一橋ビジネススクール教授 楠木建氏

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「第2回:時間的な鷹揚さ。」はこちら>
「第3回:自己利益と他者利益。」はこちら>
「第4回:ギバーへの道のり。」はこちら>
「第5回:寿司とマフィアとビートルズ。」

※本記事は、2022年3月9日時点で書かれた内容となっています。

お話ししてきたように、『GIVE & TAKE』* では人間をギバー、テイカー、マッチャーの3つに分類しています。周囲にいる人をこの3類型に当てはめてみて、その人たちがどういう行動をとっているのかを見てみると、より理解が深まります。僕の友人・知人にも「ああ、こういう人がギバーだな」と思わせる人が何人かいます。そのなかでもギバーの概念にぴったり当てはまる、あるIT企業の経営者のエピソードを紹介します。
*『GIVE & TAKE「与える人」こそ成功する時代』

この人は、かつて銀座にあるお寿司屋さんのオーナーでした。本業とは全然関係ないのに、なぜか。彼はお寿司が好きで、いろいろな有名店を食べ歩いていました。そのなかでもひいきにしていたお店があったんですが、そこの職人さんが突然辞めて別の店に移ってしまった。

その職人さんが握るお寿司が食べたくて、経営者は移転先のお店を訪ねました。そこでいろいろ話をすると、職人の若者が「将来は独立したい」という希望を持っていることを知りました。それを聞いた社長さんは「だったら自分が一部出資するから、お店出せば?」と彼の独立を後押しします。職人さんは銀座で開業し、今では立派な人気店になっています。成功してから、共同オーナーだった経営者から株を買い取り、現在は資本も独立しています。

これは、第3回でお話しした他者利益と自己利益が一体化している、典型的なギブです。つまり、この経営者にとってギブはテイクでもある。その職人さんが握るお寿司が好きで、人柄も信頼している。そんな彼が独立してお店をやれば、大好きなお寿司をよりよい状況・状態で食べられるし、自分だけでなくいろいろな人に食べてもらえる。かなりピュアに、自分がそうしたいから出資しただけなんです。

この話からもわかるように、ギバーにとって一番強い動機は「本当なら自分がやりたいけれど、能力や資源、時間の制約があってできないので、この人にやってもらいたい」という思い。つまり、自他の区別がない。はたから見れば利他的であっても、本人はギブした時点で報われています。自分にとって面白いとか、心地よいと思えることに対して自然にギブができて、そのあとも鷹揚に構えている。

歴史上の偉大な人物のなかで本当にギバーだなと僕が思う人に渋沢栄一がいます。この人こそギバーの究極です。それから小林一三。彼は「いつまで経っても貸しが圧倒的に多いのがいい人生だ」と言っています。渋沢にしても小林にしても、本当に大きな仕事をする人というのは、圧倒的にギバーが多い。

一方で、「面倒見がいい」と言われる人には、実はマッチャーが結構多い。映画『ゴッドファーザー』で描かれているマフィアの大ボスは太っ腹のように見えますが、せいぜいマッチャーです。「ところであのとき、僕が君にこういうことをしたのを覚えているだろう? 今こそ恩を返すときじゃないか」なんて言う。ギブしてから時間的なラグがあるけれど、しっかり帳尻を合わせてくる。

翻って僕自身はどうかと言うと、決してギバーではありません。基本的にはマッチャーです。それでもたまにはギバー的な行動をとることがあります。この人は才能あるな、面白いなと思ったときに、自分の利益とは関係なく「こういう仕事をしたらどうですか」と紹介する。この人が才能をもっと活かせたらいいなと思ってやることで、自分に何が返ってくるかとかは考えていない。『GIVE & TAKE』が言うように、ギバーはだれのなかにでもある本能、本性であることは間違いないと思います。

ギブに対するリターンは必ずしも経済的な利益ではなく、リスペクトを得るという表現が一番正確だと思います。ギバーのほうが金銭的に儲かるというわけではない。もしかしたらテイカーですごく経済的に成功した人もいるでしょうが、それが本当の幸せなのかどうかは疑問です。世の中には矛盾や理不尽がありますが、ギバーが人間の本性であり、結局、そういう人たちは尊敬されている。その程度には、世の中うまくできているなと思います。

最後に、ビートルズのアルバム『Abbey Road』に収録されている『The End』という曲のエンディングの歌詞を紹介します。

And in the end
The love you take
Is equal to the love you make

(1969年リリースアルバム『Abbey Road』収録曲『The End』 作詞作曲レノン=マッカートニー)  

普通、takeの対義語はgiveですが、ここではmakeを使っています。give(人に〇〇を与える)と違って、make(〇〇を作る)は方向性を持たない動詞です。「あなたが受けとった愛は、あなたが作っておいた愛とイコールである」。つまり、「あなたが与えてくれた愛」ではない。giveしたからと言って必ずtakeできるものではない。世の中というのはそういうものだ――期せずしてつねに本質を突くのがビートルズ。さすがです。

楠木 建
一橋ビジネススクール教授
1964年東京生まれ。幼少期を南アフリカで過ごす。一橋大学大学院商学研究科博士課程修了(1992)。一橋大学商学部専任講師、一橋大学商学部助教授、一橋大学イノベーション研究センター助教授、ボッコーニ大学経営大学院(イタリア・ミラノ)客員教授、一橋大学大学院国際企業戦略研究科准教授、2010年より現職。

著書に『逆・タイムマシン経営論』(2020,日経BP社)、『室内生活 スローで過剰な読書論』(2019、晶文社)、『すべては「好き嫌い」から始まる』(2019、文藝春秋)、『「好き嫌い」と才能』(2016、東洋経済新報社)、『好きなようにしてください:たった一つの「仕事」の原則』(2016、ダイヤモンド社)、『「好き嫌い」と経営』(2014、東洋経済新報社)、『戦略読書日記』(2013、プレジデント社)、『経営センスの論理』(2013、新潮新書)、『ストーリーとしての競争戦略:優れた戦略の条件』(2010、東洋経済新報社)などがある。

楠木教授からのお知らせ

思うところありまして、僕の考えや意見を読者の方々に直接お伝えするクローズドな場、「楠木建の頭の中」を開設いたしました。仕事や生活の中で経験したこと・見聞きしたことから考えたことごとを配信し、読者の方々ともやり取りするコミュニティです。
この10年ほどTwitterを使ってきて、以下の3点について不便を感じていました。

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・考えごとや主張をツイートすると、不特定多数の人から筋違いの攻撃を受ける

「楠木建の頭の中」は僕のTwitterの拡張版というか裏バージョンです。もう少し長く書ける「拡張版」があれば1の問題は解決しますし、クローズドな場に限定すれば2と3の不都合を気にせずに話ができます。加えて、この場であればお読みいただく方々に質問やコメントをいただき、やりとりするのも容易になります。
不定期ですが、メンバーの方々と直接話をする機会も持ちたいと思います。
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