一橋ビジネススクール教授 楠木建氏

「第1回:婚活に見る獣性。」はこちら>
「第2回:スペックの誤謬。」
「第3回:獣性の対極にある『品』。」はこちら>
「第4回:欲望に対する速度。」はこちら>
「第5回:潔さ(いさぎよさ)。」はこちら>

※本記事は、2021年9月1日時点で書かれた内容となっています。

『57歳で婚活したらすごかった』『婚活したらすごかった』に登場する人たちは、ネジが何本かぶっ飛んでいるように思えますが、おそらく日常生活ではちゃんと世の中と折り合いをつけて生きている大人のはずです。普通の社会の文脈で会う時には、普通の人なのだと思います。恐らく婚活というシステム上で「獣」になっているだけなんです。そう考えると、人間の奥深さに戦慄(せんりつ)を覚えます。僕も婚活システムに乗れば、獣性むき出しになるのかもしれません。問題は、婚活という「システム」にあるのです。

ちょっと考えてみると、マッチングアプリやマッチングパーティーのように人工的に設計されたシステムには、極端なメリットと極端なデメリットがあることがわかります。メリットは、偶然の出会いと比べて、知り合う相手が飛躍的に増えるということです。しかも、比較可能な情報量も多い。これは明らかな文明の利器であり、こういうシステムを使って出会う人が多いというのは非常に合理的な行動だと思います。

一方でデメリットは、目の前にあまりにも多くの選択肢が広がってしまうことにより、その比較の次元が年収とか容姿に固定されてしまうということです。結婚という意思決定は、本来は相手の総合的な人格とか全体的なありようが問題になるはずです。ところが、その人の総合的なありようを、婚活システムではどうしても要素に分解して考えることになります。相互に比較可能な特定少数のポイントで優劣をつけて、評価せざるを得ないシステム設計になっているわけです。これが非常に現実的といえば現実的な、とんちんかんといえばとんちんかんな人間悲劇が生まれる背景だと思います。

婚活サイトにプロフィールを提出するとき、まったくでたらめな嘘はつけない。すぐにばれちゃいますから。ただ、なるべく自分を良く見せようと創意工夫は誰もがするはずです。それに対して婚活サイトでは、一人一人のプロフィールに異性からの申し込み状況が数字で示されます。そうすると、自分の価値が定量化された気になる。これはSNSのフォロワー数とか、「いいね」の数と似たネットの特性で、申込件数が少ないと市場全体から価値がないとジャッジされている気になってしまいます。

そういう気持ちになるのも理解できますが、これは一歩引いてみると明らかに大間違いなわけです。相手によって好みがまちまちだからこそ、マッチングというシステムが必要になるわけで、そこには特定の次元で測定したり比較できる優劣というものは本当はないはずです。ところが、実際にシステムに乗ってみると、優劣を一元的に評価されている気分にみんななってしまう。このねじれ具合に婚活システムの問題があると思います。

石神さんの本には人間の哀しさを直視するエピソードが満載なのですが、一方でわりとほっとする話も入っています。日本の女性は海外では結構もてるそうです。インターネットの婚活サイトにはクロスボーダーのサービスも多いようです。著者が取材したある女性の話が面白い。マッチメーカーを通じてニューヨークの医師のポールという人と出会い、気に入って一緒に暮らしてみた。ところが、ポールには彼女の想像を超えていたことがあった。彼は異様にアイスクリームが好きで、1リットル入りのバニラアイスを毎日1箱平らげてしまう。しかも仕事に出かけるときに、「僕のアイスクリームを勝手に食べてはいけないよ」と必ず念押しをする。ポールは仕事もまじめで誠実な人なのですが、一緒に暮らすうちに、だんだんポールがおばかさんに見えてきた。結局1カ月で別れてしまったそうです。

僕には、ポールは結構いい人だと思えます。実際僕も若い頃、バニラアイスのリットル食いをよくやっていました。でも、この女性には合わなかった。つまり、このアイスクリーム1リットル分に、ポールの全人格的特徴が象徴的に表出していたわけです。こういう一緒に生活してみてわかるささいなこと、これがその人の総体を象徴しているというのはよくあることです。しかし、そういうことは婚活システムに出てくる職業や年収や容姿や趣味といったスペックには出てこない。でも、それが人間丸ごととしての相性、相性としか言いようがない物を反映しているわけです。当たり前の話ですが、つくづく最後は相性だということです。

相性という全人格的にして極度に総合的な問題、一緒にゆっくり時空間を共有しないとわからないものを、年収や容姿や年齢といった要素に分解して個別の次元で評価していると、相手がまるで不動産の物件のように見えてきてしまう。不動産だって実際にはいいと思って選んでも、住んでみないとわからないことが多いのに、それが人間同士であればなおさらです。人間が不動産物件化してしまう、それが人を獣にしてしまうマッチングシステムの問題点です。

以前に友達の回でも触れましたが、人間関係の基盤にあるのは、偶然性、反経済性、非計画性、無利害性です。石神さんの本は、この真実を逆説的に浮き彫りにしています。(第3回へつづく)

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楠木 建
一橋ビジネススクール教授
1964年東京生まれ。幼少期を南アフリカで過ごす。一橋大学大学院商学研究科博士課程修了(1992)。一橋大学商学部専任講師、一橋大学商学部助教授、一橋大学イノベーション研究センター助教授、ボッコーニ大学経営大学院(イタリア・ミラノ)客員教授、一橋大学大学院国際企業戦略研究科准教授、2010年より現職。

著書に『逆・タイムマシン経営論』(2020,日経BP社)、『室内生活 スローで過剰な読書論』(2019、晶文社)、『すべては「好き嫌い」から始まる』(2019、文藝春秋)、『「好き嫌い」と才能』(2016、東洋経済新報社)、『好きなようにしてください:たった一つの「仕事」の原則』(2016、ダイヤモンド社)、『「好き嫌い」と経営』(2014、東洋経済新報社)、『戦略読書日記』(2013、プレジデント社)、『経営センスの論理』(2013、新潮新書)、『ストーリーとしての競争戦略:優れた戦略の条件』(2010、東洋経済新報社)などがある。

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「楠木建の頭の中」は僕のTwitterの拡張版というか裏バージョンです。もう少し長く書ける「拡張版」があれば1の問題は解決しますし、クローズドな場に限定すれば2と3の不都合を気にせずに話ができます。加えて、この場であればお読みいただく方々に質問やコメントをいただき、やりとりするのも容易になります。
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