一橋ビジネススクールPDS寄付講座特任教授 楠木建氏
長期エンゲージメント株主と経営者との、あるべき関係とは。ある日系企業と海外ファンドとの応酬を例に、楠木氏が考察する。

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「第2回:ターゲット株主。」はこちら>
「第3回:建設的対話。」
「第4回:みにくいアヒルから、ハクチョウへ。」はこちら>
「第5回:スタートアップの誤解。」はこちら>

※本記事は、2023年5月12日時点で書かれた内容となっています。

前回、ターゲット株主というお話をしました。きちんとした分析ができて、経営がよくわかっているかどうか。短期ではなく長期の視点を持っているかどうか。これが、ターゲット株主の選定基準です。

今年4月、アメリカのValueAct Capitalというファンドが投資先のセブン&アイ・ホールディングスにオープンレターを送り、主力のコンビニエンスストア事業により集中的に投資するために、スーパー事業やアパレル事業を切り離すべきだと提言しました。

ValueActの投資のスタイルは、特定少数の企業だけを対象とした長期厳選投資です。さらに、投資先のボードメンバーとして、自分たちが推薦した人物を派遣する。投資先の戦略会議に参加する。企業のガバナンスに積極的に関与することによって長期的な価値向上を実現し、自分たちも儲ける。相対的にクオリティーの高い長期投資家だと思います。

ValueActの日系企業へのエンゲージメントの成功例は、オリンパスへの投資です。2011年に粉飾決算が露見したのち、オリンパスの経営は瀬戸際に立たされます。その後、2018年からValueActは同社に投資しています。コーポレートガバナンスを強化することにより、企業価値を向上させる。同社はオリンパスに取締役を派遣し、資本市場の視点を取り入れて経営の決断を促していきました。カメラ事業や科学機器事業を売却し、内視鏡などを製造する医療分野に特化する戦略を取り、大胆に事業ポートフォリオを組み替えました。2023年5月現在、取締役12人のうち9人が社外取締役です。一時期窮地に陥ったオリンパスは、今や頑健な経営の会社になっています。

オリンパスの2023年3月期の連結純利益は1,434億円。前期比23.9%増、2年連続で過去最高益を更新。現在の時価総額は3兆円近い。粉飾決算で経営陣が総退陣した2012年の約10倍です。結果的に、長期的に企業価値の向上にコミットしてきたValueActは儲かりました。オリンパスの経営陣も、彼らとの対話を経営改革のドライバーにしてきた。長期エンゲージメント株主との対話が日本の企業にとっても結果的に得になるという、好例です。

冒頭でお話しした、ValueActがセブン&アイに送ったオープンレターの中身が非常に面白い。書かれていることはわりと普通で、要はコングロマリットディスカウントからの脱却を求めています。2022年は、利益の104%が主力のコンビニ事業でした。主力のコンビニ事業と足を引っ張っているほかの事業を分離すべきだとしています。

その前の3月に、セブン&アイはスーパー事業の構造改革案を発表しています。しかし、ValueActにすれば物足りない。コンビニ事業をタックスフリースピンオフ(非課税分社化)の手法で切り離してくれ――これがValueActの言い分です。

タックスフリースピンオフは成熟企業の構造改革によく使われる手法です。海外の例を挙げると、アメリカのeBayがPayPalという決済システム事業を切り離したときや、Hewlett Packardが2つの会社に分かれたとき、DuPontが部門ごとに3社に分割されたときにもこの手法が使われています。セブン&アイもこれと同じ手法でコンビニ事業を切り離してくれ。そのほうが、合算した企業価値はよっぽど大きくなる――根拠となる分析結果を示して、決断を求めたわけです。

セブン&アイも手をこまねいていたわけではない。昨年はそごう・西武の売却というValueActの提言を受け入れているし、今や取締役会の過半数は社外取締役。以前と比べると、株主から見たときの経営の透明性は格段に上がっている。

実際に、経営資源をコンビニ事業に集中しつつあります。2018年には北米のコンビニ併設型ガソリンスタンドを約1,000店舗取得していますし、さらに2021年には2兆円を投じて、アメリカのSpeedwayというコンビニ併設型ガソリンスタンドチェーン約4,000店舗を加えている。世界でコンビニ事業をやらせたらセブン‐イレブンが一番強い。さらなるグローバル展開の可能性は十分にあります。

確かにValueActの主張は筋が通っている。ですが、それに従う必要はまったくありません。要は、両者が提案する戦略のどちらが優れているかという話なんです。セブン&アイは、「ValueActが提案するタックスフリースピンオフよりも我々の戦略のほうが優れている」という論拠を示し、なおかつ、ほかにもたくさんいる株主たちにも堂々と示すべきです。これが、僕が考える長期エンゲージメント株主と経営者の建設的な対話です。

セブン&アイにしてもValueActにしても、基本的には同じ方向を向いているわけです。コンビニ事業をグローバルに展開して、そこに成長を求めていく。ただ、踏み込み方の程度とかスピードという点でズレがあるに過ぎない。一見敵対的なもめ事に見える両者のやりとりにも、実は補完性があるんです。(第4回へつづく)

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楠木 建
一橋ビジネススクールPDS寄付講座特任教授。専攻は競争戦略。一橋大学大学院商学研究科修士課程修了。一橋大学商学部専任講師、同助教授、ボッコーニ大学経営大学院(イタリア・ミラノ)客員教授、一橋大学大学院国際企業戦略研究科助教授、同ビジネススクール教授を経て2023年から現職。有名企業の経営諮問委員や社外取締役、ポーター賞運営委員(現任)などを歴任。1964年東京都目黒区生まれ。

著書に『絶対悲観主義』(2022年,講談社+α新書)、『逆・タイムマシン経営論』(2020年,日経BP,共著)、『「仕事ができる」とはどういうことか?』(2019年,宝島社,共著)、『室内生活:スローで過剰な読書論』(2019年,晶文社)、『すべては「好き嫌い」から始まる:仕事を自由にする思考法』(2019年,文藝春秋)、『経営センスの論理』(2013年,新潮新書)、『ストーリーとしての競争戦略:優れた戦略の条件』(2010年,東洋経済新報社)ほか多数。

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