世界中が悲鳴を上げる、増えるばかりの維持費用
— 保守・メンテナンスのスマート化がグローバルな課題に
道路、橋梁、トンネル、上下水道などの社会インフラは、1960年代の高度経済成長期以降に急ピッチで建設されてきた施設が多く、耐用年数とされる50年を超え、建て替えの時期を迎えつつあります。国土交通省の試算によると、こうした社会インフラの維持管理・更新費用は2030年度に18兆円に達するとされており、厳しい財政状況の中で、施設の長寿命化と維持管理コストの低減を実現する新たな施策の確立が求められています。
企業の抱える生産設備も同様です。グローバルな厳しい企業間競争に勝つためには、生産ラインを停止させないよう各種設備の稼働率の向上が重要なテーマとなっています。それだけでなく出荷済み製品の継続的な維持管理のための遠隔監視やオペレーションコストの削減、熟練工のノウハウ伝承なども重要性を増してきています。
保守・メンテナンス業務に関わる課題は日本特有のものではなく、海外においても同様の課題を抱えているのです。
こうした課題解決に向けたアプローチに不可欠なこと――。それは、高齢化と人材不足が懸念される現場管理で熟練者の「暗黙知」を、いかに「形式知」にしていくかです。というのも、社会インフラでも生産設備でも、その保守・メンテナンスの現場では、経験を積み重ねた熟練者の知識や技術をもとにした判断が、リスク回避の意思決定を大きく左右しているからです。
そこで大きな武器として注目されているのがIoTを中核とした先進技術です。問題が起こった際のセンサーデータをはじめとした各種データを、熟練者の判断とともにログデータとして蓄積・分析していけば、属人化していた監視・制御の「暗黙知」を「形式知」として見える化していくことが可能です。
また、現場から離れた場所だったとしても、正確な情報がタイムリーに収集・分析できるIoTの特性を生かせば、判断のスピードや精度が高まり、機器や設備が故障する前の予防保全といった、より効率的でスマートなサポート体制が実現できるようにもなるでしょう。
— メンテナンス情報がビジネスモデルを大きく変える?
それだけではありません。保守・メンテナンス現場でのIoT活用は、ビジネスモデルを変革していく大きな原動力にもなります。
例えば、自社が提供している生産設備がどのような環境でどう使われているか、当初想定していた設計や素材が実際の現場でも正しく機能しているかどうか。これまで検証できなかったリアルな稼働データが迅速に収集・可視化できれば、現場特有の課題や潜在的なニーズなどもいち早く把握できるようになります。
つまり、個々の利用環境に最適化した製品開発や運用コンサルティングの提供など、常に先手を打った対応やサービス提供が行えるようになるのです。
それは、供給者目線で効率化を図る従来型の「サプライチェーン」から、ユーザーや市場ニーズを起点に、求められる製品やサービスを迅速に提供したり、より高度な資産活用を図る新サービスを提供するなど「デマンドチェーン」へのシフトをうながし、グローバル市場での競争力と利益率を高めていく重要な経営基盤となっていくでしょう。IoTにはそれほど大きな可能性が秘められているのです。
— 業務知識、人材力、先進技術を組み合わせ、課題解決へと導く
こうした保守・メンテナンス業務における可能性に注目し、日立では保守・メンテナンス業務におけるIoT活用に積極的に取り組んできました。そこには、産業機械の設計・製造・保守、工場やプラントのEPC※1を自ら手掛け、その知識に基づく、予防保全まで視野に入れた効率的で効果的なメンテナンス業務を長年にわたって自社展開してきた強みが存分に生かされています。
また、社会の多様な課題を解決していく「社会イノベーション事業」を進める中で、専門分野の垣根を越えた“知”のコラボレーションを行い、幅広い経営課題を解決できる組織づくりと人材育成に取り組んできたことも大きなアドバンテージとなっています。これまで培ってきた業務知識と人材力に先進技術を組み合わせ、課題解決をトータルに支援しているのです。
※1 Engineering, Procurement and Construction/設計・調達・建設
グローバルに戦う「武器」を手に入れる
— 製造ラインの安定稼働と品質管理の向上へ
それでは、IoTによって保守・メンテナンス業務がどう変わっていくのか。日立の具体的な取り組みを紹介しましょう。まずは、グローバル化が加速する製造業の現場です。
強豪ひしめく世界市場で継続的な成長を図るには、確かな根拠に基づいたムダのない品質管理や改善とともに、各拠点における製造ラインの安定稼働とダウンタイムの極小化が欠かせません。
そこで日立では、さまざまなデータ形式に対応した収集機能とデータ変換機能を備えたデータ統合・分析基盤「Pentahoソフトウェア」を活用した多彩な提案の検討、検証を進めています。例えば生産装置の振動や温度などの稼働状況、装置を設置した場所の室温や湿度、粉塵など各種センサーから収集したデータを可視化・分析することはその1つ。生産装置の状況をリアルタイムに把握し、故障発生の予兆検知が可能になれば、今まで以上に効率的なメンテナンスが実現でき、ビジネス機会の損失を防ぐことにもつながります。
また、作業者の手の動作や動線をカメラで撮影した映像データを画像認識技術によって統計解析する技術を開発し、その効果検証を実施しています。この仕組みによって、普段とは異なる作業者の位置や動きを正確かつリアルタイムに検出し、部品や工具の取り間違いや作業順序の誤りを把握。効率的なモノづくりを実現するとともに、市場への不良製品の流出をさらに高い精度で防止することができると期待されています。
— グローバルなサービス事業をIoTでサポート
製品出荷後のアフターサービスの強化についてもすでにさまざまな取り組みを始めています。
その先駆けとなったのが、日立建機株式会社が十数年以上も前から世界100以上の国・地域で運用している建設機械の管理・保守サービスです。このサービスは、世界中で活躍しているクレーンやショベルといった建設機械の詳細な稼働データをIoTで遠隔収集。メンテナンス作業の負荷を軽減するとともに、点検・整備記録と合わせたタイムリーな保守サービスの提供で、高い信頼を獲得しています。
今ではこの仕組みを建設業界のみならずより幅広い業種に向けたクラウドサービス Global e-Service on TWX-21として提供しています。さまざまな機器の圧力・熱量・温度・利用回数・回転数などのセンサー情報や、対象機器が車両などの移動体ならばその位置情報やエンジンのON/OFF状態まで把握が可能です。
また、一方的な情報収集だけでなく、機器との双方向通信も可能です。これにより、万が一の異常発生時には遠隔から初期対応操作を行ったり、車両が盗難された場合にはリモートでエンジン停止を行うといったこともできるのです。
このように、各種センサー情報によって機器の状態を的確に把握でき、遠隔からの対応操作ができるようになることによって、メンテナンス業務のやり方が大きく変わります。熟練者の勘や経験ばかりに頼ることなく、事前に保守内容の検討や必要部品の選定などがデータに基づいて行えるようになり、効率的な保守作業の実施や適切な部品在庫管理などによる保守コストの低減とサービス売上の向上を両立。故障予兆技術と組み合わせ、より高度な保守も実現可能で、企業のグローバル競争力の強化に役立っています。
このサービスを継続的に強化することで、さらなるグローバルな課題の解決につなげる試みも行っています。例えばBusiness SNSというコミュニケーション基盤もその1つです。
日本企業が海外進出する際、日本のメンテナンスのやり方を、現地の作業者にどう伝えればいいのか悩むケースも少なくありません。そのような場合に、Business SNSを使えば、国・地域や所属の垣根を越えて、効率的な情報共有と活発な意見交換をセキュアに実現することが可能になり、「どんなことがわからないのか」「何が問題なのか」、“今、知りたいこと”を共有でき、問題の解決につなげられるのです。
社会インフラの安全・安心を支える仕組み
— 時速130km/hで走行する列車からも情報を自動収集
もちろん、日立では製造分野ばかりではなく、社会インフラ分野においても、新たな取り組みをスタートさせています。
例えば、東日本旅客鉄道株式会社(以下、JR東日本)と日立が共同で手がけた、無線式温度センサーによるメンテナンスシステムはその1つです。
対象となったのは、変電所から電車へ電流を流す「き電線」と呼ばれる重要設備です。線路上空に数百m単位で接続されている「き電線」は、接続箇所からの発熱で断線するトラブルが起こる可能性があります。そこで従来は保守作業員がサーモカメラで接続部分の温度上昇をチェックしていました。
この作業負荷軽減と迅速・正確なチェック体制の確立をめざし、き電線の接続金具に太陽光発電型の無線温度センサーを取り付け、持ち運びが容易なモバイル型ゲートウェイとタブレット端末で測定値を自動収集する仕組みを構築したのです。
2015年4月から運用が開始されたシステムでは、最高130km/hで走行する列車からも各所の温度状態を自動的に収集できるようになり、き電線の故障予兆の迅速な見える化を実現。設備管理の高度化は、列車を止めない安全・安定輸送につながっていきます。今後、JR東日本では収集されたデータをもとに、より効果的な設備メンテナンス手法の確立をめざしていきます。
— インフラの長寿命化と維持管理コストの削減を両立
老朽化したインフラの維持管理に関する新しい取り組みも始めています。特に2021年度には道路や橋梁、トンネルなどで築50年以上のものが25%を超えるとされており、安全・安心な生活を支える社会インフラの、適正コストでの維持管理は、国家的にも重要なテーマの1つといえるでしょう。
適切な点検・診断に基づいた効果的な維持管理には、損傷箇所の発見後に調査や修繕を実施する「事後保全」ではなく、施設の状態を日常的に把握しながら修繕する「予防保全」が欠かせません。実際、東京都建設局が橋梁をケースに30年間の総事業費を試算したところ、事後保全に比べ予防保全では、約70%ものコスト削減につながることが明らかになっています。
こうしたニーズに応えるため、日立はセンサー付RFIDを活用して施設の異常をリモートで検知し、その長寿命化と維持管理コストの削減を図る「施設モニタリングサービス」を展開しています。
このサービスでは通信距離200m、時速80kmでデータ受信可能な無線通信技術を利用しているため、道路や河川といった長距離施設の巡回点検でも、パトロール車で高速移動しながら効率的に情報を収集することができます。
各拠点から集められたデータはセンター側で一元管理され、正常状態と異常時の相関を抽出する日立独自のデータマイニング技術によって予防保全のデータとして活用。地滑りや土砂崩れなどの災害、標識や街路灯などの落下や転倒をリアルタイムに検知するほか、状態監視で突然の故障を未然に防ぎ、施設の長寿命化と維持管理コストの低減に貢献しています。
— あらゆる設備保全に関わる情報を統合・可視化するEAM
社会インフラや生産設備の設備保全にかけるコストを最小化しながら、効果を最大化する取り組みとして注目されているのがエンタープライズ・アセット・マネジメント(EAM)です。これは、設備保全に関わるヒト・モノ・カネ・情報を総合的に管理する手法や基盤のこと。日立は1960年代から、電気事業やプラント事業者向けのEAM開発をスタートし、国内で数多くの実績を積み重ねてきました。そして現在、より幅広い企業設備の保全管理を対象に、「安全性」「稼働率」「経済性」という相反するニーズのバランス調整を行いながら企業資産の全体最適化を実現する、汎用的なアプローチを展開しています。
このアプローチでは、設備の予防保全業務の計画策定、意思決定、点検作業をトータルに支援。熟練技術者の経験や勘に頼りがちな予防保全業務を標準化するツールなど日立のノウハウを取り込んでいます。熟練技術者のナレッジをシステムに組み込むことで技術の伝承を容易にし、継続的な設備稼働率の向上と保全コストの抑制を支援しています。
— 動き出した、北米における電力系統安定化プロジェクト
日立が開発したEAMの適用事例は海外にも広がっています。北米で展開している電力系統安定化プロジェクトがその一例です。
北米では1970年代以前に設置・建設された配電設備の老朽化が進んでおり、大規模停電の発生数が年々増加。計画的・効率的な保守により、いかに配電品質を高めていくかが重要課題となっています。
これまでは故障発生のたびに対処する「事後保全」で対応していましたが、設備の大規模化やハリケーン、竜巻など頻発する自然災害、技術者の高齢化なども相まって、新たな維持管理体制の確立が避けられない状況となっているのです。
こうした課題解決に向け、日立は国内電力業界向けに開発したEAM技術と保全ノウハウをベースに、北米の配電企業各社に対して、IoTとクラウドを活用した予防保全・維持管理サービスプロジェクトを推進。すでに推定効果分析を行うクイック・アセスメント・サービスにより、設備投資/事業運営コストや停電率をどの程度下げることができるかの事前検証を始めています。
さらにこのプロジェクトで特長的なのは、故障や停電が少ない日本の電力保全管理の運用ノウハウを、ナレッジベースのディシジョンサポートシステム(意思決定支援システム)として組み込むスキームを推進している点です。これが行えたのも、日立自身が全体を俯瞰するコンサルティングやこうした業務における人材を育成するとともに、その知識を統合・共有できる仕組みを整えてきたからこそ。こうした点は他のベンダーにはない大きなアドバンテージとして注目されており、今後の本格的な事業展開にも期待が寄せられています。
— ロボットや人工知能など、さらなる技術イノベーションを推進
さまざまな生産設備や社会インフラの維持管理水準を高めていくためには、さらなる技術イノベーションが不可欠です。例えば、内閣府が進めるSIP※2という国家プロジェクトでは、10あるテーマの1つである「インフラ維持管理・更新・マネジメント技術」において、ロボットの研究開発が進められています。
また、複雑な要素が絡み合うアセットマネジメントの課題などには、今まで人間が気づかなかった相関を見つけ出すAI(人工知能)の活用も期待されています。
日立でも、こうした最新技術の研究開発を積極的に推進。例えば、作業者負担の大きい場所を点検できるよう、インフラの維持・点検・診断用にマルチコプター(ドローン)や点検箇所をカメラ画像で記録する点検支援ロボットを開発していることはその一例です。
また日立が開発した人工知能技術の一つである「Hitachi AI Technology/H」を活用し設備メンテナンスのコスト削減など課題解決に向けた検証にも取り組んでいます。例えば、使用実績やメンテナンスログ、設置環境などさまざまなデータを人工知能に与えると、膨大な組み合わせ条件の中から設備の劣化に強く影響する条件を仮説として導き出すことができます。その仮説を実際に検証することで、コスト削減に向けた具体的施策の立案も可能になっていくはずです。
テーマと相関性の高い事象を高精度に抽出できる人工知能の活用は、従来の人手による解析では見つけ得なかった課題の抽出も可能になることから、思いも寄らないアプローチでの業務イノベーションを創出する可能性があります。膨大なデータから経験・知見をもとに試行錯誤で何かを見つけ出すのではなく、お客さまの具体的な経営課題に沿ったアウトカムに影響する仮説を人工知能によって導き出し、それを業務改善施策の立案につなげることで、経営効果に直結した現場の業務改革、ビジネスの成長を支援していきます。
保守・メンテナンス業務の効率化と高度化、そして予防保全によるリスクやコストの低減は、日本だけでなく海外でも共通した課題。日立は、これまで実業で培ったノウハウと幅広い技術を駆使しながら、安全・安心な暮らしと社会を支える“最も身近で頼りになるパートナー”をめざし、新たな価値を提供していきます。
※2 Strategic Innovation Promotion Program/戦略的イノベーション創造プログラム
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