山口 周氏 独立研究者・著作家・パブリックスピーカー/川村 隆 株式会社 日立製作所 名誉会長
働く期間が長くなっている今日の社会では、企業に入ってからも学び直しが必要になると語る川村名誉会長。次世代のリーダーへのアドバイスには、海外を経験することを挙げた。

「第1回:企業の存在意義とは何か」はこちら>
「第2回:ラストマンの覚悟とリーダーシップ」はこちら>
「第3回:経営者に必要な条件とは」はこちら>
「第4回:専門分野以外の学びが人間性を養う」はこちら>
「第5回:『学び直し』のできる社会に」

リーダーには好奇心も大切

山口
この対談シリーズでも何度か話題にしていますが、ハーバード大学などでは学部にはリベラルアーツ学部しかなく、専門教育は大学院で受けます。まずはいわゆる総合知、幅広い視野や人間に対する洞察力を養うリーダー教育を受け、そのあとで自分のめざす法律や医学、工学の専門知識を学びます。日本企業においてリーダーシップが課題となることが多い背景には、教育システムの問題もあるのかもしれません。

川村
私も大学では最初の2年間が教養課程、残りの2年間が専門課程でした。電気工学科卒業なんて言っても電気工学を学んだのはたった2年、リベラルアーツも専門知識も中途半端なのかもしれません。本来ならば、おっしゃるようにリベラルアーツをみっちり4年間学び、その後3年か5年かけて専門性を身につけるほうがいいと思いますし、これからの大学はそうなるべきでしょう。人生100年時代と言われて定年延長も始まっている中で、もう少し学びの期間を延長するとともに、必要に応じて学び直しのできる社会にしなければならないと思います。

私の場合、会社に入ってから専門分野の学びを深めることができましたが、リベラルアーツのほうは自分で取り入れていくしかありませんから、本を読むだけでなく美術館や舞台など、意識して観に行くようにはしていました。

山口
好奇心というのもリーダーにとって大切だと思います。川村さんは仕事を俗、趣味を仙とすれば、一週間のうち一俗六仙の生活に憧れてきたとご著書に書かれています。その仙のほうが実に多彩で、読書にはじまりスキーやゴルフ、小唄や三味線など、旺盛な好奇心をお持ちなのだと感じます。中には学問の先端調べというのもありましたね。

川村
そんなに大層なことではないのですが、今は論文を入手するのも大学などの講義を視聴するのもウェブで簡単にできますよね。ある分野の最先端研究の表層程度はつかむことができますから、それがおもしろくて調べては悦に入っているだけです。デジタル時代の恩恵と言えますが、それが生きているうちに享受できるようになったのは非常にうれしいことです。

ともあれ、おっしゃるように好奇心は経営者にとって重要な要素だと思います。成長分野の芽を見つけられるかどうかに関わってきますから。情報というのは好奇心のアンテナを立てれば、自然と世界中から入ってくるようになります。そのアンテナが立つかどうかが重要なのです。先ほども話したように、長い企業人生の中で何年か会社を休んで学び直せるような社会になってほしいのですが、その学び直しにも好奇心が不可欠ですよね。

リベラルアーツは「変身資産」

山口
働く期間が長くなっている一方で、VUCA時代になり知識やスキルがあっという間に古くなってしまうということを考えると、4年間大学で学んだ知識だけで40年以上働けというのは、もうシステムとして無理があるように思います。

昭和天皇が皇太子時代に教育掛を務めた小泉信三は、『読書論』の中で「直ぐ役に立つ本は直ぐ役に立たなくなる本であるといへる。」と書いています。古典のようなものはすぐに役に立たない本と見られているけれど、それによって今日まで人間の精神が養われ、人類の文化が進展してきた。知識も同じで、専門知識はもちろん大事ですがアップデートしなければすぐに役に立たなくなります。一方でリベラルアーツというのは時間や分野を超えて応用できる普遍性というものがあります。それがリベラルアーツの価値の一つではないでしょうか。

川村
おっしゃるとおりです。リベラルアーツは「変身資産」の一つだと思います。人間の持つ無形資産には、仕事の知識やスキルなどの「生産性資産」と、家族や友人の存在、自身の健康などの「活力資産」、世の中の動きや必要に応じて自分を変化させる力である「変身資産」があると言われています。これからはその「変身資産」が重要になるでしょう。ジョブ型雇用への転換が言われている中で、今後は一つの会社に骨を埋めるというよりは、キャリアアップやスキルアップをめざして会社を移る人も増えるでしょう。そのときに必要となるのが、すぐに役立たなくても身につけてきた教養、あるいは仕事を離れた人間関係といった無形資産ではないかと思います。

山口
世の中の動きを見ると、10年に1度くらいは企業の舵取りを難しくするような変化が起きていますね。今もパンデミックにより社会が激変している最中ですが、こうした中でこそ、おっしゃるような変身資産が重要になるのかもしれません。

この対談を読まれている方の中には現在あるいは将来のビジネスリーダーが多く、予測不能な時代への不安も抱えておられるでしょう。先達として、川村さんご自身が中堅時代にやっておいてよかったと思われることがあれば、お聞かせいただけますか。

川村
やっておいてよかったというより、やれなくて残念だったことがあります。海外勤務です。学生時代は貧乏で海外旅行に行けるような余裕はありませんでしたし、会社に入ってからも私自身はその機会が得られませんでした。グローバル社会の中でこれからも日本が成長していくためには、企業も個人も国際力を高めていくことが絶対に必要です。会社で海外勤務の機会がなければ、旅行でも留学でもいいので一度ぐらいは海外を経験しておいたほうがいいでしょうし、国際機関で働くことも一考に値するでしょう。日本人は英語ができなくて、というより英語で発言できなくて損していることが多いと思います。AI時代になって翻訳技術も飛躍的に発達していますから、そうした技術も活用しながら、外から日本を見てみるという経験をしておくことが大切です。旅やそれに伴う新しい出会いから学べることも、大きな無形資産となるはずですから。

川村 隆(かわむら・たかし)
1939年北海道生まれ。1962年東京大学工学部電気工学科を卒業後、日立製作所に入社。電力事業部火力技術本部長、日立工場長を経て、1999年副社長に就任。その後、2003年日立ソフトウェアエンジニアリング会長、2007年日立マクセル会長等を歴任したが、日立製作所が過去最大の最終赤字を出した直後の2009年に執行役会長兼社長に就任、日立再生を陣頭指揮した。2010年度に執行役会長として過去最高の最終利益を達成し、2011年より取締役会長。2014年には取締役会長を退任し2016年まで相談役。日本経済団体連合会副会長、日本電気学会会長、みずほフィナンシャルグループ社外取締役、カルビー社外取締役、ニトリホールディングス社外取締役などを務め、2017年~2020年東京電力ホールディングス社外取締役・会長。
著書に『ザ・ラストマン』(KADOKAWA)、『100年企業の改革 私と日立』(日本経済新聞出版)など。最新著は『一俗六仙』(東洋経済新報社)。

山口 周(やまぐち・しゅう)
1970年東京都生まれ。電通、ボストンコンサルティンググループなどで戦略策定、文化政策立案、組織開発等に従事した後、独立。
著書に『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』(光文社)、『武器になる哲学』(KADOKAWA)、『ニュータイプの時代』(ダイヤモンド社)、『ビジネスの未来 エコノミーにヒューマニティを取り戻す』(プレジデント社)他多数。慶應義塾大学文学部哲学科、同大学院美学美術史学専攻修了。