「第1回:『無敗の男』中村喜四郎」はこちら>
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「第3回:超絶ハンズオン。」はこちら>
「第4回:コンセプトは『党より人』。」はこちら>

※本記事は、2021年3月5日時点で書かれた内容となっています。

これまでの話で、中村喜四郎という政治家の戦略になぜ僕がしびれたのかおわかりいただけたと思います。彼の目的は「選挙に勝つ」、その一点に絞りこまれている。明確な勝利条件の定義は優れた戦略の条件です。そのうえで、「党より人」というコンセプトを核に、人がやれないこと、やろうと思わないことをシンプルにひたすらやり続ける。腰が抜けるほど非合理に見える活動を継続することで、他との決定的な「違い」をつくる。

喜四郎の戦略ストーリーは、「急がば回れ」の極地です。やっていることはものすごい「どぶ板」なのですが、その背後にはなぜそれで勝てるのか、なぜ他者ができないのかというシンプルにして強固なロジックがある。「論理的どぶ板戦略」です。

ただし、です。一歩引いて考えると、これは果たして「政治家」なのかという疑問が出てきます。政治家ではなく単なる「選挙家」なのではないか。「選挙運動ばかりで国会で何にもやっていない」という批判はけっこうあるようです。もっとも、彼自身が「プラスアルファの時間で国会の仕事をしている」と公言しています。喜四郎に言わせれば、「必死に選挙運動をやらない政治家はプロではない」。なぜなら選挙で当選しない人間は政治家にはなれない。まずは選挙で勝たなければどうしようもない。これが喜四郎一流のロジックです。

興味深いことに、この数年、中村喜四郎は長年の沈黙を破って政治家として動き出しています。彼は、これまでずっと無所属できましたが、現在は立憲民主党に所属しています。現在の喜四郎は自民党に対抗できる勢力をつくることを明確な目標として掲げています。

自分がかつて所属していた自民党は、あまりに劣化した。なぜここまで劣化したのかといえば、政治に緊張感がなくなっているからだ。それもこれも対抗できる野党がないから。野党が対抗するためには、まずは選挙で勝たなければどうしようもない。日本の政治を良くするために、対抗できる野党を結集し、野党議員を増やすしかない。そこに選挙に強い自分の出番があるという考えのようです。

喜四郎は全野党の接着剤となることを意図して、共産党の党大会でも大演説をしています。共産党の問題点を喜四郎節でガンガン言いまくるのですが、それでも共産党員の聴衆から大拍手をもらう。さすがとしか言いようがありません。自分の残された政治生命を、野党を結集し、日本の政治に緊張感を取り戻すことに懸ける。半世紀の間「選挙家」だった喜四郎が、ここにきてついに「政治家」に変身するのかもしれません。

彼に言わせれば、今の野党の戦い方はまるでアマチュア。政治のことも国民のこともまったく分かっていない。自民党に対する論戦も子どものけんかのレベルで話にならない。自分たちがやってることが正しいと思っているだけでは、結果が出ないのは当たり前。だからきちんと野党が結集して、まずは選挙に勝つことだ――。

喜四郎は徹底したリアリストです。「次の選挙で野党が勝つ」なんていう絵空事は言いません。10年がかりで少しずつ選挙で勝って自民党を追い詰めていくという戦略です。その挙句に仮に野党が政権を取れなくても、自民党を追い詰めていけば、自民党もまともになるというのが彼の考えです。そのために、自分は野党を結集する役割を担う。これは実効性のあるビジョンだと僕は思います。

10年がかりで選挙で勝つためには、まずは知事選が大切になる。4年間で47戦ある知事選を勝つ。15勝32敗でいい。野党が勝てるのは、大都市が中心になる。そこで15勝すれば、有権者の40%を押さえられる。そうなれば自民党に脅威を与えることができる。選挙のプロならではのリアリズムに裏打ちされたストーリーです。

政治でもビジネスでも共通しているのは「競争優位は一日にして成らず」。成功の背後には、人が真似できない(というか、真似したくない)戦略のストーリーがあります。それを地道に実行し続けることで、累積的競争優位が実現する。賛否両論あると思いますが、中村喜四郎氏が戦略家として特異なセンスと能力を持っていることは間違いありません。プロフェッショナルのひとつのモデルとして、『無敗の男』は大いに勉強になりました。ご関心の向きはぜひお読みください。

楠木 建

一橋ビジネススクール教授
1964年東京生まれ。幼少期を南アフリカで過ごす。一橋大学大学院商学研究科博士課程修了(1992)。一橋大学商学部専任講師、一橋大学商学部助教授、一橋大学イノベーション研究センター助教授、ボッコーニ大学経営大学院(イタリア・ミラノ)客員教授、一橋大学大学院国際企業戦略研究科准教授、2010年より現職。

著書に『逆・タイムマシン経営論』(2020,日経BP社)、『室内生活 スローで過剰な読書論』(2019、晶文社)、『すべては「好き嫌い」から始まる』(2019、文藝春秋)、『「好き嫌い」と才能』(2016、東洋経済新報社)、『好きなようにしてください:たった一つの「仕事」の原則』(2016、ダイヤモンド社)、『「好き嫌い」と経営』(2014、東洋経済新報社)、『戦略読書日記』(2013、プレジデント社)、『経営センスの論理』(2013、新潮新書)、『ストーリーとしての競争戦略:優れた戦略の条件』(2010、東洋経済新報社)などがある。

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