それでも、素晴らしい一流音楽家は、無理に説得しなくても自然とお互いの方向性が決まるんですよ。気心の知れた人どうしだと、待ち合わせ場所をこと細かく決めなくても、なんとなく同じ所に着いたりするじゃないですか。それに近いかもしれないですね。
私は自分の考えを相手に押しつけることはしません。それでいい結果になる自信と保証があるなら、やりますが。たとえば子どもがすごく緊張して楽器を弾けない時なら、「ここはこう弾いたら?」とアドバイスする。でも、一流音楽家同士でそういうことは、まずないですね。
指揮者が孤立してもかまわない
――本番中にアクシデントもあると思いますが、危機管理はどのように対応していますか。
三ツ橋
指揮者は演奏会において、3つの時を一緒に生きている感じなんです。ここまで演奏してきた過去、いま現在出ている音、そしてこの先の未来。過去に、難しいところで焦って早くなった。現在は、ちょっと破綻しかけている。そして未来、こういうことが予測される。じゃあここは少しテンポを落とそうとか、こういうアクションをしようとか、常に計画を立てながら進んでいく感じです。皆さんが車を運転している時などもそうだと思いますが。
もちろん危機管理だけではなく、曲のダイナミクスをどう組み立てていくかも重要です。演奏しながら「いちばん小さいところがここ。いちばん盛り上がるところに、こうもっていこう」「あの楽器がハーモ二―を乱しそうだから抑えて」と同時に考えている。そして演奏会のステージでは「あなた今速くなってますよ」とは絶対言えないわけですから、ジェスチャー、目線、表情、できる限りの手段を使って、なんとか演奏者に伝えます。
そのような時にいちばん大切なのは「オーケストラを崩さない」ことです。
コンサートマスターという、第一ヴァイオリンの首席で、オーケストラと指揮者をつなぐ大切な役割の人がいますが、その人と指揮者が一緒に危機を察知したとしても、常に同じ方向に対処できるとはかぎりません。とっさの判断ですから「わっ、逆だ!」ということもあります。
それでも、オーケストラさえまとまっていれば、指揮者が孤立してもかまわないのです。指揮者についてこないからいけない、というわけではありません。
またそこにソリストがいた時に、「ソリストと指揮者」対「オーケストラとコンサートマスター」になってはいけない。そこをどううまくつなげるかを、指揮者は考えます。
(撮影協力/神奈川県立音楽堂)
三ツ橋敬子 KEIKO MITSUHASHI
東京藝術大学及び同大学院を修了。ウィーン国立音楽大学とキジアーナ音楽院に留学。小澤征爾、小林研一郎、G.ジェルメッティ、E.アッツェル、H=M.シュナイト、湯浅勇治、松尾葉子、高階正光の各氏に師事。第10回アントニオ・ペドロッティ国際指揮者コンクールにて日本人として初めて優勝。第9回アルトゥーロ・トスカ二ー二国際指揮者コンクールにて女性初の受賞者として準優勝。併せて聴衆賞も獲得。国内外から注目を集める若手指揮者。
公演情報
三ツ橋敬子の夏休みオーケストラ
神奈川フィルハーモニー管弦楽団とともに贈る子どものためのオーケストラ・コンサート。子どもたちが身体全体を使って音楽を楽しめる企画満載!
日時/8月17日(土)15時開演 [14時開場]
会場/神奈川県立音楽堂
チケットかながわ/0570-015-415 [10時~18時]
第126回定期演奏会 東京ニューシティ管弦楽団
日時/9月7日(土)14時開演 [13時開場]
会場/東京芸術劇場 コンサートホール
出演/指揮:三ツ橋敬子 ヴァイオリン:トーマス・クリスチャン
お問合せ/03-5933-3266
シリーズ紹介
楠木建の「EFOビジネスレビュー」
一橋ビジネススクール一橋ビジネススクールPDS寄付講座特任教授の楠木建氏の思考の一端を、切れ味鋭い論理を、毎週月曜日に配信。
山口周の「経営の足元を築くリベラルアーツ」
山口周氏をナビゲーターに迎え、経営者・リーダーが、自身の価値基準を持つための「リベラルアーツ」について考える。
協創の森から
社会課題の解決に向けたビジョンの共有を図る研究開発拠点『協創の森』。ここから発信される対話に耳を傾けてください。
新たな企業経営のかたち
パーパス、CSV、ESG、カスタマーサクセス、M&A、ブロックチェーン、アジャイルなど、経営戦略のキーワードをテーマに取り上げ、第一人者に話を聞く。
Key Leader's Voice
各界のビジネスリーダーに未来を創造する戦略を聞く。
経営戦略としての「働き方改革」
今後企業が持続的に成長していくために経営戦略として取り組むべき「働き方改革」。その本質に迫る。
ニューリーダーが開拓する新しい未来
新たな価値創造に挑む気鋭のニューリーダーに、その原動力と開拓する新しい未来を聞く。
日本発の経営戦略「J-CSV」の可能性
日本的経営の良さを活かしながら利益を生み出す「J-CSV」。その先進的な取り組みに迫る。
ベンチマーク・ニッポン
日本を元気にするイノベーターの、ビジョンと取り組みに迫る。
デジタル時代のマーケティング戦略
マーケティングにおける「デジタルシフト」を、いかに進めるべきか、第一人者の声や企業事例を紹介する。
私の仕事術
私たちの仕事や働き方の発想を変える、膨らませるヒントに満ちた偉才たちの仕事術を学ぶ。
EFO Salon
さまざまな分野で活躍する方からビジネスや生活における新しい気づきや価値を見出すための話を聞く。
禅のこころ
全生庵七世 平井正修住職に、こころを調え、自己と向き合う『禅のこころ』について話を聞く。
岩倉使節団が遺したもの—日本近代化への懸け橋
明治期に始まる産業振興と文明開化、日本社会の近代化に多大な影響を及ぼした岩倉使節団。産業史的な観点から、いま一度この偉業を見つめ直す。
八尋俊英の「創造者たち」~次世代ビジネスへの視点~
新世代のイノベーターをゲストに社会課題の解決策や新たな社会価値のつくり方を探る。