一橋ビジネススクール教授 楠木 建氏

「第1回:『白い巨塔』と『黒い巨塔』」はこちら>
「第2回:『二要因理論』の面白さ。」はこちら>
「第3回:他責うっぷん晴らし。」はこちら>

幸福を考えるとき、人は「微分派」と「積分派」に分かれるのではないか、というのが僕の考えです。その人が幸せを認識するメカニズムの違いという話です。

「微分派」というのは、例えば何かを達成したとか、乗り切ったとか、自分の評価が上がったとか、比較的近いところでの二地点間の変化を見て、その大きさに幸せを感じるタイプです。「積分派」というのは、その変化率よりも、過去から全部累積したときの面積の大きさに幸せを感じるタイプです。もちろんこれは善し悪しではなくて、人間のタイプの違いだけなのですが、幸福を積分した値の大きさで求めていく人と、微分した値の大きさで求める人に分かれると考えています。

僕は圧倒的に「積分派」です。本を作るときでも、ベストセラーよりロングセラーになって欲しいんです。もう一気にベストセラーチャートに入りました、とかではなく、じわじわいくほうがイイ。「少し愛して、長く愛して」が理想です。

幸福に関しての研究で“ポジティブ・サイコロジー”という分野があります。昔は心理学というのはそもそも疎外とか、人間のネガティブな状態を排除するために生まれたものです。しかし世の中が豊かになってくると、より積極的に「人間が幸せであるとはどういうことなのか」を研究するというジャンルが現れた。それが“ポジティブ・サイコロジー”です。僕は、幸福というのは人それぞれなのに、サイエンスというのは普遍的に成立する再現可能な法則を求めていくものなので、本当に幸せがそういうサイエンティフィックなアプローチで切れるのかと、やや懐疑的でした。

ただ、なるほどと思ったのは、「イベント」に人間はすぐに飽きてしまうので、幸福の源泉としては持続しないという研究です。「微分派」にとっての幸せは、そのときはガツンと来ても、ずっと上がり続けていくことはないわけで、結局のところ切りがなくなってしまうのではないかと思います。

例えば昇給とか昇進。そのときはすごいうれしくてもすぐに慣れてしまいます。パーティー嫌いの僕が、年に一度楽しみに出かける電通の年始パーティーのごちそうも、毎日だったら全然うれしくないでしょう。結局人間なんて、刺激にはすぐに慣れるし飽きてしまう。微分的な幸せの限界がそこにあるのではないかと思います。

僕の場合はやっぱり積分した面積の大きさに幸せはありと思っています。長く続かないと積分した面積は大きくなりません。僕は考えることや、その考えを発表することが好きなので、それをなるべく長く続くようにルーティン化していくことが自分の幸せであり、幸福へのアプローチだと考えています。

例えば、今も『楠木建の頭の中』というオンラインサロンで毎日書いていますが、自分が読んだ本の感想やそのとき思ったことを書くという作業がルーティン化できる。それが気に入っているところです。

結論として、積分的な最大の幸福の中身、実体は何かというと、それは「記憶」だと思うんです。“Bluedogs”という僕の所属するバンドで演奏するときの喜びというのは、もうあからさまに幸福そのものです。聞いてる方は別として、こっちはもうあからさまにしびれている。体がしびれるというのは、もう嘘偽りがない幸福です。これにしても、演奏の真っ最中でしびれを感じる幸福よりも、振り返ったときに「あのときしびれたな」という記憶が積み重なっていることが幸福にとっていちばん重要なのではないかと思うのです。人間の最大の資産は「記憶」で、本当の幸福というのは「良い記憶」をたくさん持っているということだと思っています。

例えば子育ては、やっている最中は大変でも、振り返ったときにすごく良い記憶としてよみがえります。旅行もそうです。「積分派」の僕が考える幸せというのは、「良い記憶の質×量」なんです。

そのためのルーティンとして僕が長くやっていることは、「日記」です。僕は15歳から、一日も欠かさず日記を付けているのですが、日記の何が良いかというと、5年10年どころか40年前の自分と対話ができるということです。お正月は日記帳を変えるので、この前、15歳のときの今日は何をやっていたのかを見てみたんです。そうしたら、ベッドに横たわって、おかきを食べながら、石原慎太郎の小説を読んでいました。今と、全然変わってない、ほんとうに40年驚くべき変わらなさなんです。

そうすると、15歳の自分が今の自分に対して「おまえ、55歳になってもほんとに変わってねえな」と投げ返してくる。この過去の自分と対話ができるというのが日記の醍醐味です。幸福が記憶資産である以上、日記を付けるのは幸福になる良い方法だと思います。昔の日記を読み返すたびに、「人生は、クローズアップでは悲劇だが、ロングショットでは喜劇である」というチャップリンの超名言を実感します。

楠木 建

一橋ビジネススクール教授
1964年東京生まれ。幼少期を南アフリカで過ごす。一橋大学大学院商学研究科博士課程修了(1992)。一橋大学商学部専任講師、一橋大学商学部助教授、一橋大学イノベーション研究センター助教授、ボッコーニ大学経営大学院(イタリア・ミラノ)客員教授、一橋大学大学院国際企業戦略研究科准教授、2010年より現職。
著書に『室内生活 スローで過剰な読書論』(2019、晶文社)、『すべては「好き嫌い」から始まる』(2019、文藝春秋)、『「好き嫌い」と才能』(2016、東洋経済新報社)、『好きなようにしてください:たった一つの「仕事」の原則』(2016、ダイヤモンド社)、『「好き嫌い」と経営』(2014、東洋経済新報社)、『戦略読書日記』(2013、プレジデント社)、『経営センスの論理』(2013、新潮新書)、『ストーリーとしての競争戦略:優れた戦略の条件』(2010、東洋経済新報社)などがある。

「第5回:幸福の敵は、嫉妬と他律性。」はこちら>

楠木教授からのお知らせ

思うところありまして、僕の考えや意見を読者の方々に直接お伝えするクローズドな場、「楠木建の頭の中」を開設いたしました。仕事や生活の中で経験したこと・見聞きしたことから考えたことごとを配信し、読者の方々ともやり取りするコミュニティです。
この10年ほどTwitterを使ってきて、以下の3点について不便を感じていました。

・140字しか書けない
・オープンな場なので、仕事や生活経験の具体的な中身については書きにくい
・考えごとや主張をツイートすると、不特定多数の人から筋違いの攻撃を受ける

「楠木建の頭の中」は僕のTwitterの拡張版というか裏バージョンです。もう少し長く書ける「拡張版」があれば1の問題は解決しますし、クローズドな場に限定すれば2と3の不都合を気にせずに話ができます。加えて、この場であればお読みいただく方々に質問やコメントをいただき、やりとりするのも容易になります。
不定期ですが、メンバーの方々と直接話をする機会も持ちたいと思います。
ビジネスや経営に限らず、人間の世の中について考えることに興味関心をお持ちの方々のご参加をお待ちしております。DMM社のプラットフォーム(月額500円)を使っています。

お申し込みはこちらまで
https://lounge.dmm.com/detail/2069/

ご参加をお待ちしております。