村上 陽一郎氏 東京大学名誉教授・国際基督教大学名誉教授/山口 周氏 独立研究者・著作家・パブリックスピーカー
村上氏は、「教養」の意味としてドイツ語のBildung(自分を形成していくこと)が最も適切ではないかと考察する。それを受けて山口氏は、村上龍氏の短編集にある「スタイルを守る」ということが、真の「教養」なのでは、と言う。

「第1回:今だからこそ必要なネガティブケイパビリティ」はこちら>
「第2回:仮想空間は断絶を拡大する危険をはらむ」はこちら>
「第3回:あらためて教養とは」はこちら>
「第4回:リベラルアーツと教養の違い」

教養=Bildung

村上
リベラルアーツとはご承知のとおり、13世紀頃にヨーロッパ各地に生まれた大学で、専門職を養成する神学校、医学校、法学校へ進む前の学問として哲学部で学んだ自由七科に由来します。学問に必要な言葉を操るために学ぶのが文法・修辞学・論理学の三科、自然を知るために必要な算術・幾何・天文・音楽の四科で構成されていました。

そうした中世の大学のあり方を受け継いできたのが、実はアメリカなのです。リベラルアーツカレッジが今なお多くあり、専門課程は大学院で学ぶという形が一般的ですね。それに対してヨーロッパでは19世紀に大改革を行い、大学は専門分野の研究を行う機関となり、その前のリベラルアーツ教育はリセやギムナジウムと呼ばれる大学予備門に移管しました。それを取り入れた明治期の日本では、大学予備門、のちに旧制高等学校と呼ばれた教育機関で外国語を中心としたいわゆる「教養教育」が行われ、それが戦後、大学の一般教養課程に組み込まれたわけですね。

ならば、教養とは何だろうといったときに、和英辞典を引くとcultureが出てきます。翻訳ソフトではliberal artsが出てきますが、和英辞典にはありません。そして和独辞典ではBildungが出てきます。

山口
BildungsromanのBildungですね。

村上
ええ、よく知られているのはトーマス・マンの『魔の山』ですね。ハンス・カストルプがサナトリウムの生活を通じて、人間的に成長していく。そうやって若者が自分を形成していく、文字どおりBildungしていくプロセスを描いたのがBildungsromanです。日本語に訳すと「成長小説」とか「教養小説」とされますけれど、「Bildung=自分を形成していくこと」というドイツ語が、「教養」の意味としては最も適切ではないかと私は思います。

ですから、リベラルアーツを源流とする大学の教養課程の「教養」と、Bildungを源流とする「教養」とは、外側は似ていても内包するものはかなり異なるのです。そこのところがはっきり区別されていないことは、少し気になるところです。

山口
確かにそうですね。先生は『あらためて教養とは』の中で、戦後の日本人が「慎み」というものを失っていった、つまり規矩、もっと言えば「教養」というものを失っていった背景には、戦後教育のあり方が関わっているのだろうと考察されています。そうした教育や社会のあり方に棹さしてこなかった知識人は、現状を嘆くだけでなくどうすれば慎みを構築できるのか考えなければならないと、ご自身への批判も込めて書かれていました。

ただ、先生方が苦言を呈してこなかったのは、おそらく終戦を機に価値観がひっくり返る体験をされた方々に共通する、ある種の疑念と言いますか、次の世代に自信を持って伝えるべき価値を失ってしまったことが影響しているのではないかと思うのですが、いかがでしょうか。

自分のスタイルを守る

村上
そうですね。私は小学校三年生で敗戦を迎えました。そのとき、それまで米英撃滅だ、聖戦だと教育されてきたのが手のひらを返されたわけです。今でも忘れられないのは、昭和22年のことだったと記憶していますが、近所の井の頭公園へ子どもたちだけで遊びに行ったときのことです。ジープに乗ってやってきたアメリカ兵に、チョコレートやチューインガムをあげると言われた。けれど私は何か悪いことをされるんじゃないかと思って逃げてきた、と日記に書きました。

当時、日記を提出すると先生が赤鉛筆でコメントを書いてくださっていたのですが、その日の日記には「アメリカ兵は絶対に悪いことはしません」と書かれていました。それを読んだとき、理屈でどうこうではない、何か強烈な違和感をおぼえたのです。

その体験によって、例えば教育の場面で「こうであるから君たちはこうしなさい」と言われること、あるいは言う立場に対する根本的な疑惑のようなものが生まれ、しかも抜きがたいものになってしまいました。だからと言って当時の先生を恨むような気持ちはまったくありませんけれどね。そのため、自分が教師になってからも、「これが絶対に正しいからこれだけを憶えておけ」と言ったことは一度もありません。「こういう考え方があるので自分でもよく考えてみて」というような言い方をしますね、私は。おそらくわれわれの世代は、そうしたメンタリティに毒されている人が多いのかもしれないと思います。

山口
それはまさにジョン・キーツの言う、答えの出ない事態に耐えることですよね。みんなが白黒つけたがる時代に、「白黒つけない」ことも一つの知性のあり方として重要ではないかと思います。

村上
そう思ってくださるとありがたいです。けれど、それが現実の社会を生きるうえでどこまで役立つのかと問われると、考え込んでしまうところもあります。『あらためて教養とは』にも書いたように、「人間として生きていくためにはこうあってほしい」という事柄はいくつもあります。一方で、現代社会の中でうまく生きていくためにはそれだけでいいのか、という問いかけも私の中にないわけではありません。それでもやはり、「教養」というものを大切にしたいとは思います。

山口
村上龍さんが若い頃に書かれた『悲しき熱帯』という短編集があるのですが。

村上
ええ、読みました。

山口
その中に収められた「ハワイアン・ラプソディ」に、故郷に帰りたがっている年老いたスーパーマンが登場して、若者たちにこんなことを言います。「スーパーマンも人間も同じだが、大事なのはスタイルだ、自分のスタイルを守ることだ、どんなひどい状況に陥っても自分のスタイルを崩さなければ何とかやっていけるものだよ」と。私はこの言葉がとても好きなのですが、スタイルというのは、自分はこれはやらないという、まさに規矩、則(のり)だと思います。時にはそれを守ることで目の前の果実を逃すかもしれないけれど、長い目で見ればその人にとってはそれがいいんだとスーパーマンが説く。私は先生のお話を伺って、スタイルを守ることが「教養」というものかもしれないと感じました。

これからも先生のご達見を楽しみにしております。本日はありがとうございました。

村上
こちらこそ。とてもよい時間を過ごすことができました。

村上 陽一郎(むらかみ・よういちろう)
科学史家、科学哲学者。1936年生まれ。東京大学教授、同大学先端科学技術研究センター教授・センター長、国際基督教大学教授、東京理科大学大学院教授、東洋英和女学院大学学長などを歴任。2018年より豊田工業大学次世代文明センター長。
著書に『ペスト大流行』(岩波新書)『安全学』、『文明のなかの科学』、『生と死への眼差し』(青土社)、『科学者とは何か』(新潮選書)、『安全と安心の科学』(集英社新書)、『死ねない時代の哲学』(文春新書)、『日本近代科学史』(講談社学術文庫)他多数。編書に『コロナ後の世界を生きる』(岩波新書)他。

山口 周(やまぐち・しゅう)
1970年東京都生まれ。電通、ボストンコンサルティンググループなどで戦略策定、文化政策立案、組織開発等に従事した後、独立。
著書に『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』(光文社)、『武器になる哲学』(KADOKAWA)、『ニュータイプの時代』(ダイヤモンド社)など。最新著は『ビジネスの未来 エコノミーにヒューマニティを取り戻す』(プレジデント社)。慶應義塾大学文学部哲学科、同大学院美学美術史学専攻修了。