山口 周氏 独立研究者・著作家・パブリックスピーカー/ 鹿島 茂氏 フランス文学者
人間としての「総合性」を養ううえで、かつてはマスメディアが一役買っていたと鹿島氏は話す。山口氏はインターネット社会が招く情報と思考の偏りを危惧。鹿島氏は「思考の技術論」の内容をひもとき、正しく考えるためには知識が必要だと論じる。

「第1回:戦後教育の変遷が生み出した学生運動」はこちら>
「第2回:「総合性」を持つ人間は、あとから強くなる」はこちら>
「第3回:「思考の技術」に必要な幅広い知識」

マスメディアにより養われていた総合性

山口
リベラルアーツがあとになって必要になるということを、ちょっと乱暴ですが市場に当てはめてみると、新しいジャンルの製品が出始めたばかりの頃は、各社が独自性を発揮しているので、消費者も性能や価格だけを基準に選ぶことが多い。しかし、その市場が成熟して性能も価格も僅差という状況になると、最終的にはそのメーカーが好きだとか、なんとなく信用しているというような、名状しがたい要素も含めた全体性、総合性で選ばれるようになるということに近いでしょうか。

鹿島
そう思います。じゃあ、その総合性というものをどうやって身につけていくのか。

自分自身のことを考えると、子どもの頃、とても偏食だったんです。祖父母に育てられたせいもあるのか矯正されないままで、いろいろ食べられるようになったのは家庭を持ってからです。奥さんがつくってくれた料理を食べられないとは言えないので。子どもというのは放っておくと、食べ物の好き嫌いが生じるのと同じように世界観まで偏食になってしまうものです。それを防ぐには、幅広いものに触れられる環境が必要です。

かつては新聞やテレビなどのマスメディアが、コンテンツの幅広さによって総合性を養うことに一役買っていました。僕らの子ども時代、下層中産階級の家では読むものといえば新聞しかないというのは普通のことで、子ども向けに書かれたものでなくても子どもが読んでいたものです。僕も毎日新聞の連載小説、小門勝二の「荷風パリ地図」を愛読していて。

山口
シブい子どもでしたね。

鹿島
あとは日経新聞の「私の履歴書」も好きでした。当時は一代で大企業を築いた人の伝記がけっこうありましたからね。僕の伝記好きのルーツはそのへんにあるのかもしれません。

テレビも、家に1台しかなかった時代は、親が観ているニュースを仕方なく観ているうちにいろいろなことがわかってくる。そうしたメディアの総合性というのは、あとになって「ああ、あれはそういうことだったのか」と効いてくるわけです。それが今ではメディアも個別化してきて、個人個人がスマートフォンで動画サイトを観ている。

山口
そうですね。個別最適化した情報や知識からは、多角的な視点、世界全体を捉える視野や視座というものは得にくいでしょうね。昔のメディアのあり方や家庭における位置づけは、子どもにとっては嬉しいものではなかったかもしれませんが、図らずも接したコンテンツから思いもかけずいろいろな知識が身につき、世界像をつかむ助けになっていたのかもしれません。そうした状況がリベラルアーツ、人間や社会に関する総合的な洞察力につながるものを涵養していたのだということですね。

重要なのは分割から統合へのプロセス

山口
インターネットが普及し始めた当初、民主主義を強化するのではないかと期待する声もあった中で、アメリカの法学者、キャス・サンスティーンは「インターネットは民主主義の根幹を脅かす」と警鐘を鳴らしていました。個別に観たいものだけ観る、話したい人とだけ話すという自由さが情報と思考の偏りを招いてしまう。新聞やテレビのような総合メディアは同意できる意見ばかりを届けてくれるものではないけれど、そのことが民主主義を成立させるうえで大切な広い視野、社会全体に対する認識の基盤を形成するのだと。

ところが、そのインターネットによるコンテンツの偏食というのがまさに今、起きているわけで、それは危ういことだと感じます。

鹿島
そう、まったくいいことではありませんね。2023年に上梓した『思考の技術論』(平凡社)の中で僕は、デカルトが打ち立てた思考における4原則について解説しました。その第1原則は「すべてを疑おう」。疑うためには観察しなければなりません。第2原則が「分けて考えよう」。複雑な問題も分割して考えると単純になって認識や判定がしやすくなる。そして第3原則「単純から複雑へ」で、単純化して考え始めたことをもう一度統合して、複雑な物事の全体像を考える。最後の第4原則が「見落としの可能性を列挙しよう」。分割と統合の過程で見落とした問題点がないかチェックする。これを実際に応用してみると、いろいろな物事にあてはまることがわかります。

ところが、今の教育は第2原則止まりなんですね。つまり、分割したところで終わってしまう。そのあとの最も重要な、分割から統合へのプロセスが省略されています。これがリベラルアーツを排除することの弊害だと思いますね。問題を分割すれば、個別の要素は専門知識で簡単に解くことができるかもしれません。けれど、統合して考えるには、要素を俯瞰して見るような全体的な視点、幅広い知識というものが必要になるのです。

山口
科学哲学者の村上陽一郎先生は、現在の大学教育の問題点は専門化の行きすぎであるとおっしゃっています。専門化が進みすぎ、専門家同士のコミュニケーションが困難な状態になっている中で、全体的な視点を取り戻すために教養が必要なのだと。

第4回は、5月13日公開予定です。

鹿島 茂
1949年神奈川県横浜市生まれ。1973年東京大学仏文科卒業。1978年同大学大学院人文科学研究科博士課程単位習得満期退学。元明治大学国際日本学部教授。明治大学名誉教授。専門は19世紀フランス文学。
『馬車が買いたい!』(白水社)でサントリー学芸賞、『子供より古書が大事と思いたい』(青土社)で講談社エッセイ賞、『職業別パリ風俗』(白水社)で読売文学賞評論・伝記賞を受賞するなど数多くの受賞歴がある。膨大な古書コレクションを有し、東京都港区に書斎スタジオ「NOEMA images STUDIO」を開設。2017年、書評アーカイブサイトALL REVIEWSを開始。2022年には神田神保町に共同書店PASSAGEを開店。
『小林一三 - 日本が生んだ偉大なる経営イノベーター』(中央公論新社)、『フランス史』(講談社選書メチエ)、『渋沢栄一 上下』(文春文庫)、『思考の技術論』(平凡社)など著書多数。

山口 周
1970年東京都生まれ。電通、ボストンコンサルティンググループなどで戦略策定、文化政策立案、組織開発等に従事した後、独立。
著書に『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』(光文社)、『武器になる哲学』(KADOKAWA)、『ニュータイプの時代』(ダイヤモンド社)、『ビジネスの未来』(プレジデント社)、『クリティカル・ビジネス・パラダイム』(プレジデント社)他多数。最新著は『人生の経営戦略 自分の人生を自分で考えて生きるための戦略コンセプト20』(ダイヤモンド社)。慶應義塾大学文学部哲学科、同大学院美学美術史学専攻修了。