株式会社日立製作所 研究開発グループ 主管デザイン長 丸山幸伸/株式会社日立アカデミー講師(DX、カスタマーサクセス担当)渡辺薫
新しい技術がイノベーションを起こす。それは必ずしも間違いではないが、より大きなイノベーションの起点になるものがあると主管デザイン長(ヘッド・オブ・デザイン)を務める丸山幸伸は語る。それは人の価値観だ。日立のデザインチームはその価値観に注目し、めざす未来の手前に、組織をドライブする具体的な中間目標を設定するという、バックキャストを実践している。

「第1回:デザイナーはカスタマーサクセスにどう貢献するか」はこちら>

何をデザインするのかもデザイナーが決める

渡辺薫(以下、渡辺)
前回に引き続き、丸山さんにお話を伺います。主にプロダクトのデザインを手がけていた丸山さんは、2009年に当時の経営陣が社会イノベーション事業へ舵を切ったときに、デザイナーとしてどのように貢献できるだろうかと悩まれたそうですね。

丸山幸伸(以下、丸山)
その通りです。ちょうどその頃、私は大きなチャンスを手にしました。2009年に、研究開発本部から「目の前のことにとらわれずに、これからの10年を牽引するような研究提案をするように」と言われたのです。当時私は課長になったばかりでしたが、若手の私に起案が持ちかけられたことで、次に何をデザインするかも我々の世代が決めていいはずだと明確に認識したのです。

経営陣も、社会イノベーション事業は我々がつくっていくものだとは言っていましたが、それがどのようなものか、具体的な事業の姿や方針が全社に共有できるほど明快になっていませんでした。だからこそ、まずはデザイナーの立場から社会システムを根底から変えるような価値を提案し、そのシーンをデザインしていくことが必要になるだろうと直感しました。

渡辺
10年先の価値とそのシーンをデザインする、その難しさはどこにありましたか。

丸山
1、2年先のことは、頑張れば、既存市場の調査や現場観察で潜在ニーズを把握できてそれに基づいた提案はできます。改善・改良の範囲ではできていたということです。しかし、10年後のシーンとなると、今、我々が提案したものが価値を生むのは、10年以上先になります。こうなると、それまでの我々のデザイン手法では対応できません。

渡辺
類推しきれないからデザインもできないということですね。どう変えましたか。

丸山
今を起点にその先を考えるのではなく、15年先のお客さまの価値観を想像し洞察をし、望ましい社会を描き、そこに必要なソリューションを描き、そのソリューションを事業の戦略にバックキャストすることにしました。こうしてビジョンデザインに取り組んでいこうと決断したことが、イノベーションへ足を踏み入れた第一歩だと思っています。

主管デザイン長 丸山幸伸

渡辺
ビジョンデザインとは、我々がこれからつくっていく、お客さまを連れて行く未来をデザインする。そんなイメージでいいでしょうか。

丸山
そうですね。未来のお客さまのエクスペリエンスをデザインするにはどうしたらいいか。そのためにはまずビジョンデザインが必要だということです。

先が見えない時代こそ「問い」から始める

渡辺
最近はパーパス経営という言葉もよく耳にしますが、このパーパス経営とビジョンデザインはどのような関係にありますか。

丸山
対象の規模によって違うとは思うのですが、社会イノベーション事業のような規模で考えた場合には、パーパスとは、一企業が発明するものではなく、社会全体で合意形成をするものだと考えています。たとえば、SDGsや社会善がそうです。それを実現するツールがソリューションであり、ビジョンとして描き実行していくものとは、そのパーパスとソリューションの真ん中に存在するものだと考えています。

パーパス経営のフレームワークのひとつに目的工学がありますが、それに則ると、大目的がSDGsであり、小目的が各々のソリューションが達成する目的であり、その間にある中目的にあたるのが、企業が自らをドライブするために意識的に設定するビジョンと、言えるのではないかと思います。一橋大学の野中郁次郎名誉教授、多摩大学大学院紺野登教授はこの中目的を駆動目標とも、おっしゃっていますが、まさに、企業がめざす未来にたどり着くために設定する要所だと言えるでしょう。

渡辺
その中間点をデザインしようというのがビジョンデザインなのですね。2021年にはまた新たな取り組みを始めたと伺っています。

丸山
難しいことを始めてしまったなと思ってはいるのですが、「問いからはじめるイノベーション」という考え方でイノベーションを仕掛けたいと思っています。なぜ「問い」なのかというと、これだけ先が見えない世の中では、20世紀の価値観やそこで育まれたバイアスを持ったまま、先のことを考えられるのだろうかという根本的な疑問があるからです。もしかすると、今成り立っている社会の前提をもう一度問い直すべきなのではないかとも思います。すると、我々が勝手に中目標として「これが我々のビジョンです」と示す前に、今、大目標としてはいったい何を問うべきかをオープンに対話する必要があると思うからです。

渡辺
その取り組みに、研究開発グループのような技術者集団の中にいるデザイナーが深く関与する意義はどこにありますか。

日立アカデミー講師 渡辺薫

丸山
技術は未来の社会に大きなインパクトを与えます。経済活動や政治もそうでしょう。しかし、それらよりももっと大きなインパクトを与えるのは、経済活動や政治、技術に囲まれた人々の価値観だと思います。むしろその価値観が、経済活動や政治、技術を動かしていくのです。ですから、企業が今、最も正対しなくてはならないのは人の価値観です。私たちデザインチームは徹頭徹尾、人目線でやってきたという自負があります。だからこそ、未来のお客さまの感じる価値観に向き合うという、決して簡単ではない試みのリードを務めるのが、我々の果たすべき役割だと考えています。

渡辺
丸山さんには、2019年、日本で初めてのカスタマーサクセスのイベント『SUCCESS 4』が開催されたとき、日立のブースにずっと滞在していただきました。あのときは参加者のほとんどがSaaS関係者でしたが、どのような印象を持たれましたか。

丸山
まず、憧れのジェフリー・ムーアに会えたことがとても印象に残っています(笑)。

渡辺
キャズム理論の提唱者ですね。

丸山
そうです。著書などで感銘を受けていましたので。もう一つは、コンタクトセンターの方が大勢参加していたことに驚きました。本来のカスタマーサクセスは、今日お話ししてきたように、ビジョンデザインまで含む、より幅広い概念です。でも2019年当時の日本では、それまでコストセンターとみなされてきたコールセンターが、カスタマーサクセスという概念を手にプロフィットセンターにならんと、まず動いているように感じたのです。

渡辺
確かに、たった2年前ですが、当時はそうだったかもしれません。今のお話は、この2年間で、カスタマーサクセスについての理解が急速に浸透したことの証明にもなりそうです。

丸山幸伸(まるやま・ゆきのぶ)
株式会社日立製作所 研究開発グループ 社会イノベーション協創統括本部 東京社会イノベーション協創センタ 主管デザイン長。
日立製作所に入社後、プロダクトデザインを担当。2001年に日立ヒューマンインタラクションラボ(HHIL)、2010年にビジョンデザイン研究の分野を立ち上げ、2016年に英国オフィス Experience Design Lab.ラボ長。帰国後はロボット・AI、デジタルシティのサービスデザインを経て、日立グローバルライフソリューションズ(株)に出向しビジョン駆動型商品開発戦略の導入をリード。デザイン方法論開発、人財教育にも従事。2020年より現職。

渡辺薫(わたなべ・かおる)
株式会社日立アカデミー講師(DX、カスタマーサクセス担当)。
ハイテク企業で経営企画&マーケティングを経験したのち、90年代のデジタルマーケティングの黎明期にはエバンジェリスト&コンサルタントとして活動。その後、外資系ITサービス企業等でITサービスのマーケティング、コンサルティング等に従事し、2010年日立製作所に入社。超上流工程のコンサルティング手法の開発と指導にあたる。社会イノベーション事業推進本部 エグゼクティブSIBストラテジストとして、日立グループのデジタルトランスフォーメーションの戦略策定・実行のサポートと人財育成に注力。現在は、株式会社日立アカデミー講師のほか、株式会社ゴールシステムコンサルティング チーフカスタマーサクセスオフィサーなどを務める。

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