一橋ビジネススクール教授 楠木建氏

「第1回:覆水盆に返らず。」
「第2回:気づかなかった大失敗。」はこちら>
「第3回:待つ力。」はこちら>
「第4回:回復力は脱力力(だつりょくりょく)。」はこちら>

※本記事は、2021年10月4日時点で書かれた内容となっています。

今回のテーマは、「失敗と回復力」です。ひとことで失敗と言っても、社会を揺るがす大きなものから、電車で一駅乗り過ごすといったささいなものまで、その中身は実にさまざまです。

僕の場合、一人でやっている家内制手仕事で、売っているものは考え事、利害や責任はさほど大きくはありません。会社経営であれば、納期や品質基準を守らないとお客さまに多大な迷惑が掛かるとか、従業員やサプライヤーにお金が払えなくなるといった強い利害と責任があります。それと比べると、僕は気楽な仕事をしているわけです。ですから、責任ある重い仕事をされている人からすると、僕の失敗についての認識は甘いというか、ずれているのかもしれません。

僕自身の仕事に対する構えは、以前にもお話した絶対悲観主義です。大体のことは自分の思いどおりにはならない、という前提で仕事をしています。実際に多くのことがうまくいかないのですが、それは失敗というよりはむしろ「日常」です。失敗しても、僕の場合は自分の評判が悪くなるだけ。例えば、「もうあいつには仕事を頼むな」とか「出入り禁止にしろ」とか、自分の評判が悪くなるだけなので、誰か他の人に決定的な損失を与えてしまうようなことは少ない。

失敗から立ち直るための回復力というのは、僕にとってあまりリアルな問題ではありませんでした。絶対悲観主義者にとっては、うまくいかないのが平常状態。しかも利害が軽い仕事で大した失敗がないので、回復力も必要としなかった。

絶対悲観主義のプロになってくると、むしろ失敗を楽しみ、うまくいかないことを積極的に受け止めるようになる。「ああ、やっぱり外したか」というときのじわじわとくる格別な感情を、じっくりと味わえるようなってきます。「そう甘くはないよな……」とか言いながら、車に戻ってコインパーキングで缶コーヒーを飲む。たばこを取り出して吸おうとすると、目の前に「喫煙厳禁」という看板がある。この状況が、たまらなくイイんです。たまにはこれをやりたいがために、わざと失敗をしてもイイと思うくらいです。

僕は、人から威張られるのも結構スキなんです。もう初老に入りつつあるので、最近はそういう機会は少なくなってきましたが、若い頃は目上の方にしょっちゅう威張られるわけです。その方の武勇伝を聞かされながら、「おまえはまだまだだ!」とがんがん説教をされる。これ、僕はわりとスキなんです。なぜかと言えば、ブルースを感じるんですね。ある種のエンターテイメント。アルバート・キングの哀愁に満ちたブルース・ギターを間近で聴いているような感じがします。

加えて、いじめられるのもわりとスキです。いじめてくる人というのは、必ず何かしらツラいことがあるんですね。いじめられながらそれを想像すると、これまたなかなか味わい深いメロディーが聴こえてきます。威張りといじめのブラックホールとして、みんなが忌避するものをがんがん吸収するタイプでして、これはある意味で社会的な善行なのではないかとさえ思っています。

そんな体質のせいか、僕は打たれ強いと思われている。例えば、大学を代表してフォーマルにお詫びをしなければならない、そういう業務もたまに発生するわけです。そういうときには、みんなが「おまえ行ってこい」という感じになる。

はじめてそういう役割を仰せつかったときに、とっさに出たのが「申し訳ございません。頭丸めてまいりました」というフレーズなんです。これが結構ウケて、「おまえ、前から丸まってんじゃねえか」と返されたときに、「いえ、いつもより強めに丸めてまいりました」というとさらにウケた。それ以来味をしめて使わせてもらっています。

ごく最近もこのフレーズを使いました。その日は、朝7時からわりと(僕にとっては)ハードな仕事がありまして(つまり、普通の人にとっては普通の仕事)、終わったのが午後の2時半。かなりへとへとになったので、家に帰って昼寝をしました。2時間気持ちよく寝て、4時半に目が覚めてメールをチェックすると、表題に「来ないんですか」というメールが入っていました。びっくりしてスケジュールを確認すると、その日の3時半から5時半まで別の仕事が入っていたのです。

これは、僕にとって重要度の高い仕事でした。単純に手帳に記載するのを忘れていたという超凡ミスで穴を空けてしまいました。そのときに僕が思ったことは、「覆水盆に返らず」。起きてしまったことは仕方がない。自分で言うな、という話なのですが。

取りあえず先方に電話し、平謝りに謝った上でリスケジュールしていただきました。この凡ミスで僕はこれまで積み上げた信用をすっかり取り崩してしまったことは間違いありません。延期していただいた当日、関係各氏がおそろいになったところで、改めて全力で謝罪。「このたびは誠に申し訳ございません。せめてもの誠意をと、新しいバリカンでいつもより強めに頭を丸めてまいりました」とお詫びいたしました。

僕はそんな感じで失敗と付き合ってきましたが、やはり世の中そう甘くはありません。しばらく前に、致命的な失敗をしでかしました。(第2回へつづく)

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楠木 建
一橋ビジネススクール教授
1964年東京生まれ。幼少期を南アフリカで過ごす。一橋大学大学院商学研究科博士課程修了(1992)。一橋大学商学部専任講師、一橋大学商学部助教授、一橋大学イノベーション研究センター助教授、ボッコーニ大学経営大学院(イタリア・ミラノ)客員教授、一橋大学大学院国際企業戦略研究科准教授、2010年より現職。

著書に『逆・タイムマシン経営論』(2020,日経BP社)、『室内生活 スローで過剰な読書論』(2019、晶文社)、『すべては「好き嫌い」から始まる』(2019、文藝春秋)、『「好き嫌い」と才能』(2016、東洋経済新報社)、『好きなようにしてください:たった一つの「仕事」の原則』(2016、ダイヤモンド社)、『「好き嫌い」と経営』(2014、東洋経済新報社)、『戦略読書日記』(2013、プレジデント社)、『経営センスの論理』(2013、新潮新書)、『ストーリーとしての競争戦略:優れた戦略の条件』(2010、東洋経済新報社)などがある。

楠木教授からのお知らせ

思うところありまして、僕の考えや意見を読者の方々に直接お伝えするクローズドな場、「楠木建の頭の中」を開設いたしました。仕事や生活の中で経験したこと・見聞きしたことから考えたことごとを配信し、読者の方々ともやり取りするコミュニティです。
この10年ほどTwitterを使ってきて、以下の3点について不便を感じていました。

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・オープンな場なので、仕事や生活経験の具体的な中身については書きにくい
・考えごとや主張をツイートすると、不特定多数の人から筋違いの攻撃を受ける

「楠木建の頭の中」は僕のTwitterの拡張版というか裏バージョンです。もう少し長く書ける「拡張版」があれば1の問題は解決しますし、クローズドな場に限定すれば2と3の不都合を気にせずに話ができます。加えて、この場であればお読みいただく方々に質問やコメントをいただき、やりとりするのも容易になります。
不定期ですが、メンバーの方々と直接話をする機会も持ちたいと思います。
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