日立製作所 研究開発グループ 基礎研究センタ 主管研究長 兼 日立京大ラボ長 水野弘之/日立製作所 研究開発グループ 基礎研究センタ 主任研究員 兼 日立京大ラボ ラボ長代行 嶺竜治
「2050年の社会課題を考える」では、「少子高齢化」「都市問題・コミュニティの課題」「地球温暖化・サステナビリティ」など、日本の未来を大きく左右する社会課題について、2050年からのバックキャスティングで、解決のためのヒントを探っていく。プロローグとして、日立製作所が2016年に東京大学、京都大学、北海道大学と、それぞれ大学内にラボを設置して進めてきた協創について取り上げたい。日立北大ラボに続き、今回は、人文知を取り入れながら、2050年の社会課題解決に向けた社会価値の提言や、人や文化に学ぶ社会システムの提案に取り組む、日立京大ラボの活動を紹介する。

「第1回:超長期の視点で課題を探索」
「第2回:未来の「不安」からの脱出」はこちら>
「第3回:「政策提言AI」が示唆する未来」はこちら>
「第4回:人間社会とサイバーとの協同システム」はこちら>
「第5回:混生社会実現へのアプローチ」はこちら>

2050年を見据えた未来課題の探索

――まず、日立京大ラボの全体像について教えてください。

水野
2016年に京都大学との共同研究部門として設立された日立京大ラボは、日立の研究者と京都大学の先生方や学生たちとともに、「ヒトと文化の理解に基づく基礎と学理の探究」を推進すべく、新たなイノベーションの創出をめざしてきました。具体的には、「2050年の社会課題とその解決に向けた大学と企業の社会的価値の提言」、「人や文化に学ぶ社会システム」の二つのテーマを掲げて活動しています。

――2050年の社会課題に、7年前から取り組んでこられたのですね。


当時から未来予測はなされていましたが、多くが2030年くらいをターゲットに、現在の延長線上で資源や技術開発、市場を予測するものでした。われわれは、より長い時間軸で未来を捉え、「あるべき社会像」を描きつつ、そこからバックキャスティングして課題を探っています。

産学連携でよくあるのは、すでに具体的になっている、製品開発における技術課題などに関して、大学の先生の知見をお借りする、といったパターンです。しかし、このラボでは、先生方と一緒に課題そのものを探索するところから取り組んできました。ですから、日立京大ラボの京都大学側の正式名称も「日立未来課題探索共同研究部門」なのです。

ちなみに、日立の大学ラボの研究対象はそれぞれ時間軸が異なっていて、日立北大ラボは人口減少や過疎化など地域の課題を、日立東大ラボはエネルギー問題など2030〜2050年に向けた政策提言をメインにしています。つまり、2050年の先を見据えた日立京大ラボの時間軸が一番長いと言えそうです。

常駐型ラボならではの取り組み

――メンバーは全員、京都に常駐しているのですか?

水野
コロナ禍を経て、働き方も随分と変化しました。2023年4月から東京在住のラボ員を置くことになり、現状(2023年10月時点)は、常駐が6名、東京に4名、私を入れて11名です。また、東京の社会イノベーション協創センタ(Global Center for Social Innovation=CSI)改め、デザインセンタ(DC)のメンバーも一緒に活動しています。

30年にわたり基礎物理に関する共同研究を進めてきた、ケンブリッジ大学(英国)との日立ケンブリッジラボや、超スマート社会に向けたイノベーション創出を目的とする清華大学(中国)との共同研究に代表されるように、日立はこれまでも国内外の大学と共同研究に取り組んできました。ただ、実際に現地にこれだけの人が常駐している大学ラボは、北大、東大と京大だけです。一種の「出島」なのかもしれません。


着任当初、先生方に京都に住んでいるとお伝えしたところ、「それならもっと頻繁に対話しましょう」と言われたんですね。先生方と密にコミュニケーションが取れているのは、常駐していればこそだと思います。

――人文・社会科学系の先生方との協創がメインのようですね。


スタート当初は、文系に限らず、理工系や医学、化学など多様な分野の先生方に、2050年頃にどういった社会課題があるだろうか、どのような技術が開発されているだろうかと、各先生の専門分野に照らしてヒアリングをしていたのです。

反応はさまざまで、「よくぞ聞いてくれた」という先生もいましたが、「電機メーカーの日立が、そんなことを考えているの?」と驚かれることもありました。そうして対話を重ねるうちに、広井良典先生(公共政策・科学哲学)や出口康夫先生(近現代西洋哲学・分析アジア哲学)たちが、われわれのシミュレーション技術やAIに興味を持ってくださるようになり、関係が深まっていきました。先生方の考える推論やビジョンをテクノロジーで検証したり、可視化したりできるのなら、ぜひ一緒にやりたい、と。いまでは、人文・社会科学系の先生方との協創が日立京大ラボの最大の特色となっています。

互いの言語の理解からスタート


ただ最初は、お互いの言語が通じなくて苦労もしました。「学習」という言葉一つとっても、機械学習で言う学習と教育学で言う学習では概念が違うんですね。教育学の先生からすれば、われわれの言う「学習」は単なる「記憶」にすぎないという。「知識」という言葉も、宗教学(仏教)では高徳の僧侶(善知識)を示したりと、意味が異なります。

日立京大ラボの入居する、京都大学吉田キャンパスの国際科学イノベーション棟

水野
私自身、もとは半導体の研究者ですし、ラボ員の専門分野も情報科学が大半です。日立の研究開発グループの研究者の専門分野はいわゆる理系に大きく偏っています。

そうしたなか、文系の先生方とは、互いの得意を持ち寄り、不得手を補うような、いい関係性が構築できていると感じます。例えばデータの解釈一つとっても、われわれの想像を大きく超えるようなものの見方を示していただくことがあり、気づきが多い。出口先生が、「哲学とは価値をつくり出す学問」とおっしゃっていましたが、確かに、文系の先生方は、解釈し、名前をつけ、新しい概念をつくるのに長けているんですね。


そう、われわれはデータを集めてモデルをつくって予測したり確率を計算したりして数値で示そうとするけれど、文系の先生方は、そこから新たな価値を見出し、提案していく。そこは非常に勉強になります。

実は最初、情報系の先生ともやり取りをしていたのですが、結局、こちらが教えを乞うかたちになってしまい、本当の意味での共同研究にならないと感じました。いまは、「ありたき社会像」に向けて、われわれラボ員も社会科学や心理学へ少しずつ滲み出ていきながら、互いの価値を高め合い、協創を進めることができています。(第2回へつづく

(取材・文=田井中麻都佳/写真=秋山由樹)

「第2回:未来の「不安」からの脱出」はこちら>

水野弘之(みずの・ひろゆき)
日立製作所 研究開発グループ Web3コンピューティングプロジェクトリーダ 兼 基礎研究センタ 主管研究長 兼 日立京大ラボ長。1993年、日立製作所に入社。マイクロプロセッサなどの研究開発に従事。2002年から2003年、米国Stanford大客員研究員。2011年、新世代コンピューティングプロジェクトを開始し、CMOSアニーリングの研究開発と並行し、人文社会学の観点を取り入れた社会システムの研究開発を開始。2013年、戦略企画本部・経営企画室 部長、2016年、研究開発グループ・情報通信イノベーションセンタ長などを経て、2018年より現職。工学博士。IEEEフェロー。

嶺竜治(みね・りゅうじ)
日立製作所 研究開発グループ 基礎研究センタ 主任研究員 兼 日立京大ラボ ラボ長代行、京都大学 オープンイノベーション機構 特定准教授。1995年、日立製作所に入社。中央研究所にて、郵便区分機やカメラ付携帯機器向け文字認識、帳票認識システム、教育支援システムなどの研究開発に従事。2016年より現職。ヒトが人であるがゆえに生じる社会課題の探究をめざし、新たな社会システムの研究を進めている。