山口 周氏 独立研究者・著作家・パブリックスピーカー/楠木 建氏 一橋ビジネススクール教授
Executive Foresight Onlineで連載を続けてきた山口周氏の対談シリーズが『自由になるための技術 リベラルアーツ』(講談社)として書籍化された。出版を記念し、2021年3月26日に山口周氏と楠木建氏による公開対談イベントを開催した。
「思いどおりにならない世の中を、思うがままに生きる。そこにリベラルアーツの本領がある」と書評に記した楠木氏。リベラルアーツとは何であるのか、その成り立ちや、リベラルアーツを軸に大成した経営者たちのあり方を振り返りながら、山口氏とともに考察を深めた。
事前登録した700名を超える方々にオンライン配信されたその対談の模様をお届けする。

リベラルアーツとメカニカルアーツ

山口
楠木先生、ようこそおいでくださいました。本日は、さきごろ上梓した『自由になるための技術 リベラルアーツ』の発刊を記念しての対談となりますが、先生にはExecutive Foresight Onlineに書評をご寄稿いただきましたね。

楠木
ええ、もう大喜びで書きました。

山口
ありがとうございました。では早速、伺いますが、まず先生はリベラルアーツとはどういうものであるとお考えでしょうか。

楠木
一言で言えば書名のとおり「自由になるための技術」ですけれど、何かについて考えるときには、その対概念を置いてみるとわかりやすくなります。リベラルアーツの対義語はメカニカルアーツ(機械的技術)、この分類はギリシャ・ローマ時代にさかのぼります。当時の社会には自由市民と奴隷の階層があり、奴隷の人々はメカニカルアーツを身につけ、専門知識を用いた仕事をしていました。奴隷と言ってもきちんと給料をもらい、仕事に関する創意工夫や裁量の自由があり、能力によって評価されるプロフェッショナル、専門技術職のような人々も数多くいました。

一方、リベラルアーツは自由市民でなければ身につけられないものでした。実務よりも、「何をすべきか」という目的選択、価値判断に関わる技術です。リベラルアーツを身につけているということは、「その人に固有の価値基準を持っている状態」と言えるでしょう。

日本ではリベラルアーツという外国語に対して明治期にさまざまな創造的翻訳がなされ、「教養」に落ち着きました。その言葉のイメージからか、単なる基礎学問であるととらえられがちです。もちろんそうした面もあるのですが、イタリアの大学で教えていた時に気づいたのは、リベラルアーツとメカニカルアーツは異なるものとして横に並ぶ関係であるということです。リベラルアーツはローマ時代の末期に、文法・修辞学・弁証法・算術・幾何・天文・音楽の自由七科に定義され、その上に哲学、さらに神学があるという体系がつくられました。工学や経済学のような新しい分野はメカニカルアーツに分類されます。私が教えていたボッコーニ大学は経済学・経営学を専門に学ぶ新しい大学で、ミラノ大学のような伝統的大学には経済学部はありませんでした。

山口
オックスフォード大学で最も有名なカレッジの1つ、ベリオール・カレッジの学部もPPE(Philosophy, Politics and Economics)といって政治経済と哲学が一緒になっています。他のカレッジにも独立した経済学部はなく、経済学は大学院で学びます。

楠木
イギリスもイタリアもそうだと思いますが、なぜ伝統ある大学に経済学部がないのかといえば、時期尚早だということです。あと数百年もすれば伝統的な学問になるだろうという感覚ですよね。ですから、リベラルアーツは単なる基礎分野ではないというのが、源流における位置づけです。

自分が好きなものを持つことで幸福になる

山口
日本では最近、大事なのは実学で、役に立たない学問を大学で教える必要はないなどと言う人もいます。でも、そうした人がよくお手本として挙げるアメリカの大学教育がどうなっているかというと、例えばハーバード大学には経済学部も工学部も医学部も法学部もありません。このことはあまり知られていないようですが、ハーバード大学にはリベラルアーツ学部しかなく、その中の専攻という形で特定分野にウエイトを置いた学習をしていきます。大学で広く学ぶ中で進路を選び、大学院で専門知識を身につけるわけです。

一方、日本の大学は受験の段階で学部を選ばなければなりませんから、むしろ専門化が早いとも言えます。大学の形がこうなったのは、明治維新後、欧米列強に早く追いつこうと、リベラルアーツをじっくり学ぶよりも実学優先で殖産興業に邁進したためでしょう。そのおかげで、西洋が数百年かかった近代化を50年足らずで成し遂げました。ただその背景には、リベラルアーツとして意識されていなくても論語や朱子学などが身についていて、学問の強い足腰となっていたことがあるのではないかと思います。

楠木
そうですね。役に立つか立たないかで言えば、リベラルアーツほど役に立つ、実用的なものはないと思います。例えば、お金が好きな方は多いですよね。私も割と好きですけど。

山口
嫌いな人はあまりいないですよね。

楠木
なぜお金が好きなのか。オプションが増えるからだと思います。私は今日、地下鉄でここまで来ましたけれど、もう少しお金があればタクシーで、すごくお金持ちならヘリコプターで、というふうにオプションが増えていく。これがお金の便利なところです。

ただし、お金があれば自由が手に入るかというと、そんなことはまったくありません。増えたオプションのどれを選ぶかは、その人の価値基準にかかっている。自分の中に価値基準がなくてお金というオプションだけたくさん持っているような人がいます。そういう人は自分の外にあるものさし、世間の基準で判断するしかないわけです。モノの価値を値段や他人の評価でしかはかれないというのは、かなり不幸なことではないでしょうか。

ラ・ロシュフコーという、「うまいこと」をたくさん言った人がいます。

山口
『箴言(しんげん)集』ですね。

楠木
ええ、その中に「人が幸福になるのは、自分が好きなものを持つことによってであり、他人が好ましいと思うものを持つことによってではない。(道徳的考察48より)」という一節があります。これはまさにリベラルアーツがなぜ役に立つのかを示しています。自分の価値基準がなければ、いくらモノやカネがあっても、定義からして幸せにはなれません。

楠木 建

1964年東京生まれ。幼少期を南アフリカで過ごす。一橋大学大学院商学研究科博士課程修了(1992)。一橋大学商学部専任講師、一橋大学商学部助教授、一橋大学イノベーション研究センター助教授、ボッコーニ大学経営大学院(イタリア・ミラノ)客員教授、一橋大学大学院国際企業戦略研究科准教授、2010年より現職。
『ストーリーとしての競争戦略:優れた戦略の条件』(2010、東洋経済新報社)をはじめ、著書多数。最新著は『逆・タイムマシン経営論』(2020,日経BP社)。

山口 周

1970年東京都生まれ。電通、ボストンコンサルティンググループなどで戦略策定、文化政策立案、組織開発等に従事した後、独立。著書に『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』(光文社)、『武器になる哲学』(KADOKAWA)、『ニュータイプの時代』(ダイヤモンド社)など。最新著は『ビジネスの未来 エコノミーにヒューマニティを取り戻す』(プレジデント社)。慶應義塾大学文学部哲学科、同大学院美学美術史学専攻修了。

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