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難病の子どもたちに、本物のアートで癒しを
少子化が進む日本で、あまり知られていない事実がある。次のグラフを見てほしい。
これは、日本における「医療的ケア児数」の推移だ。医療的ケア児とは、難病を持ち、人工呼吸器の装着やチューブによる痰の吸引などのケアを日常的に必要とする子どもたちのこと。新生児医療の進歩によって、以前なら生後すぐに亡くなっていたケースでも、命が助かるようになった。その結果、難病を抱え、医療機関における長期療養を余儀なくされる子どもの数は増え続けている。
感染症にかかるリスクを回避するため、入院中の子どもには家族との面会すら許可されない場合が多い。手術や治療への恐怖、世間から取り残されるのではないかという孤独感、将来への不安が、ただでさえ難病に苦しむ子どもたちの心を覆っている。
そういった子どもたちを“芸術”というアプローチで支援しているのが、認定NPO法人スマイリングホスピタルジャパン(以下、SHJ)。プロのミュージシャンやコメディアン、マジシャン、声優、版画家、イラストレーターなど多岐にわたるジャンルのアーティストが定期的に小児病棟を訪問するという活動を展開している団体だ。子どもたちと一緒に歌い、作り、笑うことで、闘病への意欲と治癒力を高めることを目的としている。
SHJは、もともと東京都内の院内学級で英語教員をしていた松本惠里氏が、2012年に自宅を事務所として設立。活動範囲は年々拡大し、今や14都道府県・41の医療機関でプロのアーティストによる定期訪問を行っている。しかし、事務局スタッフは松本氏の他わずか5名。全員がSHJの活動以外に本業を持ち、非常勤で運営に当たっている。活動の規模が大きくなる一方で、人材も資金も足りていない。苦境を打開するためには、外部の人間の知恵が必要だった。
そこでSHJが活路を求めたのが、プロボノだ。日本におけるプロボノの草分け的存在である認定NPO法人サービスグラントは、社員向けの施策としてプロボノを実施している企業と、プロボノによる課題解決を必要としているNPOとのマッチングを行っている。今回SHJとのマッチング先としてサービスグラントが選んだのが、2カ月間の短期プロボノプロジェクトを行っている日立だった。2018年秋、そのプロジェクトに1人のエンジニアが参加した。日立製作所の社会システム事業部で主任技師を務める、瀬戸山あゆみだ。
本業は鉄道のシステム開発
瀬戸山は2002年にエンジニアとして日立システムアンドサービス(現・日立ソリューションズ)に入社し、2015年に日立グループ内の組織再編にともない日立製作所に転籍。入社からの17年間、一貫して鉄道関連のシステム開発に携わってきた。
「例えば、駅の自動改札機や券売機の故障の発生、修理にかかった費用などのメンテナンスに関する情報を管理するシステムや、夜間に線路の保守工事をする際の工事計画を作成・管理するシステムなどを手掛けています。最初の6年くらいは、システム設計・構築の担当として、その後はプロジェクトマネジメントの立場でお客さまと接しています。入社して以降ずっとお客さまと直接コミュニケーションがとれる位置で業務に携わってきました」
そんな瀬戸山が、プロボノに参加しようと思い立ったのはなぜか。
「前年度に、プロボノに参加した同僚が部の方針説明会で報告しているのを聞いて、身近にもプロボノをやっている人がいるんだ! と思ったのがきっかけですね。それからずっと、今年度に入ってもプロボノのことが頭の片隅にありました。もともとボランティア活動に興味があったのですが、なかなか参加する機会がなかったので……。夏に社内説明会の案内メールが送られてきたときに、これか! よし、申し込んでみよう、と。NPOのあり方にも興味があったので、プロボノに参加すれば視野を広げられるのではないか、何かNPOのお役に立てられるのではないかと思い、応募しました」
SHJとのプロボノプロジェクトに参加したのは、瀬戸山をはじめ5人の日立グループ社員。部署、職種、事業所もバラバラの5人は、プロジェクト開始直前の9月、社内で行われたオリエンテーションで初めて顔を合わせた。そこで瀬戸山はリーダーに任命され、プロボノに臨むことになった。
なぜ、NPOに資金が必要なのか?
10月1日の昼下がり、プロボノプロジェクトのキックオフミーティング。日立の5人、SHJの職員2人が顔をそろえた。場所は、SHJの訪問先の1つである渋谷区内の医療機関。この日の瀬戸山は午前中に川崎市内で本業のプロジェクトのキックオフに出席し、午後にSHJの実際の活動見学とプロボノの打ち合わせに参加するという、なかなかにハードなスケジュールだった。
SHJが瀬戸山たちに依頼したのは、団体の活動資金である寄付金の支援を企業にお願いするための「営業資料の作成」。そのために、まずはSHJが抱えている課題を洗い出す必要があった。事前に瀬戸山たちが送った質問に答える形で、松本氏が語り出した。それは、団体が今抱えている悩みだけにとどまらず、日々の活動の詳細から団体立ち上げ時の思いにまで及んだ。
「何人くらいのアーティストさんを抱えていて、どんな地域で活動を展開しているのかといった基本的なことから、資金調達の難しさ、他に本業を持つ少数のスタッフで活動を続けていくことの大変さ、NPO団体が事業収入を得る際の法人税の扱いなど…。その一つひとつを書き留めるだけで、わたしたちは精いっぱいでした」
さらに、SHJにとって一番の課題である資金調達は、NPOへの理解がまだまだ浅かった瀬戸山たちにとってとっつきにくい話題。松本氏の話を聞いてメンバーの頭に浮かんだのは、素朴な疑問だった。
「何のために資金を使っているんですか?」
松本氏の答えは「アーティストさんへの謝金」だった。
「『謝金? ボランティアなのに、ですか?』そんな基本的な確認からのスタートでした」
SHJは、小児病棟を訪問するプロのアーティストに対して謝金を支払っている。提携しているアーティストは総勢160名前後にのぼる。冒頭で触れたように、SHJが活動を展開している医療機関は41。その大半を月1~2回というペースで訪れている。さらに、病児の感染症リスク対策として、アーティストには抗体検査やワクチンの接種が課され、訪問先の医療機関に検査結果を提出する義務がある。検査費用はもちろんSHJの負担となる。
「キックオフで松本さんからいろいろな悩みを伺うことができて、それまで知らなかったNPOの大変さを知ることができました。同時に、さてどうやって営業資料を作っていこうか……。話し合いの末にたどり着いたのが、まずは訪問先の医療機関やSHJの活動に寄付をしてくださっている協賛企業、SHJに登録しているアーティストの皆さんといったステークホルダーにヒアリングをして、営業資料のネタを探すというアプローチでした」
ヒアリングで垣間見た、アーティストの理解の深さ
キックオフの翌週、プロジェクトメンバー5人は社内で打ち合わせを行い、ヒアリング項目について意見を交換。さらに、ヒアリング対象者の連絡先を松本氏に問い合わせるなどの作業を経て、10月15日、再び松本氏を交え、都内の医療機関で2回目のミーティングを実施。ヒアリング項目の詳細を詰めた。
「入院している子どもたちが、SHJの活動を通じて何を思ったか。さらに、その家族や医師、看護師の方々が、子どもたちを見てどう感じたか。協賛企業はSHJの活動のどの部分に共感し、どんなメリットがあるから協賛しているのか。アーティストの皆さんは、子どもたちを訪問することで心境がどう変わったのか。営業資料の目的は資金調達ですから、SHJの活動がステークホルダーにもたらすメリットを強くアピールできるよう、ヒアリング項目を設定しました」
こうして10月初旬から、瀬戸山たちは手分けしてヒアリング調査をスタートした。先方の負担を考えて、基本的にはメールでヒアリング事項を送付し、回答をもらう形で協力を要請。また、協賛企業側の視点の1つとして、日立のCSR部にもヒアリングを行った。集まった回答の中で、あるミュージシャンの言葉に考えさせられたと言う。それは「SHJの活動で心がけていること/注意している点があれば教えてください」という質問へのこんな回答だった。
たいていの子どもが大好きな歌でも、「お母さんが嫌いだから、その歌は歌わないでほしい」と言われて驚いたことがありました。その歌の歌詞には「歩こう」という言葉が入っているのですが、生まれつき足に障害がある彼は、自分が歌詞のように元気に歩けないことで、お母さんが悲しんでいることを知っているようでした。それ以来、子どもたちに「この曲は、好きかな? 歌ってもいい?」と聞くようにしています。(回答より抜粋・要約)
「参加型アートを届けるという活動主旨は理解していましたが、子どもと一緒に歌う曲の選定1つとっても健康なお子さんと接するのとは違う配慮が必要で、医療現場で子どもに関わるというこの活動の難しさを改めて考えました。一方で、子どもが発する思いをしっかり感じ取って期待に応えようとしているアーティストの皆さんが、SHJの活動の趣旨を深く理解されていることに、とても感銘を受けました。世の中に必要な活動だからこそ、その活動場所がもっと増えるようにお手伝いしたい。改めて、そんな思いを強くしました」
瀬戸山あゆみ(せとやまあゆみ)
鹿児島県出身。2002年、株式会社日立システムアンドサービス(現・株式会社日立ソリューションズ)に入社。2015年、日立グループ内の組織再編によって株式会社日立製作所に転籍。現在、社会システム事業部にて主任技師を務める。入社以来、一貫して鉄道関連のシステム開発に携わっている。2018年10月から2カ月間、認定NPO法人スマイリングホスピタルジャパンでのプロボノプロジェクトに参加した。
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