「第1回:古いものは新しい」はこちら>
「第2回:無限の可能性がある中から一つに絞る」はこちら>
「第3回:「その日が楽しけりゃいい」という生き方をしたい」はこちら>
「第4回:周りの声を聴きすぎないことも大切」
「第5回:楽しく仕事をしている人は創造性が衰えない」はこちら>
フィードバックがない時代だからできたこと
山口
ピアニストのグレン・グールドは、全盛期のときにコンサートは二度とやらないと言ってやめてしまいましたよね。ビートルズも一時期コンサートをやめてしまって。
細野
そうね。
山口
結局そのまま解散になってしまったわけですけれども、コンサートという、お客さんと一緒につくっていくもののよさと、レコーディングという自分たちだけでつくっていくもののよさ、両方あると思います。コンサートは一期一会なので、一体感のあるときもあれば、なんとなくいい関係性ができないときもあると思うのですが。
細野
それはやっぱりありますね。ただ、観ている人に向かって演奏するというのは、必ずしも音楽の本質ではないように思うんです。さきほど話題になった民族音楽でも、誰か人に聴かせるものではない、自分のための音楽というのがあります。それが音楽の原点であるのかもしれない。そう思って、当時のライブではわざわざ観に来た人というよりも、たまたま通りがかった人が観ているにすぎないという感覚で演奏をしていましたね。
山口
お客さんと一緒につくる場とか、即興を楽しむ場であるライブに対して、スタジオに入って音楽をつくるときというのは、ファンや批評家の声というものを意識したり、影響されたりしがちだと思います。僕もものを書いていますから、ネット上のブックレビューなんかを見ると、善くも悪くも心を動かされます。一方で細野さんは、僕から見るとすごく自由に自分のスタイルを変えられてきて、いい意味でファンを裏切ってきた方だと思います。
細野
そうそうそう。
山口
どうしてそういうことができたのでしょう。
細野
最初のスタートが「はっぴいえんど」だとすれば、当時はネットもないしフィードバックもないし、誰が聴いているのかわからないわけですよ。だから、誰も聴いてないと思っていたほうが間違いないと思っていた。
山口
手応えがなかったんですね。
細野
なかったですね。しかも、「はっぴいえんど」はレコーディングが大好きだったので、スタジオで作品をつくるグループだと自認していたんですね。ライブだと調子が悪いときは下手な演奏だったりするので、評判はあまりよくなかったんです、当時。だからライブの回数は多くありませんでした。
山口
逆に言うと、当時の「はっぴいえんど」のファンって、それくらい耳がよかったということなのでしょうね。普通はなかなか聴き分けられないと思うんですけど。
細野
まあ、そうなのかな。だから解散もあっさりとできたわけです。
山口
そうでしたね。
細野
解散してから何十年も経って、やっとフィードバックが出てきたという。なので、さきほどおっしゃったようにビートルズがある時期ライブをやめてスタジオだけにしたという、その気持ちがわかるんですよね。当時はスタジオで何かつくっていくことが一番大事だと思っていたから。
山口
そのときも、「すごくいいものをつくっている」という確信はおありだったんですよね。
細野
ありました。
山口
そこですよね。むしろフィードバックがない、顧客の声が届かないから、何をよすがにするかといったら、自分の認識とか、楽しさとか。
細野
そうです。それがずっと続いてきちゃったんですね、最近まで。だから自分のスタイルを変えることにも抵抗がなかった。ところが最近はフィードバックが多くて。
山口
善し悪しですね。
細野
聴く人たちのことをやっと意識し出して(笑)、つくりにくいなと思うようになってきました。だから今、新しい作品になかなか手がつけられなくて。ごめんなさいって。
聴かれているという意識が芽生えてきた
山口
声が聞こえてくるからこそ惑わされるということはありますよね。実はこれは漫画家の島本和彦さんがおっしゃっていたのですが、『炎の転校生』の連載を開始した頃、担当編集者から読者からの手紙を渡されたそうなんです。初めての手紙だったので喜んで読んだら、1通目が「つまらないです。今すぐ連載を止めてください」って(笑)。
細野
すごいなぁ。
山口
2通目が「絵が下手すぎます」と。
細野
えーっ、心が折れるね、それは。
山口
3通目に読んだのが、「2話まで呼んで3話目はこういうストーリーになるだろうって自分で考えたらそのとおりでした」と(笑)。
もの書きとして私もよくわかるのですが、島本さんもやはり「こんちくしょう!」と思って、その読者たちにパンチを打つつもりで描いた。そうしたら編集者から「まさかこの手紙を書いてきた人たちを凹ませてやろうとか思って描いてないですよね」と。「そんなことを思って描いたら島本さんの連載は1回1回が綱渡りです。毎回おもしろいものを描かないとならない。編集部ではいつ切るかという話になっています。だからそんなものに惑わされずに自分がおもしろいと思うものを全力で描かないと明日はないですよ」と言われたそうです。振り返ってみると、それがすごくよかったそうなんです。
細野
ああ、それは編集者がわざと読ませたな。
山口
ですね。漫画雑誌というのは昭和40年代にマガジンとサンデーが出てきたときからフィードバックシステムとして読者の人気投票があったんです。それである程度競わせるというようなシステムだったわけです。
細野
厳しいね。
山口
一方で、読者の反応にとらわれてしまうと自分の内なるものに目が向かなくなる。それで崩れていく漫画家たちを編集者はたくさん見てきたので。
細野
なるほど。試されたんだ。
山口
批判を見せるけれども、強くあれと。
細野
すごい鍛錬だ。音楽では、あんまりそういうのはないかもしれないな。
山口
そうですか。でも、あの細野さんですら顧客からのフィードッバックに心惑わされているというのは、私としてはちょっと心強く感じました。
細野
「聴かれているんだ」という意識が今頃になってやっと芽生えてきたということですね。(第5回へつづく)
「第5回:楽しく仕事をしている人は創造性が衰えない」はこちら>
細野 晴臣
1947年東京生まれ。音楽家。1969年「エイプリル・フール」でデビュー。1970年「はっぴいえんど」結成。73年ソロ活動を開始、同時に「ティン・パン・アレー」としても活動。78年「イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)」を結成、歌謡界での楽曲提供を手掛けプロデューサー、レーベル主宰者としても活動。YMO散開後は、ワールドミュージック、アンビエント、エレクトロニカを探求、作曲・プロデュース・映画音楽など多岐にわたり活動。
山口 周
1970年東京都生まれ。電通、ボストンコンサルティンググループなどで戦略策定、文化政策立案、組織開発等に従事した後、独立。
著書に『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』(光文社)、『武器になる哲学』(KADOKAWA)、『ニュータイプの時代』(ダイヤモンド社)、『ビジネスの未来 エコノミーにヒューマニティを取り戻す』(プレジデント社)他多数。最新著は『クリティカル・ビジネス・パラダイム:社会運動とビジネスの交わるところ』(プレジデント社)。慶應義塾大学文学部哲学科、同大学院美学美術史学専攻修了。
シリーズ紹介
楠木建の「EFOビジネスレビュー」
一橋ビジネススクール一橋ビジネススクールPDS寄付講座特任教授の楠木建氏の思考の一端を、切れ味鋭い論理を、毎週月曜日に配信。
山口周の「経営の足元を築くリベラルアーツ」
山口周氏をナビゲーターに迎え、経営者・リーダーが、自身の価値基準を持つための「リベラルアーツ」について考える。
協創の森から
社会課題の解決に向けたビジョンの共有を図る研究開発拠点『協創の森』。ここから発信される対話に耳を傾けてください。
新たな企業経営のかたち
パーパス、CSV、ESG、カスタマーサクセス、M&A、ブロックチェーン、アジャイルなど、経営戦略のキーワードをテーマに取り上げ、第一人者に話を聞く。
Key Leader's Voice
各界のビジネスリーダーに未来を創造する戦略を聞く。
経営戦略としての「働き方改革」
今後企業が持続的に成長していくために経営戦略として取り組むべき「働き方改革」。その本質に迫る。
ニューリーダーが開拓する新しい未来
新たな価値創造に挑む気鋭のニューリーダーに、その原動力と開拓する新しい未来を聞く。
日本発の経営戦略「J-CSV」の可能性
日本的経営の良さを活かしながら利益を生み出す「J-CSV」。その先進的な取り組みに迫る。
ベンチマーク・ニッポン
日本を元気にするイノベーターの、ビジョンと取り組みに迫る。
デジタル時代のマーケティング戦略
マーケティングにおける「デジタルシフト」を、いかに進めるべきか、第一人者の声や企業事例を紹介する。
私の仕事術
私たちの仕事や働き方の発想を変える、膨らませるヒントに満ちた偉才たちの仕事術を学ぶ。
EFO Salon
さまざまな分野で活躍する方からビジネスや生活における新しい気づきや価値を見出すための話を聞く。
禅のこころ
全生庵七世 平井正修住職に、こころを調え、自己と向き合う『禅のこころ』について話を聞く。
岩倉使節団が遺したもの—日本近代化への懸け橋
明治期に始まる産業振興と文明開化、日本社会の近代化に多大な影響を及ぼした岩倉使節団。産業史的な観点から、いま一度この偉業を見つめ直す。
八尋俊英の「創造者たち」~次世代ビジネスへの視点~
新世代のイノベーターをゲストに社会課題の解決策や新たな社会価値のつくり方を探る。