一橋ビジネススクールPDS寄付講座特任教授 楠木建氏
今月のテーマは、他人に惑わされることなく、自分にとって本当に価値あるものを見つけるための楠木流メソッド「そんなにイイか?」。第3回は、本メソッドのポイントである文脈思考とその効用についての解説と実践。

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「第3回:文脈思考とその効用」
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※ 本記事は、2024年9月3日時点で書かれた内容となっています。

人の仕事や生活がうらやましく思えてならない時に、冷静に自分に再考をうながす「そんなにイイか?」メソッドには、気をつけていただきたいポイントがあります。それは当事者意識を持つことです。自分がそうした状況の当事者になったらどう感じるのか、何が起きるのかをできるだけ具体的に想像してみる。そうすると、大体は「そうでもないな」という結論になっていきます。

何かを考える時に大切なのは、その文脈に身を置いて考えてみる「文脈思考」です。イマジネーションの正体は、文脈の豊かさにあります。ところが世の人々は、「文脈剝離」という落とし穴に陥りがちです。例えば都心のタワーマンションに住んでいるという特定の要素を、その人の生活全体の文脈から引き剝がして、それだけでうらやましく思ったりする。

ところが誰だって総体として生活を送っていて、そこには非常に深い文脈があるわけです。その文脈に身を置いてみなければ、人が幸せかそうでないかなんて分かるはずがない。サミュエル・ジョンソンの名言に、「結婚生活には苦しみが多いが、独身生活には楽しみが無い」というものがあります。結局人は、他者のいいところだけを見てしまう。だから文脈思考が大切なのです。

文脈思考を身につけると、うらやましいと思っていたことを、「絶対に勘弁して欲しい」と真逆に変えることができるようになります。身分不相応なので我慢しなさいという話ではなく、むしろお金を払ってでも勘弁してほしいと思えるようになる、それが本メソッドの効用です。例をあげて解説してみましょう。

生まれた時から地主として莫大な財産を受け継ぎ、何かの金利や配当収入で優雅に暮らしている人がいます。企業人としてお金を稼いでいる人たちと地主では、消費の仕方がまるで異なります。彼らの派手な消費を見て、「一度でいいから、ああいう暮らしをしてみたい」と思ったら、すかさず「そんなにイイか?」と自問自答してみる。

その手の人にとって、お金がなくなることは最大の恐怖です。だから、常に財産の維持に最大限の神経を使って生きていかなければなりません。しかも、これまでの人生がずっと豊かであるがゆえに、普通の人が縛られているようなお金の制約という感覚がなくなっているので、何かを手に入れたときの喜びもなくなっているはずです。

例えば僕が学生時代から夢見ていた、大好きなマクドナルドのポテトLサイズ3個でお腹いっぱいにするという豪遊、これを20代半ばで実現した時の喜び。その感動を彼らが知ることはないでしょう。喜びのハードルが高くなって、少々のことでは感動できない。それはすごく不幸なことだと思いますし、僕はそんな状態は勘弁してほしいです。

あるいは投資銀行とかITの成長企業で、キラキラしているように見えるポストに就いて、ばりばり働いて高収入を得て、昼間から豪華なレストランでシャンペン付きのランチを食べている人がいます。なんかすごくいいなと思うかもしれませんが、その時には「そんなにイイか?」と自問自答してください。そういう仕事というのは、猛烈に忙しくてプレッシャーもきついし、常に競争を強いられていることは容易に想像できます。しかも成功した立場を維持するために、激しい競争の中で自分の評価をいつも気にしなければならない。

実際にゴールドマン・サックスで働いていたジェイミー・フィオーレ・ヒギンズさんという女性が書いた『ゴールドマン・サックスに洗脳された私』というノンフィクションがあります。そこには男女差別や人種差別、セクハラやパワハラは日常茶飯事、競争的で暴力的な1998年から2016年までのウォール街の実態が描かれています。これを読めば、ほとんどの人は、こんな生活は絶対に勘弁してほしいと思うはずです。

超高級スポーツカーを乗り回している人がいます。それがうらやましく思えたら、すぐに「そんなにイイか?」。都内だと狭い道が多いし、渋滞だらけの中であんなに大きくて低い車を運転するのは大変です。入れられないコインパーキングが多いので、駐車スペースを探すのもひと苦労。音が大きいから周りに気を遣わなければならないし、盗難も多い。これは不便極まりない、絶対に勘弁してほしい、となる。

このように「そんなにイイか?」メソッドなら、大体のことはそうでもないし、むしろ勘弁してもらいたいということで一件落着させることができます。(第4回へつづく

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楠木 建
一橋ビジネススクールPDS寄付講座特任教授。専攻は競争戦略。一橋大学大学院商学研究科修士課程修了。一橋大学商学部専任講師、同助教授、ボッコーニ大学経営大学院(イタリア・ミラノ)客員教授、一橋大学大学院国際企業戦略研究科助教授、同ビジネススクール教授を経て2023年から現職。有名企業の経営諮問委員や社外取締役、ポーター賞運営委員(現任)などを歴任。1964年東京都目黒区生まれ。

著書に『経営読書記録 表』(2023年, 日経BP)、『経営読書記録 裏』(2023年, 日経BP)、『絶対悲観主義』(2022年,講談社+α新書)、『逆・タイムマシン経営論』(2020年,日経BP,共著)、『「仕事ができる」とはどういうことか?』(2019年,宝島社,共著)、『室内生活:スローで過剰な読書論』(2019年,晶文社)、『すべては「好き嫌い」から始まる:仕事を自由にする思考法』(2019年,文藝春秋)、『経営センスの論理』(2013年,新潮新書)、『ストーリーとしての競争戦略:優れた戦略の条件』(2010年,東洋経済新報社)ほか多数。

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