山口 周氏 独立研究者・著作家・パブリックスピーカー/川村 隆 株式会社 日立製作所 名誉会長
経営者に必要な条件を問われ、川村名誉会長は情に棹ささない人であると答える。そして緊急時にこそラストマンの精神をもったリーダーが必要であると説く。

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「第2回:ラストマンの覚悟とリーダーシップ」はこちら>
「第3回:経営者に必要な条件とは」
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大事は理、小事は情

山口
これも本日ぜひ伺いたかったことですが、川村さんの考える経営者に必要な条件とは何でしょうか。

川村
やはり情に棹ささない人です。理知的に考えられるけれど、「智に働けば角が立つ」ので、その角をうまく落としつつ合理的な判断のできる人。もっと言えば、ちゃんと稼ぐ力を出せる人ということになります。そうでなければ存在価値はありませんから。とはいえ、人間が大切にしていることの中には情が絡むものが山のようにあり、それらをすべて無視しては角が立つ。情というものを仕事においてどこまで許容していくかという、難しいさじ加減も求められます。

山口
古今東西のリーダーシップ論には『論語』のように徳を重視するものと、『韓非子』のように法や理を重視するものがありますね。マキャベリの『君主論』も現実主義の視点から秩序を重んじる立場です。日本ではどちらかというと論語的な、徳をもって治めるような組織運営がなされてきて、理だけで動くと人望が集められないイメージもあります。川村さんも情の部分は大切にされてきたのではないですか。

川村
私はいつも「大事は理」と言ってきました。

山口
そして「小事は情」ですね。

川村
そのとおりです。例えば、勤務地などは家族の事情といったことも考慮して決める。小事ですから。でも経営の大きい方向性については理を貫かないといけない。

山口
経営とは矛盾の塊であるとよく言われますが、コンテキストや状況によって情と理のバランスをとるということでしょうか。

川村
バランスと言っても理が占める割合のほうが大きいですね。けれど、やはりどちらか一方だけではうまくいかないものです。

身をもって知ったラストマンの精神

川村
経営者の条件ということで言えば、私も中西君も会社の中で出世できなかった人間ですよ。

山口
そんなことはないと思います。

川村
私が社長になったのは69歳です。それまではグループ会社の会長などを務めていて、そのまま企業人生を終えるだろうと思っていました。中西君もアメリカのハードディスクドライブ製造のグループ会社を任された人間で、社長就任時すでに60代半ばでした。就任要請の電話をかけてきたのは当時の会長の庄山悦彦さんで、彼本人から直接理由を聞いたわけではありませんが、私が指名されたのは傍流を歩いてきた人間だから怖いものもなく、情に流されないことを期待されたためでしょう。私が社長に就いたときに中西君を副社長に据えたのも同じ理由によります。

山口
ご著書に書かれていたように、外側にいたからこそ、良いところも悪いところも見えていた。そうした視点も生かせたのですね。

川村
ええ。そういうわれわれが選ばれた以上は、今までとは違うやり方で立て直さなければならないと決意して、「エバンジェリスト」になりました。会社を変えていくためには、どう変えたいのかを社内に理解してもらうための伝道師が必要です。そのため、私以降の社長と副社長は分担してその役割を担い、改革のビジョンやそれに伴う痛み、現在の状況について、国内はもちろん海外拠点にも説明して回りました。経営者というものはただ座って指示をしていればいいというものではない。相当な労力が求められるものです。

山口
精神的にもタフでなければ務まりませんね。そして何よりリーダーシップが必要不可欠です。

川村さんは1999年に起きた全日空機ハイジャック事件に偶然、巻き込まれるという経験をされていますね。よくリーダーシップやある種の才能が開花するきっかけとして挙げられるのが、死生観の変化です。例えば、作品を愛読されているというドストエフスキーも、銃殺刑の執行直前に特赦が与えられ、その後『罪と罰』や『カラマーゾフの兄弟』などの傑作を生み出しています。川村さんが経営者としての才覚を発揮されている背景にも、やはりその事件で死というものを意識したことが関係していると思われますか。

川村
あのときには、あと20秒で墜落するというところまで行きましたからね。ただドストエフスキーは刑場まで連れて行かれたところで命拾いをしたけれど、私の場合はジャンボジェットの1階に乗っていて、ハイジャック現場は2階の操縦席でしたから、事件の最中は何が起きているかよくわからなかったのです。だんだん地面が近づいてクルマが見えてきた、何のクルマだろう、なんて考えていた。

山口
ずいぶん落ち着いていらっしゃったのですね。

川村
いや、でも死ぬ間際ってそういうものかもしれないですよ。家族に手紙を書くような余裕はなかったけれど。事件自体は、非番でたまたま乗り合わせていたパイロットの山内純二さんがコックピットの扉を蹴破って犯人を取り押さえ、操縦桿を奪い返したことで事なきを得ましたが、私は飛行機を降りてからそうした状況を聞かされて肝を冷やしました。そう考えると私の場合は、死に直面したというだけでなく、「ザ・ラストマン」の精神を、身をもって知ったことに大きな意味があったのかもしれません。最悪の事態を回避できたのは、山内さんがラストマンとして行動したからです。緊急時にこそ、自分が責任を取ると覚悟を決めて行動できる人間が必要なのだということです。(第4回へつづく)

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川村 隆(かわむら・たかし)
1939年北海道生まれ。1962年東京大学工学部電気工学科を卒業後、日立製作所に入社。電力事業部火力技術本部長、日立工場長を経て、1999年副社長に就任。その後、2003年日立ソフトウェアエンジニアリング会長、2007年日立マクセル会長等を歴任したが、日立製作所が過去最大の最終赤字を出した直後の2009年に執行役会長兼社長に就任、日立再生を陣頭指揮した。2010年度に執行役会長として過去最高の最終利益を達成し、2011年より取締役会長。2014年には取締役会長を退任し2016年まで相談役。日本経済団体連合会副会長、日本電気学会会長、みずほフィナンシャルグループ社外取締役、カルビー社外取締役、ニトリホールディングス社外取締役などを務め、2017年~2020年東京電力ホールディングス社外取締役・会長。
著書に『ザ・ラストマン』(KADOKAWA)、『100年企業の改革 私と日立』(日本経済新聞出版)など。最新著は『一俗六仙』(東洋経済新報社)。

山口 周(やまぐち・しゅう)
1970年東京都生まれ。電通、ボストンコンサルティンググループなどで戦略策定、文化政策立案、組織開発等に従事した後、独立。
著書に『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』(光文社)、『武器になる哲学』(KADOKAWA)、『ニュータイプの時代』(ダイヤモンド社)、『ビジネスの未来 エコノミーにヒューマニティを取り戻す』(プレジデント社)他多数。慶應義塾大学文学部哲学科、同大学院美学美術史学専攻修了。