「第1回:「ヨ族」と「ス族」の価値基準。」はこちら>
「第2回:「ヨ族」が増殖する理由。」はこちら>
「第3回:“残念です”を多用する「ヨ族」。」はこちら>

「ヨ族(良し悪し族)」が好きな話に、「ブラック企業、ホワイト企業」というのがあります。もしその会社が労働基準法に違反しているとか、不当労働行為とかを行っていれば、これは単なる犯罪です。ブラックなんて言わないで単に犯罪として訴えればいい話です。

ところが、法やルールを守っている会社について、なんかきついとか、おもしろくないとか、個人の「好き嫌い」を第三者が一律の「良し悪し」基準に乗せて、悪い会社だ、ブラックだっていうのは、僕は大反対なんです。物事を良い方から悪い方に縦に並べて考える「ヨ族」は、ブラックだホワイトだとやたらに「評価」をしたがるのですが、それぞれが良いかどうかは、当たり前の話ですが、個人の好き嫌いに依存している。「ス族(好き嫌い族)」は物事を横に見ます。いろんな企業を横に並べてピンク企業とかブルー企業とか、パープル企業、オレンジ企業、グリーン企業、そういう方がいいんじゃないかなと思います。会社によってカラーが違う。それは優劣の問題ではない。個々の企業ごとに価値基準が違うだけです。働く側も自分の好き嫌いにフィットした会社を選べばよい。

働き方改革でも、こういう働き方が良くて、こういうのは間違っている、みたいな話があります。さすがに政府もいろんなケースがあるのはわかっているので、簡単に法律にはできません。法律にできないということは、「良し悪し」ではないということです。働き方改革でも、これからはこれがいい仕事だと決められるわけはありません。それは個別の企業や、働く人たちの自由だと思います。

また、以前にもお話しした“金融資本主義”。これが、僕は「ヨ族」的な思考の究極的な姿だと思うんです。おさらいになりますが、本来の資本主義というのは、お金という非常に便利な交換手段があるので、最後はお金がものを言います。ただし、“手段”としてお金がものを言うんですというのが資本主義です。おいしいものを食べたいと思えば、お金を稼がなければいけない。この場合、お金はおいしいものを食べる“手段”であり、何がおいしいのかというのは一人ひとりの価値基準に委ねられている、「好き嫌い」ゾーンなんです。つまり、お金が“手段”にとどまっていることが、資本主義が健全に作動するためにとても大切なことなのです。

ここのたがが外れて、値段の高い安いが「良し悪し」の基準になると、5,000円のお鮨は1,000円のお鮨のちょうど5倍おいしい。月給100万円の仕事は、月給20万円の仕事と比べると5倍価値があるというふうに、“手段”だったお金が“目的”化する。これが金融資本主義です。つまり、本来だったら多様性があって、一人ひとりが持ってるはずの価値基準が、お金という、もっとも比較しやすい定量的な物差しに強制翻訳されていくというなりゆきです。

とりあえず、資本主義も民主主義もすぐに代替するものがないのであれば、ぜひ健全な民主主義、健全な資本主義であってほしいなと思うんです。僕は健全性を取り戻すというのは、その1で話したように氷山の水面を上げることだと思っているんです。つまり、水面に出ている「良し悪し」を減らして、水面下の「好き嫌い」を増やす。

政治的には、自分の頭で考え、自分の価値基準を持って、投票に行く。そうじゃないと、そのときの刹那的なインターネットとかの情報、これがいいんだとか、けしからんみたいな声に簡単に流されます。ポピュリズムというのは、「良し悪し」をうまく利用するものなんです。

ブレグジットもそうかもしれません。「ヨ族」が増えすぎた社会で起きた問題だと思います。資本主義が行き過ぎちゃうのが金融資本主義だとすると、ブレグジットは民主主義が機能し過ぎてしまったから起きている問題です。「ス族」の復権は、こういう傾向に対するカウンターパワーになる。

「好き嫌い」というのは、個人の中の局所的な話なのですが、実はこれが資本主義を救うことにもなれば、民主主義を健全に作動させる原動力にもなり、平和の実現にもつながります。戦争を始めるのって、決まって「ヨ族」なんです。「ス族」は、争いごとがあまり起きない。天丼が好きな人とカツ丼が好きな人の大げんかってあんまりないですよね。お互いの好きなもの・ことに干渉しない。好き嫌いは個人の自由です。だから僕は、自分と意見が違う人とはつながらないとか関わらない、でも尊重するっていうことが結構重要じゃないかと思っています。でもそのためには、それぞれの「好き嫌い」だよねっていう理解がベースのところで必要になってくるんですね。

世の中にとって本当に大切なものって限られていて、マクロでいえば自由と平和。「ス族」は自由と平和を愛好します。「ヨ族」が我が物顔でSNSやネットニュース上を練り歩く世の中で、もうちょっと「ス族」が本来の活力を取り戻してもらいたいなというのが、今度出した『すべては「好き嫌い」から始まる』という本で伝えたかったことなんです。

楠木 建
一橋ビジネススクール教授
1964年東京生まれ。幼少期を南アフリカで過ごす。一橋大学大学院商学研究科博士課程修了(1992)。一橋大学商学部専任講師、一橋大学商学部助教授、一橋大学イノベーション研究センター助教授、ボッコーニ大学経営大学院(イタリア・ミラノ)客員教授、一橋大学大学院国際企業戦略研究科准教授、2010年より現職。
著書に『すべては「好き嫌い」から始まる』(2019、文藝春秋)、『「好き嫌い」と才能』(2016、東洋経済新報社)、『好きなようにしてください:たった一つの「仕事」の原則』(2016、ダイヤモンド社)、『「好き嫌い」と経営』(2014、東洋経済新報社)、『戦略読書日記』(2013、プレジデント社)、『経営センスの論理』(2013、新潮新書)、『ストーリーとしての競争戦略:優れた戦略の条件』(2010、東洋経済新報社)などがある。