一橋ビジネススクール教授 楠木 建氏

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※本記事は、2021年6月2日時点で書かれた内容となっています。

本テーマの最後に、僕が「時間差攻撃」と呼んでいるずるずる読書をお勧めしたいと思います。以前に『逆・タイムマシン経営論』という本を出したときにもお話しましたが、多くの方は最新の情報にこそ価値があると思っている。これに対して、『逆・タイムマシン経営論』のメッセージは「新聞・雑誌は10年寝かせて読め」。今10年前の記事を読むと、時間の流れで余計なノイズがデトックスされて、本質がむき出しになっています。本質を知るために、過去の新聞・雑誌を読み返してみる。時間的な奥行きの中で初めて見えて来るものがあります。

たとえばNetflixについて書かれた『NO RULES』という本があります。僕にとってはそれほど面白くありませんでした。「ま、そうだよな」という話。僕のおすすめはジーナ・キーティングというジャーナリストが書いた『NETFLIX コンテンツ帝国の野望』です。この本の翻訳が出たのは最近なのですが、原書が書かれたのは結構古い。2013年の本です。当時はオンラインのコンテンツストリーミングの事業は本格化していません。この本が論じているのはただの「郵便DVDレンタル屋」だったころのNetflixです。

『NETFLIX コンテンツ帝国の野望』の主題は、当時のDVDレンタルチェーンの覇者、ブロックバスターとの血で血を洗う競争です。これが、今読むとものすごく面白い。今の出来上がったNetflix――ビッグデータをアルゴリズムでぶん回して、サブスクリプションで稼ぐ――を見ているだけではこの企業の競争優位の本質はつかめません。『NETFLIX コンテンツ帝国の野望』を読んで、何でこういう企業が出てきたのか、僕は初めて腑に落ちました。時間差攻撃の効用です。

しばらく前まで日経ビジネス主催で月に一回セミナーをやっていました。特定の企業にスポットを当ててその企業の日経ビジネスの過去記事を全部読み、そこから何が見えてくるのかを話すというものです。取り上げた企業は、ファーストリテイリング、任天堂、セブン‐イレブン・ジャパン、日本電産、スズキといった企業です。そういう企業の過去の日経ビジネスの記事を、いちばん古いやつからひたすら全部読む。実際にやってみると、あらためて面白い発見があります。

例えば任天堂。1970年ぐらいまではトランプや花札を製造販売する非電子的なおもちゃの会社でした。1980年代に入ってゲームの会社になってからは、本当に業績の山谷が激しくなっていきます。娯楽の世界というのはそれだけ変化が激しいわけですが、過去から現在までの全記事を読んでいくとその中で変わらないものがはじめて見えてきます。つまり変化を追いかけることで、変わらないものが見えてくる。

過去から今を振り返って、任天堂の何が変わらないかといえば、「いいときも悪いときも、われわれは娯楽の会社である」ということです。「たかが娯楽、されど娯楽」、これがすべての意思決定に一貫しています。

例えば、1980年代にファミコンは累計で1000万台を突破しています。当時からネットワーク化はこのビジネスのカギと認識されていて、ファミコンを「ニューメディア端末」として利用するという動きが任天堂の外でたくさん起きます。多くの企業が任天堂と組んでコンピュータ教育のような新しいビジネスを始めたいと考えます。最近の言葉で言えば「オープンイノベーション」です。当時の経営者である山内溥(ひろし)さんは、これを完全に否定しています。「自分たちはエンターテインメントの会社。コンピュータ教育なんて絶対にやらない。ネットワークにつながっても、面白くなければ意味がない」と、まったくそういった話には乗りませんでした。

1989年ぐらいになると、いったんファミコンの出荷台数が落ちてブームの陰りなどと言われるようになりますが、山内さんは「面白いゲームを開発していけば何の問題もない」「ファミコンの出荷台数が落ちているというのは、ハード中心の見方。お客さんはゲームを楽しみたいからハードを買っているだけで、ハードを売るためにソフトを出しているのではない」。いいときも悪いときも「娯楽の会社」という考え方は一貫しています。

その後CD‐ROMのゲーム機が1987年に登場し、記憶容量がけた外れに大きくなり、松下やソニーが参入してきても、「ユーザーは高性能だから買うのではなく、面白いから買っている」「娯楽なんて、そんなもんなんだ」という姿勢は一貫して変わりません。娯楽ソフトは当たり外れが大きいものすごくリスキーなことをやっているという自覚があるので、「現金はしこたま手元に抱えてなければ駄目」という財務方針で一貫しています。「資本市場の人たちは『資本効率の重要性がわかってない』と言うが、彼らは娯楽がまったくわかってない」と、ブレることがありません。

社長が岩田聡さんになってもそこは変わりません。娯楽を突き詰めていった結果として、ニンテンドー DSの「おいでよ どうぶつの森」という、まったく高性能のハードウェアに依存しない、非常に穏やかでプレーンなゲームが2005年にヒットするわけです。今はNINTENDO Switchが好調で、「あつまれ どうぶつの森」がヒットしています。新型コロナウイルスの感染拡大による巣ごもり需要とかそういう一時的な話ではなくて、「娯楽の会社」という核が不変だからこそ今の任天堂があるということが、昔の記事を全部読むことで理解できました。

幸いにして多くの記事がデジタルアーカイブ化されています。ぜひ今一番興味を持っている企業や人、技術などに関して、検索から出てきた過去の記事に時間差攻撃をかけてみてください。必ず新しい発見があるでしょう。

楠木 建
一橋ビジネススクール教授
1964年東京生まれ。幼少期を南アフリカで過ごす。一橋大学大学院商学研究科博士課程修了(1992)。一橋大学商学部専任講師、一橋大学商学部助教授、一橋大学イノベーション研究センター助教授、ボッコーニ大学経営大学院(イタリア・ミラノ)客員教授、一橋大学大学院国際企業戦略研究科准教授、2010年より現職。

著書に『逆・タイムマシン経営論』(2020,日経BP社)、『室内生活 スローで過剰な読書論』(2019、晶文社)、『すべては「好き嫌い」から始まる』(2019、文藝春秋)、『「好き嫌い」と才能』(2016、東洋経済新報社)、『好きなようにしてください:たった一つの「仕事」の原則』(2016、ダイヤモンド社)、『「好き嫌い」と経営』(2014、東洋経済新報社)、『戦略読書日記』(2013、プレジデント社)、『経営センスの論理』(2013、新潮新書)、『ストーリーとしての競争戦略:優れた戦略の条件』(2010、東洋経済新報社)などがある。

楠木教授からのお知らせ

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この10年ほどTwitterを使ってきて、以下の3点について不便を感じていました。

・140字しか書けない
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「楠木建の頭の中」は僕のTwitterの拡張版というか裏バージョンです。もう少し長く書ける「拡張版」があれば1の問題は解決しますし、クローズドな場に限定すれば2と3の不都合を気にせずに話ができます。加えて、この場であればお読みいただく方々に質問やコメントをいただき、やりとりするのも容易になります。
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