ITと人生の新しい関係を作る
東京都港区にあるビルの1F。大通りに面した壁面は一面ガラス張りという開放的なオフィスが水野氏の仕事場だ。
水野氏はライフイズテック株式会社のCEOとして、中高生向けのIT教育サービスの企画・運営を手掛けているが、その目的が少しユニークだ。
「一番の目的は、次の時代の“ヒーロー”を育てることです。もちろん、技術もしっかり教えますが、一番の目的は、単に技術に詳しいエンジニアを輩出するだけでなく、いかに自分を表現して世の中とつながるか。どうやって周囲の人を元気づけ、勇気づけ、楽しませるか。その手段として、ITを使える子供を増やしたいと思っています。プロ野球でいえば、イチロー選手や松井秀喜選手、田中将大投手といったヒーローがいて、子供たちが憧れるようなプレーを見せてくれる。私たちが目指すのは、バットやグローブやボールの代わりに、ITを使って社会に影響を与えていく、次の時代のヒーローを育てることなんです」
ではなぜ、ヒーローになるための方法としてITを選んだのか。
「『好きこそものの上手なれ』と言いますが、夢中になれることは上達の重要なカギになります。そしてこれからの時代、ITは間違いなく多くの子供たちが夢中になれるものの1つだと思ったからです。ITは今や社会に欠かせない存在になっていて、スマートフォンにしても、これほど人々の生活に溶け込んだITツールは今までなかったでしょう。その身近なスマートフォン向けに面白いアプリを作れば、世界中に自分のアイデアを発信し、みんなのヒーローになれるチャンスもあるわけです。そういうわくわく感を子供たちに届けたいと思ったのです」
しかし一方で、日本ではまだ、子供たちがITに夢中になることに、ネガティブな思いを抱く大人も少なくない。そんな環境を変え、子供たちが思う存分ITの面白さや可能性に向き合えるサービスを作りたいという思いも根底にあるという。つまり、ライフイズテックが目指すのは、「子供たちの人生」と「IT」の新しい関係を作ることだ。「人生(ライフ)」と「テクノロジー(テック)」を社名に冠したところにも、水野氏の思いが表れているといえるだろう。
子供たちの“知りたい欲求”に応えたかった
それでは、高校時代の水野氏自身が夢中になれたものはITだったのだろうか。実はそうではない。水野氏が夢中になったのは野球であり、甲子園出場を目指して練習に明け暮れる日々だったという。
「結局、甲子園出場はできなかったのですが、大学に進学して将来のことを考えるようになった時も“甲子園”に対する思いがカギになりました。自分は出場できなかったけれど、これから甲子園を目指す後輩の手助けをしたいという思いが湧き上がってきたのです。そこで、自分は高校の物理教師になって野球部の顧問をやろう。そして甲子園出場に向かって努力する子供たちを支えてやろうと考えました」
大学で物理情報工学を学んだ後、大学院に進んだのも、教師になるのに有利だと聞いたからだ。その大学院在学中には、開成高校に非常勤講師として勤務する機会にも恵まれた。
「いわゆる“ガリ勉”タイプの子がいないことが少し意外でしたが、もう1つ、デジタル・ネイティブ世代らしい趣味として、プログラミングなどに打ち込む生徒が多かったことも印象に残っています」
自作のアプリやWebサイトなどを「先生、見て、見て!」と、生き生きした表情で持ち寄ってくる生徒たち。その姿を水野氏は感慨深く受け止めた。
「子供たちが好きなことに夢中になっている姿を見て『いいなぁ』と感動したんです。私の場合は野球でしたが、ITだって同じこと。教員になったら、甲子園を目指す生徒も、ITや、そのほかのことに夢中になる生徒も、変わらず応援したい気持ちが強くなりました」
しかし一方で、このまま教員になってよいか、不安を感じてもいたという。
「私が子供たちに教えられるのは、その時、野球と物理しかありませんでした。でも、中高生が夢中になるのは、野球と物理だけではありません。ITもそうですし、社会の仕組みや、働くということについても様々な情報を得たいと思うでしょう。人生の様々なことに興味を持ち、学びたいと思う中高生の“知りたい欲求”に応えてあげたいけれど、自分にはそれができない。そこでいっそ、一度企業に就職して、社会の仕組みや働くことについて学んでみようと思ったのです」
教員の夢を捨てるきっかけとなったキッザニアとの出会い
「3年間」と期限を決め、水野氏が入社したのは、当時業績を伸ばしていた人材コンサルティング会社だった。人材採用などについて企業経営者と直接話す機会も多かったというが、特に印象深かったのが、カラオケチェーン「カラオケの鉄人」を成功させた日野洋一氏(株式会社鉄人化計画の創業者)との出会いだ。
「日野さんはよく『本質は何かを考えろ』とおっしゃっていました。例えば、カラオケビジネスの本質は何か。お客様は日常を忘れるためにカラオケ店に来てくれる。だから、日常の世界に引き戻す段ボール箱や備品などがお客様の目に触れてはいけない。そのために店内の整理・整頓を徹底する、といった具合でした」
そこで水野氏はふと考えた。これから自分がやろうとしていることの本質は何なのか。それは「好きなことに夢中になる子供たちを、1人でも多く支えること」である。
「そのためには、教員になることだけが“正解”ではないのではないかと考えるようになりました。1つの学校で教えられる生徒の数には限りがあります。でも、自ら事業を起こし、教育をサービスとして提供すれば、学校や学区といった壁を越え、もっと多くの子供たちを支えることができるんじゃないか。そう思うようになったのです」
新たな着想を得た水野氏には、運命の出会いも待っていた。それが、「キッザニア東京」との出会いだ。ご存じの通り、2〜15歳までの子供が、職業体験・社会体験をできるテーマパークである。
「知り合いの姪っ子と見学に行くと、楽しみながら学べる仕組みがしっかり考えられていることに驚きました。それまで日本にあった子供向けの職業体験施設とは決定的に違っていて、これだ! と思ったんです。『中高生向けのキッザニア』を作ることができれば、自分1人が教師になるよりも、もっと多くの子供たちに楽しく学べる場を提供できるはずだと」
同時に、浮かんできたのは、開成高校で出会った、ITに夢中になる子供たちの笑顔だった。
「ITはこれからの子供にとって必須のもの。それなら自分は中高生向けのIT版キッザニアを作ろう。そのために教員の夢は捨て、起業家として挑戦してみようという決意が固まりました」
シリコンバレーで見つけた新しい教育サービスの形
予定通り3年で就職先を退社した水野氏は、2010年、仲間2人(現COOの小森 勇太氏、取締役の松井 晋平氏)とともにピスチャー株式会社(後のライフイズテック株式会社)を設立。最初の課題であるサービスモデルの確立に着手した。
もちろん最初に参考にしたのはキッザニアだ。保守的になりがちな日本の教育ビジネスの領域で、キッザニアは画期的サービスを立ち上げ、ブレークを果たした。「成功の秘訣は何なのか?」を調べると、キッザニアがすでにメキシコで成功を収めていたこと、その成功事例があったからこそ、国内での投資や支援を獲得できたと知る。
「それなら自分たちも、IT教育サービスでの先進事例、成功事例を探してみよう」と考えた時、Webサイトで見つけたのが、シリコンバレーの名門・スタンフォード大学で開催されていた「夏休みIT教室」だった。これは中高生向けのIT教育を、長期休暇中の大学キャンパスで合宿形式で行うというもの。
「すぐに小森と松井の3人で、視察のために渡米しました。実際に教室の雰囲気を見て驚いたのは、参加する中高生たちがいたって普通のティーンエイジャーだったこと。もっとITオタクのような若者が集うのかと思ったのですが、そうではありませんでした。つまりアメリカでは、子供たちがITに触れることが普通のことになっていたのです。日本もすぐにこういう時代がくる。その時、自分たちがやろうとしていることは役に立つはずだという確信が生まれました」
最初の参加者は3人。それでも自信は揺るがなかった
帰国後は、社会人向けのIT教育を行っている企業にカリキュラムについての相談に行ったり、慶應義塾大学や東京大学などに施設利用の相談に行ったりと、やるべきことは山積みだった。
そして、創業から1年が経った2011年。ついに最初のIT教室を開催することができた。
「中学3年の男の子3人が参加してくれたのですが、こちらのスタッフは7人いましたから、運営側のほうが人数が多い状況でした(笑)。それでも、子供たちが集まってくれたことがうれしかったのを覚えています」
その後も収益面では苦労が続き、一部の人からは「ITがそんなに必要なのか」と懐疑的な意見をもらうこともあった。それでも迷わずに突き進めたのは、様々な人たちに相談し、話を聞く中で、「次の世代に向けてのIT教育」が切実に求められていると知っていたこと、そして「自分たちがその分野の先駆者になり、子供たちを支えたい」という強い思いがあったからだ。
その思いが結果として結実するまでに、それほど長い時間はかからなかった。サービス開始から5年、ライフイズテックが提供する中高生向けのIT教育キャンプ「Life is Tech ! CAMP」は、今や累計参加者が1万4000人を超え、ビジネス界からも教育界からも熱い期待と注目を集める存在となっている。
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作り手と買い手のニーズをITでつなぐ >
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