橋爪 大三郎氏 社会学者・東京工業大学 名誉教授 / 山口 周氏 独立研究者・著作家・パブリックスピーカー
キリスト教に基づいて近代化が進んだ西洋に倣い、日本では明治政府が国家神道を精神的支柱とした急速な近代化を推し進めた。明治維新から今日まで、日本の歩みを振り返ると、その成功と失敗が、今の私たちを含めて、後々の日本社会と日本人に深い「空虚」をもたらした。「このままではいけない」と橋爪氏は警鐘を鳴らす。

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日本における宗教の空白

山口
宗教というものは、淘汰されたり形を変えたりしつつも、今日までずっと続いてきました。人が生きるためのエネルギーや道徳の源泉になるなど、社会において重要な役割があったからこそ、必要とされてきたのだと思います。そう考えると、今の日本における宗教のあり方は不可解と言いますか、一種の空白状態にあるように感じるのですが、橋爪先生は現在とこれからの日本における宗教のあり方について、どのようにお考えでしょうか。

橋爪
江戸から明治になったときに、近代化のためには欧米列強に倣うべきだと、まず経済、少し遅れて政治、それから科学技術、教育とワンセットで取り入れました。ただ宗教、キリスト教に対しては警戒しました。当時の為政者たちは、欧米世界でキリスト教が社会の近代化・合理化に大きな役割を果たしていることを認識していましたが、日本の近代化にもキリスト教が必要不可欠かどうかを悩み、キリスト教をそのまま取り入れるのではなく、それに相当する別のもので代用できないかと考えたのです。

そのときにモデルとしたのが英国国教会です。アメリカのプロテスタントと違い、英国国教会は首長が国王です。これに倣って天皇を宗教的な権威とする「国家神道」というアイデアを考え出した。そして、教育勅語と軍人勅諭をつくり、学校と軍隊での教育を通して速やかに国民に浸透させました。キリスト教におけるイエス・キリストのように、国家神道では天皇が精神的バックボーンとなります。天皇に対して国民が献身し、天皇の意思が国家目標として与えられ、各人がその場所で努力する。これによって近代化が一気に進んだわけです。

ところが、この国家神道には大きな問題点がありました。イエスは2000年近くも前の中東人で、英国国教会における国王とは無関係です。国王が戦争をすると言い出しても、イエスはそんなことは言っていない、と英国国教会の人たちが反抗することもできます。しかし国家神道では、古代の神々と神武天皇と今上天皇がほぼ一枚岩になっているため、今上天皇が言ったことに反対すれば、ただちに大逆罪になってしまうのです。

山口
宗教が国家権力のカウンターバランスにならないわけですね。

橋爪
そうです。だから、国家神道の下では言論の自由が成り立たなかったのです。英国国教会の中には言論の自由があり、清教徒やメソディストなど、いろいろなグループが出てきて自由闊達に議論ができますが、戦前の国家神道はそうではなかった。このことは、明治の元勲たちも気づいてはいたでしょうが、結局は近代化を優先したのだと思います。しかしその結果、天皇の権威を利用した一部の軍人たちが暴走し、非合理な戦争を引き起こしてしまった。

戦争に敗けた後、日本はどうなったかと言えば、まず軍隊がなくなり、それから国家神道がなくなった。でもその他のもの、政府とビジネスは残りました。学校も残った。天皇は象徴という形で継続したけれど、国家神道なしで近代化を続けなければならなくなったわけです。

自分たちの問題は、自分たちで解決するしかない

山口
国家神道というものが、キリスト教に代わるようなある種の国民倫理、あるいはエートス(合理的倫理的生活態度)となっていたのが、敗戦によってリセットされたわけですね。とはいえ、実際にはその後も、頑張って高度成長を成し遂げました。

橋爪
それは、目標はないけれど、とりあえず頑張ったのです。

山口
頑張れるものなのでしょうか。

橋爪
頑張ることによって空虚を埋め合わせていたのでしょう。受験勉強に例えてみれば、頑張って勉強している高校生の子がいて、親から「うちはお金がないから大学には行けないよ」と言われた。そうなったらもう頑張る必要はなくなるのだけれど、「今まで何で頑張ってきたのか」と虚しくなってしまう。その虚しさをごまかすために、「よし、今までどおり頑張ることにしよう」と。目標も目的もないというのに、頑張るのをやめることができない。

経済成長に邁進した時代の日本人は、恐らくそんな心理状態だったのではないでしょうか。戦後、日本という国は経済、政治、安全保障がバラバラになってしまった。戦前なら、経済の近代化は欧米列強と並び立ち、アジアに新秩序を構築するためだ、というふうに曲がりなりにも全体が連動していた。途中から方向性は間違ったけれど、これが近代国家としてはノーマルな、本来のあり方でしょう。戦後はそれらが連動していないから、全体として何をめざしているのかが分からなくなってしまった。つまり「空虚」が生じたのです。

ただ、空虚というのはしばらくすると忘れます。1本だけ歯が抜けたときのように、当初は違和感があっても、しばらくすれば慣れてしまい、昔からずっとこうだったかのように感じるようになる。今の日本人はそういうふうに、空虚があること自体を忘れているのかもしれません。

山口
でも、このままいけるものなのでしょうか。

橋爪
いけないことは明らかです。例えば、外交問題にしても、「自分の国はこうだ」という考えをしっかり持っていなければ、他国と対等に渡り合うことが難しくなります。政府はこう考えている。私たちの会社はこう考えている。私個人はこう考えている。そういうことがしっかり言えなければ、政治でもビジネスでも真の信頼関係は築けません。

日本人は、ものづくりでは、外から取り入れたものをさらに優れたものへと改良することが得意です。しかし、特に哲学や思想では、誰かが考えたことを仕入れてきて解説するだけで満足してしまう。そうしたことはもちろん必要だけれど、日本人が置かれている状況や向き合うべき課題というのは、フランスともイギリスともアメリカともドイツとも違うのです。だからこの国の中で考え、解決しないかぎり、どうしようもない。明治の元勲はそれをやったのです。欧米列強に対抗するために日本独自のアイデアを編み出し、近代化に成功した。もちろん今日から見ると多くの問題があったわけですが、何もアイデアを出さないよりははるかによいはずです。出したアイデアに問題があれば、つくり直せばよいのですから。

橋爪 大三郎(はしづめ だいさぶろう)

社会学者・東京工業大学 名誉教授。1977年東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得退学。執筆活動を経て、1989年東京工業大学助教授。1995~2013年同教授(社会学)。著書に『言語ゲームと社会理論』(勁草書房)、『仏教の言説戦略』(勁草書房)、『世界がわかる宗教社会学入門』(筑摩書房)、『ふしぎなキリスト教』(講談社現代新書)、『ゆかいな仏教』(サンガ新書)など多数。最新著は『4行でわかる世界の文明』(角川新書)。

山口 周(やまぐち しゅう)

独立研究者・著作家・パブリックスピーカー。1970年東京都生まれ。電通、BCGなどで戦略策定、文化政策立案、組織開発等に従事した後、独立。著書に『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか? 』、『武器になる哲学』など。最新著は『ニュータイプの時代 新時代を生き抜く24の思考・行動様式』(ダイヤモンド社)。慶應義塾大学文学部哲学科、同大学院美学美術史学専攻修了。神奈川県葉山町に在住。

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